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サッカー解説者はサッカー監督になれるか?ジダンが名将である理由。

小宮良之スポーツライター・小説家
ジダン監督がボールを蹴る姿に思わず選手が注目(写真:ロイター/アフロ)

監督とは

 サッカー解説者とサッカー指導者。

 二つの道について、選手キャリアを終わった後、筆者はアドバイスを求められることがある。

「解説をしながら、指導者の道を」

 もし解説の仕事があるなら、それは一番おいしく聞こえる答えだろう。リスクを避けられるし、目先の利益も手に入って、メディアに出てエゴも満たせる。たしかに1年ほどなら、見聞を広め、見方を変えるためにも悪くないかもしれない。

 しかし指導者の道に入る気があるなら、最善ではないだろう。二兎を追う者は一兎をも得ず。

「そろそろ現場へ戻ってきてくださいよ」

 現場の人たちは報道関係者になった元選手たちに気安く声を掛けるが、本音のはずがない。

 現場は身を擲っている。1年も経たず、クビを切られる。そのリスクをかけて必死なのだ。

 もちろん、メディア界も楽ではない。解説業の競争はし烈で、引退直後はもてはやされても、2,3年と経てば有名選手がリタイアし、椅子取りゲームの様相を呈する。迂闊に、二兎を追っていられない。

 監督とは、指導者とは――。

 サッカー界は改めてそれを考察するときが来ている。

指導者と一括りにできない

 そもそも一口に指導者と言っても、監督とコーチはまるで違う。

「統率し、決断する」

 それが監督の本分である。その他は些末とは言わないが、ディテールに過ぎない。例えば、ポジショナルプレーだ、ハーフスペースだ、界隈の人たちが物知りのように新語を使い、サッカーを知っている感を出す。しかし監督は、モノを知っている人間を上手に使えるか、というマネジメントのほうが求められる。

 FCバルセロナに栄光をもたらしたフランク・ライカールトは、監督室で葉巻をくゆらしていた。いつも鷹揚に構え、チームに落ち着きを与えられる。選手キャリアと風格によって、最後の最後に決断をゆだねられるボスだった。

 戦術を研究し、選手に伝え、目を光らせる。その役割は、ヘッドコーチのヘンク・テン・カテだった。彼は「軍曹」と恐れられていた。

 ライカールトとテン・カテは一心同体で成功を収めた。テン・カテが監督転身で抜けた後、ライカールト・バルサは呆気なく難破している。一方でテン・カテも、監督としては華々しい結果を残せなかった。監督は一人では大業を為せず、コーチはあくまでコーチの部分がある典型だ。

 また、名古屋グランパスをリーグ優勝に導いたのはドラガン・ストイコビッチだったが、実質的に取り仕切っていたのはコーチのボスコ・ジュロヴスキーだった。ジュロヴスキーは優秀な参謀だったが、監督としてはどのチームでも結果を出せずに終わっている。

 横浜F・マリノスを率いて攻撃的サッカーでJリーグを制したアンジェ・ポステコグルー監督も、ヘッドコーチとして明敏だったピーター・クラモフスキーに支えられていた。翌シーズン、クラモフスキーは清水エスパルスを指揮。結果、横浜は失速し、清水は惨憺たる結果だ。

監督を続けることで監督になる

 欧州サッカー界では、監督を志す人はジュニアやユースであれ、下部リーグであれ、監督としてスタートが基本である。スペインでは40歳前後ですでに監督としての道を歩む元選手が多いが、ラウール・ゴンサレス、シャビ・アロンソ、ファン・カルロス・バレロンなどはいずれもユース年代から指導を始め、今シーズンはセカンドチームの監督を務める。

 ジュニア、ユース年代から監督を始めると、嫌気も差すだろう。我が子可愛さから口を出し、徒党を組む”毒親”、ポテンシャルの高さに鼻を高くした”神童”、さらに意味不明な査定をする上司など、ストレス過多な環境にある。それは日本だけの悩みではない。

 しかしそれも乗り越えて、監督としてのマネジメント力を身につけるのだ。

 もっとも、特別なコースの受講で1年で最高位のライセンスを取得できることも、監督の門戸を広げ、競争力を高めている理由だろう。日本では一から監督ライセンス取得を目指した場合、仕事を続けながらだと10年近くかかってしまう。その状況が、解説業との選択を迫るわけだが、10年も経ったら、現役選手だった頃の熱はすでに失われている。

「すっげー、キック」

 シャビ・アロンソがレアル・ソシエダのBチームを指導しているところを取材した時、選手たちが陶酔したように言っていた。言うまでもないが、プレーの手本は指導において一つのアドバンテージになる。ユース年代では、監督スタートの後押しにもなるはずだが…。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20200918-00198726/

ジダンが名将である理由

 選手は監督の人生を見つめている。解説をやりながら二足の草鞋を履く監督を心の底からは認めない。逃げ道を作るリーダーを誰が仰ぎ見るというのか。

「ミスター」

 世界では、監督は敬意を込めてそう呼ばれる。ボスとして尊敬できる振る舞いを見せられる者だけが、それに値する。覚悟がいるポストだ。

 欧州3連覇を達成しているレアル・マドリードのジネディーヌ・ジダン監督は、「戦術家としては才能がない」と口さがない批判も浴びる。分厚い守備で相手を絡め取り、カウンターやセットプレーに活路を見出し、革新性はない。しかし、ユルゲン・クロップのような戦術をアップデートした名将のチームを下すチームを作れるのだ。

「ジダンはリーダーとして信用できる」

 その信頼がチームを旋回させる。例えば、シーズン中に会長主導でGKを獲得しようとしたとき、「うちには最高のGKがいる」とジダンは静かに突っぱねた。会長からにらまれるのは承知の上で、現場ファーストを貫いたのだ。

 これでGKだけでなく、全選手スタッフが一丸となった。

「統率し、決断する」

 まさに監督の誉れだろう。

「サッカーはサッカーだ」

 監督は、結果ひとつでクビを切られる。極めて不安定で、孤独な存在である。誰にも本音を言えないからこそ、裏切らないコーチが必要になる。

 必然的に、コーチという職業は資質として忠誠心と細やかな配慮が求められる。監督がやりやすい仕事環境を作る。それが仕事の本質だからだ。選手の愚痴を聞いても迎合せず、建設的な空気を作る。あるいは、憎まれ役になってもチームを引き締められる。服従する必要はなく、意見は活発に口にするべきだが、決断はあくまで監督の仕事と弁え、面従腹背などもってのほか。誤解を恐れずに言えば、監督と封建的関係を保てるか。

 そんな現場に長くいる人たちは、監督は監督、コーチはコーチの面構えをしている。

「サッカーはサッカーだ」

 セルビアの名将、ブーヤディン・ボスコフの名言である。

 サッカーは単純で奥が深い。知っていることは重要である。さらに、伝えることは一つの能力と言える。どちらも監督の技量としては欠かせない。しかし多くを知っていても、伝えるのがうまくても、たかが知れている。現場で戦い続ける者には、それが分かるだろう。

「現場を目指すなら、現場で戦うべき。解説をやるなら、解説で生きればいい」

 冒頭の質問に対する答えである。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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