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批判を浴びる森保監督の代表選手選考。特定選手を好み、外しているのか?

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 日本代表チームの役割は、大きく分けて二つある。

 一つは、国の代表として単純に勝利を収めること。ワールドカップに出場する切符をつかみ取って、本大会で好成績を収められるか。他にもアジアカップなど地域大会での好成績、あるいは強豪国を倒すことも含まれる。

 もう一つは、日本サッカーをけん引する存在になることだろう。国内でサッカーに関わる人たちの代表として、道筋を示すように誇るべき戦いができるか。それはプレーの質を問い、国内で育てられた選手の粋を集めたもので、サッカーナショナリズムにも置き換えられる。

 そして二つは、一つとして成立している。勝つためにどのように戦うか。どう戦って勝つか。それは結び付いている。

 そのため、まずは組織が最高の監督を選び、監督は最善の選手編成をする必要がある。ここで不具合がある場合、「笛吹けど踊らず」という事態になる。何事もそうだが、出発点が大事だ。

 森保ジャパンは、二つをひとつとして満たすことはできるのか?

森保監督への批判

 代表チームのリーダーである森保一監督が晒されている批判の嵐は、いささか行き過ぎている。昨日、カタールワールドカップ代表選手が発表されたが(24日にアウェーのオーストラリア戦、29日にホームのベトナム戦)、選考に関する不満はさらに噴出した。逆風は収まらない。

 もっとも、ネガティブなものがすべてまとまって(現場での戦い方だけでなく、日本サッカー協会への反発など)、森保監督に向かっている状況もあるだろう。批判の中には、情状酌量の余地があるものも少なくない。人格否定のような意見は言語道断だ。

 そもそも代表マネジメントは困難を極める。「日常的にトレーニングができるわけではない」という点と、「3,4試合、もしくは一つの大会を戦えばいいわけではない」という矛盾点を抱える。日々の積み上げができないのに、誇るべき戦いをして、(ワールドカップを見据えた場合は)4年間という長いスパンでチームを作ることを求められるのだ。

 この点、森保一監督だけでなく多くの代表監督にはエクスキューズがあるだろう。

 しかし例えば、スペイン代表監督のルイス・エンリケは選手選考で柔軟である。18歳のペドリを抜擢し、いきなり主力に組み入れ、EUROで一つの結果を残した。さらに17歳のガビも初招集で初先発、戦力に加えている。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20211202-00269416

 やはり、森保ジャパンに漂う停滞感は打破する必要がある。

森保監督の選手選考

 なぜ森保監督は決して好調とは言えない大迫勇也、長友佑都、柴崎岳の招集に固執するのか?

 その答えは存外、簡単だ。

 サッカー監督は、「選手をひとつの集団にすることが仕事だ」という意識が強い。選手時代も含めて「組織」が刷り込まれ、コンビネーションの面で最大限の力を出せる選手を「調和」の面で重用。一方で、少しでも秩序を乱す者を排除する。

 なぜ好調なプレーを続ける「彼ら」を外し、呼ばないのか?

 逆説的に答えが出る。

「(選んでない選手が代表に関して)ネガティブな発言をしたとか、私には分かりません。選考に影響することはありません。あくまでも今回勝つために選手を選んで招集しています」

 森保監督自身が説明しているように、一選手がSNSで何を発信したか、などは考慮には入っていないだろう。しかし呼ばれなくなった選手は反抗的ではないが、従順でもない。試合での士気の髙さだったり、試合前後の言動だったり、あるいはトレーニング中の何気ないプレーだったり、どこかに「批判精神」が滲み出ていた。それは自負心であって、プロ選手として身につけた性格に過ぎないのだが…。

「森保監督は保守的で、自分が信じた選手を好むところがある」

 かつてサンフレッチェ広島でプレーしていた選手が話していたことがあった。

 森保監督が「序列」を重んじることは間違いない。一緒に結果を出した感覚を大事にし、情に厚いとも言える。広島監督時代からの「子飼い」と言える佐々木翔や浅野拓磨を好むのは、その原理で言えば必然と言える。彼らには「安心保証」が付いている。集団をかき乱すことはなく、計算が立つ選手たちだ。

 代表歴のない選手に関しては、自らの組織に入れたことのない存在を引き入れることを単純に警戒しているのだろう。

代表監督は劣化に目を瞑る

「選手たちは監督の判断が常に的中することを求める。我々監督は、あらゆる準備のディテールにおいて、決して間違ってはならない。何を、どう伝えるのか、いつ、だれに言うのか、すべてにおいてだ」

 スペインの名将、ウナイ・エメリの言葉である。監督はそこまでの完璧性が求められ、難しい任務だ。

 その点、ワールドカップ最終予選、残り2試合で博打を打つ必要はないだろう。まともにぶつかり合って、負ける相手ではない。むしろ、奇策を弄することで墓穴を掘ることもある。

 しかし、慎重すぎる現状維持は弱体化を意味する。

 異質な選手が、集団を破壊することで作り替える。監督はその新陳代謝を促しながら、チームを強化していかなければならない。定型化した集団は弱さを孕むことになる。

 クラブチームではシーズンごとに選手を入れ替えたりするが、代表では時間の進み具合がまるで違う。1年に10試合程度しかない中、一つのチームに作り上げるわけだが、チームとして形にするには時間がかかるもので、できあがった頃に「経年劣化」が起きる。クラブチームは日々の指導で代謝を生み出せるが、代表では「せっかく作り上げたのに」と目を瞑って突っ切ろうとする。

 2010年から代表を率いたアルベルト・ザッケローニは、その典型だった。

 就任直後から選手をまとめ上げ、2011年1月アジアカップ優勝で、一つの集大成を作っている。しかしその後は成長がストップし、4年後にはいくつかのポジションが劣化を起こしていた。そこで変革に躊躇い、2014年のブラジルワールドカップ直前でJリーグ得点王だった大久保嘉人をメンバー入りさせたが、時すでに遅し、だった。

 つまり難しい決断であるにせよ、代表監督も新陳代謝を進めない限り、集団活動は停滞するということだ。

序列主義の末路

 森保監督だけでなく、「序列主義」を持ち出した代表監督は少なくない。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20220201-00279615

 ジーコも、ザッケローニも、代表での実績を重視した。このやり方は、一面では正当である。少々好プレーを見せているからと言って、代表をごっそり入れ替えていては、チームを維持できない。

 しかし危険なのは、実績だけに重きを置いた場合、代表をアップデートするのに時間がかかり過ぎる点だろう。例えば代表中心選手を凌ぐような実力、実績をクラブチームで示していたとしても、代表では出場機会がなく、序列を覆すのは手間取る。もともと代表でのコンビネーションは熟成されていて、主力が出場して不調でも勝利を手にできた場合、彼らのポジションが脅かされることはない。

 結果、競争原理に歪みが出る。

 ジーコ、ザッケローニは4年間をかけ、それなりに魅力的なチームを作った。しかしワールドカップという勝負の場に辿り着いた時には、すでに競争力を失っていた。チームとして下降線に入っていたのである。

 代表監督は厳しい立場と言える。しかしポジションごとの競争を怠らず、たとえ思い通りにならない選手であっても統率し、その中でベストのチームを選択、決断できないなら、世界では打ち負かされる。最終予選で戦った相手よりも、数段上の敵ばかりだからだ。

 オーストラリアとの決戦、戦力的には十分に勝利が見込める。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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