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サウジに完敗した森保ジャパンに希望はないのか?オーストラリア戦へ、唯一の活路

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:ロイター/アフロ)

 カタールワールドカップ最終予選、日本はサウジアラビアに敵地で1-0と敗れている。すでにオマーンに敗れていただけに、これで成績は1勝2敗。自動的に本大会に出場できる2位とは勝ち点差6まで離され、本大会出場に向け、危機的な状況に立たされた。

 森保一代表監督に対する風当たりは、ますます強くなった。もはや、擁護する声は聞こえないほどだ。

 では、森保ジャパンに何の希望もないのか?

負の連鎖

「いくら選手が悪かったとしても、選手全員を替えることはできない。うまくいかないなら、監督一人を替えるしかないんだよ」

 そう淡々と語っていたのは、レアル・マドリードでも指揮をとったベニート・フローロだった。それは世界サッカーにおける原理原則である。不振のチームは、監督を替えるのがセオリーだ。

 組織に悪い気運が漂い、蔓延した時、負の連鎖となる。笛吹けど踊らず、どんな采配も裏目に出る。監督も生身の人間で、そうなると焦燥が顔に出て、それに選手は不安を抱くし、メディアやファンも気づいて、悪い気はみなぎるのだ。

「あきらめなければ、ワールドカップ出場の切符はつかみ取れる」

 森保監督はサウジ敗戦後に語ったが、それはどうにか吐き出した言葉だったにせよ、正論過ぎて他人ごとに聞こえ、不信感や嫌悪感さえ生み出した。負の連鎖を断ち切るためには、解任しかない、という流れを強くしてしまった。

 オマーン戦はコンディションの差は明白で、相手が長い合宿で準備し、研究し尽くしてきた。コロナ禍の中でのアプローチの難しさで後手に回った、というエクスキューズがあった。しかし、サウジ戦は言い訳にならない。あきらめる、あきらめない、という気持ちの問題ではなかったのだ。

伏線回収の失点

 序盤から、日本はボールを持つ時間が増やせなかった。相手にもたれることでリズムが生まれず、いたずらに消耗した。しかし柴崎岳のロングシュートを機に、相手をはめて蹴らせてボールを回収できるようになった。互角のせめぎ合い、相手ボールを奪ってのロングカウンター、鎌田大地がダイレクトで大迫勇也に合わせたシーンは格別だった。

 ただ、これを決められない。

 日本はどうにか五分には戻したが、ビルドアップはノッキング。流動性がなく、完全にはめられていた。前で時間を作れないことで、サイドバックが攻め上がる機会はわずか。酒井宏樹が大迫に合わせたクロスのように、攻めに厚みを作ることができたら、アドバンテージを生かせたはずだが…。

 後半に入っても、日本はペースを握れなかった。急ブレーキを引いていたのは、ボランチの柴崎だろう。

 柴崎はシュートやクロスを一つひとつ切り取ると、ハイレベルだった。しかしずっと指摘していることだが、球際で脆すぎる。起点になれず、起点を与えていた。後半3分、中盤中央付近でボールを持っていた時、体を入れ替わられて呆気なく失い、危険度の高いカウンターを浴びる。ファウルをアピールも、軽いプレーだった。権田修一のファインセーブでピンチを防いだが…。

 柴崎はその後も自陣右サイドを持ち上がろうとし、簡単にボールを失っていた。直後にも目を覆うボールロスト。疲労なのか、判断に鈍さが見られ、遠藤航が中盤で体を張って3人がかりを相手にしたところ、何のフォローもできていない。おそらく、本人も感覚が狂っていたのだろう。

 そして後半26分、右サイドでボールを受けると、突然バックパスをし、それが相手FWへのスルーパスになる。独走され、角度をつけられ、GK権田が股を抜かれて万事休す。それは”伏線回収”のようなゴールだった。

 森保監督は、柴崎の状態の見極めが遅れた。決定的ミスをした後、守田英正に交代させたが、相手監督が交代させた選手で決勝点を決めさせたのとは対照的だった。交代策が硬直化していた。

 そもそも柴崎を先発で使うべきだったのか?

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20211007-00261202

 つまり、用兵、采配全体の話になるのだ。

いい守りをいい攻めにつなげられるか

 サウジ戦、良かった点を探した。

 GKも含めたバックラインは堅固さを見せたと言えるだろう。崩された場面はほとんどない。とりわけ冨安健洋のプレーは際立っていて、フィードの質、単純な体の強さ、マーキングの老獪さ、間合いや読みの良さでのインターセプトなど、セリエA、プレミアリーグで定位置をつかみ続けているだけはあった。

「いい守りがいい攻めを作る」

 チームの定理は一部、残っていた。

 しかし中盤から前線にかけ、選手の動きはちぐはぐだった。

 例えば、南野拓実は好選手だが、左サイドに固定して使って、十分に良さが出るタイプではない。また、浅野拓磨のスピードはカウンターでの武器で、冨安の蹴ったボールを裏に走るなどの脅威を与えたが、サイドの選手はボールを持って時間やスペースを作り出せないと複合的攻撃にならない。二人とも十分に良さは出ていなかった。

 極めつけは、古橋亨梧の起用法だ。

 森保監督はスピードのある選手、相手を蓋できる選手、をサイドで使うのを好む。堅く守ってカウンターを基本にすると、その解答になるのだろう。五輪でも前田大然を左で使っていたし、サウジ戦の浅野、原口元気、古橋などもその流れだ。

 しかしゴールを託す選手は、決定力の高さと旬であるかどうかだろう。その点、今の大迫は悪くないプレーをしても、ゴールの匂いが薄い。一方で、セルティックでゴールを量産する古橋は終盤のみトップでプレーしたが、わずかな時間でも可能性を感じさせている。

オーストラリア戦に向けた活路

 日本には、攻撃面でスピードとスキルに優れ、それをコンビネーションで増幅できる選手が多くいる。お互い入れ替わって、キープしたり、仕掛けたり、人を追い越したり、という動きを活発にできるか。流動的な動きで相手を幻惑できたら、それは世界に通じる武器だ。

 しかし得意ではないポジションに固定されて動きが出ないと、モンゴルやミャンマーを相手にしか、複数得点は入れられなくなる。

 監督が自らのやり方を貫くのは権利だろう。しかしそれが失敗し、クラブで結果を残している選手を生かし切れなかったら――。批判されて当然だ。

 ただ個人的には、森保監督が刮目し、「調子の良い選手を、一番力を生かせるところで使う」という采配の大原則に戻れるか、だと考えている。なぜなら、今の代表はかつてないほど、ディフェンスに世界レベルの人材が揃う。実は非常に負けにくいチームで、あとは攻撃の組み合わせの問題だけ、のような気はするのだ。

 チームはちょっとしたきっかけで、劇的に変わる。

 10月12日、さいたま。森保ジャパンは、オーストラリアと命運をかけて決戦だ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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