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松田直樹、あれから10年。彼はなぜ愛されたのか?

小宮良之スポーツライター・小説家
ゴールしたチームメイトを満面の笑みで抱きしめる松田直樹(写真:アフロスポーツ)

エリクセンに送られた拍手

 2021年6月17日、コペンハーゲン。EURO2020のグループリーグ、デンマーク対ベルギーの一戦で、前半10分を過ぎた時だった。ベルギーの選手が突如ボール回しをやめ、プレーを止めた。そして大観衆と選手たちが敵味方関係なく、一斉に拍手を送った。

 前の試合で意識を失い、心肺蘇生によって一命をとりとめたデンマーク代表MFクリスティアン・エリクセンが、そこから1キロほどの距離にある病院に入院していた。「拍手よ、届け」。1分間、全快を祈る熱が立ち上った。代表では敵同士だが、所属するインテル・ミラノでチームメイトのロメル・ルカクは感極まった表情で手を叩き、堪えきれずに涙を流していた。

 それはたとえ事情を知らない人であっても、心を動かす情景だった。人が人を思う。それはサッカーの原点で、結果を遥かに超越していた。

<10年前、もしマツも目覚めていたら、今頃何をしていただろうか?>

 2011年7月に練習中に心肺停止で倒れ、8月4日に34歳で息を引き取った松田直樹のことを筆者は思った――。

 松田は所属した横浜F・マリノスで、連覇も含めて3度、Jリーグ王者に輝いている。プレーに魂を込めるようなディフェンダーだった。間合いに入るのが速く、感覚的な読みにも優れ、当時は自分から仕掛けられる唯一無二の存在だった。ベスト16に勝ち進んだ2002年の日韓ワールドカップでは守りの軸となっていた。

<サッカーを生きる>

 松田はその激烈さがふさわしい男だった。

松田とのインタビュー

 筆者が松田直樹という男と知り合えたのは、佐藤由紀彦(松田とは横浜F・マリノス時代にチームメイト、現・FC東京コーチ)のおかげである。

「マツのことを書いてほしい」

 佐藤の言葉がなかったら、彼との交流は生まれなかったかもしれない。

 当時、アンチ・ドロップアウト(集英社)というルポ連載を取材執筆し、佐藤の生き様を書き上げた後だった。その連載は、取材対象者に次の取材対象を指名してもらう形式を取っていた。男が認めた男を書き上げるため、共鳴共感する男たちに出会うのが一番効率的だった。書き手としても、「目の前の選手を描き切らなかったら信頼してもらえず、次はない」というひりひりした勝負感が心地良かった。

 松田にクラブハウスで初めてインタビューした時、その風景は今も鮮明に覚えている。

 二人ともやや声を荒げていた。どういう経緯でそうなったのか。彼は「サッカーを書くならサッカーだけで、番記者のようになるのがいいよ。自分だけを見てもらえるし、知ってもらえる」と言い張った。筆者は真っ向から否定した。「サッカーを狭く捉えるべきではない。世界中を回って見聞を広め、様々な人と出会い、選手が見えない風景を見て、それを交換するようにすることで、話を引き出せる」と。生き方の問題で、譲れないものだった。

 結果、自然に仲良くなっていた。その後は、二人で出かけてカレーやジュースを飲み食いしながら、昼間から日が暮れるまで延々とサッカーを語る間柄になっていた。結局、思っていたことをぶつけ合ったからだろう。むしろ、松田は人と向き合う時の真剣さを求めていたのだ。

 その様子を泰然と見ていた当時の横浜F・マリノスの広報は、賢明で立派だった。不用意に間合いに入ってきたら、二人とも叩き切るような気迫で挑んでいたからだ。 

モチベーションビデオ

 松田はするりと懐に入ってくる子供の無垢さを持っていた。真剣に向き合えば、恐れることはない。付き合いを深めるほどに、可愛らしさと似たものに行き当たった。一本気で白か黒かしかない。「かっこいいか、だせぇか」。彼はよく言っていたが、真っ直ぐで妥協がなく、それが美しくすらあった。

「コミヤさんは何書いてもいいからさ」

 少しも濁りのない笑顔で言う彼の純粋さは、今も眩しく感じる。暴れん坊と言われながら、彼がサッカー界で愛された理由が分かった気がした。人に対し、彼は嘘がなかった。

 松田の取材が佳境に入る頃には、強さの奥にある繊細さを感じた。

 例えば、自宅には「モチベーションビデオ」と自らが名付けた、自分自身のインターセプトばかりを集めたビデオがあった。彼はイメージを深めるために、試合前はよく見ていたという。さもなければ、心が落ち着かなかった。また、エルメスの大判ノートには、気になったフレーズを書きとめ、何かがあるたび、それを見返し、自らを奮い立たせていた。

 破天荒で豪快な印象のある男だが、むしろ正反対の華奢で感受性の強い少女のような実像もあった。

「気持ちの強さが、俺を上に行かせてくれたんだと思う。だから、気持ちが萎えたら俺はダメになるよ」

 松田は絞り出すように言っていた。

「サッカーバカであることだけは、誰にも負けたくない。他はどんなことを言われたっていいんだよ。俺は弱いし、調子に乗りやすいし、格好悪い。でも、サッカーが好きだし、サッカーで自分を表現したいんだ。自分は言葉を使うのはへたくそだよ。だから誤解もされるけど、それは仕方ない。誰に言われようと、ダメなものはダメって言ってしまうし。そもそも、サッカー選手はピッチで話すもんでしょ?」

 彼はサッカーの話になると、時間を忘れて夢中になった。筆者がヨーロッパでの取材を元にした話をすると、それを少しも漏らさずに聞いた。アルゼンチン代表だったロベルト・アジャラが祖父、父と三代目のセンターバックである話など好きで、詳しく聞きたがった。

「たいていのディフェンスは、”とにかくシュートを打たせない”みたいな守り方をするけど、撃たせてもいいコースというのはあるんだよ」

 松田はディフェンスについて語るとき、口調に熱がこもった。

「もちろん、間合いはつめておかなきゃいけないんだけど、そのスリルがいいんだよね! 距離をつめるか、遊ばせておいてインターセプトするか。そういう駆け引きの面白さは、年を取ってからのほうが分かってきたかな。ディフェンスは、やっぱり間合い。だから、『松田は空中戦のバトルや激しいプレーが持ち味』とか書かれると、”俺のプレーを見てんのかよ?”って思う。ザゲーロ(ポルトガル語でセンターバック)は次のプレーを読むのが面白さ!数手先まで読んでボールを奪う。あれがマジでいいんだよ」

消えない残像

 松田は、サッカーを全身全霊で生きていた。

「サッカー選手じゃない自分をさ、俺は全然、想像できないんだよ」

 マリノスでの晩年、彼は切実な口調で言った。

「ずっとボールを蹴っていたい。サッカーができなくなる、なんて考えるとどうしようもなく不安になるよ。そんなことを考える自分自身を殴ってやりたくなるね。ただ、サッカーが好きで、続けたいだけなんだよ。マジで、サッカー大好きだから」

 松田の言葉は嘘がないからこそ、人の心に届いた。

 単純な話、だからこそ彼は人々に愛されたのだろう。彼自身も人を愛していた。その呼吸の一つひとつが熱かった。掲載した写真は当時のチームメイト、久保竜彦のゴールを祝福している様子だが、これほど無垢な笑顔を大人が見せられるものだろうか?

「(松田)直樹は自分の考えていることを、ポンと出せた。それは羨ましかったですよね」

 盟友だった佐藤は、そう振り返っている。

「だって、大人になるといろいろなことに気を回すじゃないですか? なのにあいつは、17,18歳の少年のまま、時計が止まっていた。だから、気に食わない人間や物には興味ゼロ、好きになったらとことん溺れた。ガキだな、とは思うんだけど、嫌いになれない。むしろ、あいつといると心地よかった」

 不器用な生き方は、共感を呼んだ。

「直樹は世間で言われているような強い男ではないですよ。強がりなだけ。でも、サッカーへの情熱は本人が持てあますほどだった。直樹がそこまでやるなら俺も、と頑張れたんです」

 人を巻き込んでいくような熱があったのだろう。

「俺にはサッカーしかない!」

 どんな苦しい状況でも、松田はそこに救済を求め、命を燃やした。そんな男が愛されないはずはない。周りを照らす輝きが彼にはあったのだ。

 あれから10年、今もその残像は消えていない。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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