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プロサッカー選手の原点。中島翔哉、中村俊輔、シャビ・アロンソらの共通点

小宮良之スポーツライター・小説家
楽しくて仕方ない、という表情でプレーする中島翔哉(写真:なかしまだいすけ/アフロ)

 Jリーグのシーズンは幕を閉じつつあり、現役引退、契約更改、戦力外通告、あるいは移籍の話が世間を賑わせ始めている。

 プロサッカー選手であり続ける。それはプロサッカー選手になることよりも難しい。たった3年で一つの見切りをつけられると言われ、現役生活は平均して7,8年と言われる。入るのが狭き門にもかかわらず、現役を続けて栄光をつかむ道はずっと厳しい。選ばれた者たちで競う場所だけに、甘い世界ではないのは必然なのだろう。

 一方で、頭角を現すことができたら、華々しい成功をつかみ取って、一般人では考えられない収入を得て、輝かしい栄誉も受ける。海外移籍や日本代表としてのワールドカップ出場など、英雄視されることになる。大きなリターンのある、夢の職業ではあることは間違いない。

 では、プロとして活躍する条件とは何か――?

サッカーが好きかどうか

 その答えは単純だが、明白である。

 サッカーを好きでい続けられるか。

 それは簡単なことのようで、決して簡単ではない。

 なぜなら、サッカー以外に他に好きなことが出てくる可能性は多分にある。そうなると、時間を削られる。実際に挫折を経験し、諦める。諦めないまでも、以前のようには一生懸命になれない。「好きだけど才能がない」。勝手に見切りをつけてしまうこともあるだろう。あるいは、ボールを触る感覚が好きだったのに、いつの間にか、負けたらダメ、と追い込まれ、好きの本質がずれてしまう。もしくは勝ち続けることで、何が好きだったのか、忘れる・・・。

 一つのことを好きでい続けるのは、楽ではない。

 ひたむきさは一つの才能である。

中島翔哉のサッカー好きはプロ選手も驚くほど

「翔哉ほどのサッカー小僧は見たことがない。合間を見つけては、ボールを触っている感じで」

 FC東京のプロ選手たちがそう言って驚くほど、日本代表MF中島翔哉(ポルティモネンセ)はサッカーが好きな姿を見せていた。上手くなりたい。その純真さを、少しも欠けずに持ち続け、むしろ増幅させていった。

 だからこそ、ポルトガルのクラブからオファーがあったとき、中島自身が誰よりもそれに懸けられたのかもしれない。より厳しい状況で、サッカー選手として上手くなれる、力を出せる。そこに歓喜の予感を感じただろう。クラブ首脳陣へ移籍を志願し、断られても粘り強く諦めず、直談判を続けた。

 その志と執着で、ポルトガルに渡って活躍を遂げ、日本代表に選ばれ、ビッグクラブ移籍は秒読みと言われる。サッカー好きな自分を、信じ切れたのだろう。

中村俊輔が今も現役を続けられる理由

「今でも、上手いね、と言われると、にやけてしまうところがある」

 かつて日本代表の10番を背負い、ヨーロッパでもその名を轟かせた中村俊輔(ジュビロ磐田)にインタビューしたとき、彼は笑顔でそう洩らしていた。

「僕はストイックなわけではないんです。サッカーがうまくなるためなら、辛いことはない。例えば全体練習をやった上で、自主練をやっているときはこれぞハピネス(笑)。個人能力で足りない部分を埋めていく作業には、たまらない充実感を覚えますね。

 海外のサッカーの試合もよく見ますよ。僕は真似から入るので、例えばボールをまたぐフェイントをするようになったのも、カズさんのまたぎを見てから。でも自分はスピードがないので、自分流にアレンジしたり。

 サッカーのためなら、面倒なことは一つもない。イタリアでプレーしたときは、ピッチがぬかるんでいたんで、ケガをしないため寝る前に欠かさずストレッチしたり、スコットランドではひじきをたくさん持ち込んで食生活にこだわったり・・・。中学生だった頃のプレービデオを見返し、”昔はこんな動きができていたな”と研究したり、何の苦にもなりません。むしろ幸せな気分」

 サッカー小僧が本性なのだろう。それ故、技を研ぎ澄ませることができた。

 その論理は、どの国でも変わらない。

ロングキックを蹴り続けたシャビ・アロンソ

 スペインで、世界的MFだったシャビ・アロンソのルーツを取材したときのことだった。アロンソはアンティグオコというプロ養成クラブに通っていたが、そこで彼は練習後も、日が暮れるまでボールを壁に向かって蹴っていた。幼かったアロンソは小柄で細身、強いボールを蹴ることができなかった。しかし、「ピッチでそれを蹴りたい」と考えた。なぜなら逆サイドの遠い位置まで正確なボールを蹴れたら、チャンスになる絵が頭に描けていたからだ。

「無理して蹴るな!」

 コーチに咎められても、アロンソは構わずトライした。そのたび渋い顔をされたが、彼は諦めなかった。その分、毎日毎日、壁に向かい、一人でボールを蹴り続けた。その壁には10m上まで、ボールの跡が残っていた。

「いつまでもやめないから、照明を落とせず、困ったよ。顔を輝かせてボールを蹴っていたから」

 当時の施設管理者は、笑顔でそう洩らしていた。結果、シャビ・アロンソは大観衆がため息を洩らすようなライナー軌道のロングパスを、自らの代名詞にすることになった。

子供時代のキラキラした楽しさ

 筆者は小説「ラストシュート 絆を忘れない」で小6の少年少女たちがサッカーに打ち込む姿を描いている。子供時代は原点と言えるだろう。そこで得たキラキラした楽しさをはぐくめるか。

「子供の頃から、サッカーに関することはすべて楽しい」

 中村はそう話していた。

「人によっては、”オフは一度サッカーを忘れてリセットする”という選手もいて、それはそれで悪くはない。でも、自分は自分の持っている感覚を忘れるのが怖いから、ゼロになんかできません。サッカーのことをずっと考えていたいんです」

 子供時代からの途切れない蓄積が今に至っている。

「大金を稼ぐ」

 それは働いた結果としては大きな褒美と言えるが、実はそこに到達点は存在しない。サッカーが好き。その単純明快な論理を失わない者だけが、厳しい世界で生き残れる。成功したサッカー選手は、意外なほど純粋にサッカーと向き合っている。

 なにより、人はひたむきな姿に、夢を思い出し、熱狂するのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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