今年のアカデミー賞が発表され、「ユダ・アンド・ザ・ブラック・メサイア(原題)」が助演男優賞(ダニエル・カルーヤ)と歌曲賞(ファイト・フォー・ユー)を受賞した。映画の批評は映画評論家に任せるとして、ここでは、この映画に登場する「ブラック・パンサー」の性格と、その背景事情、人種差別の歴史について解説する。映画のネタバレはないので、安心して読んでいただきたい。

キング牧師の穏健路線とマルコムXの強硬路線

「私には夢がある。いつの日か、私の幼い4人の子どもが、肌の色ではなく人格で判断される国に住む――そんな夢だ」

リンカーンの奴隷解放宣言から100年目の1963年、黒人への差別の撤廃を訴える公民権運動の指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師は、首都ワシントンで、こう演説した。「ブラック・パンサー」という名の黒人青年自警団が結成されるのは、その3年後である。

キング牧師と並び称される黒人運動家に、マルコムXがいる。「ブラック・パンサー」は、キング牧師よりも、マルコムXからの影響を強く受けたという。それはなぜなのか。

マルコムXには、プロボクシングのムハマド・アリをイスラム教に改宗させるほど、大きな影響力があった。しかし、その思想が過激で暴力的なため、キング牧師とは水と油の関係だった。キング牧師は、英国の植民地支配からインドを独立に導いたマハトマ・ガンジーの非暴力主義を闘争手段としていたのである。

黒人運動の主流は、キング牧師の思想をベースにしていた。その戦略が功を奏し、1964年に公民権法が、翌65年に投票権法が成立し、法的な人種差別はなくなった。

それまで南部では、学校、病院、映画館、レストラン、バス、鉄道、そしてトイレまで白人用と黒人用に分けたり、識字試験を課すことで黒人の有権者登録を妨害したりしていた。連邦最高裁判所も、「分離しても平等であれば憲法違反ではない」と判断していた。

しかし、この時を境に、当たり前だった「黒人お断り」が許されなくなった。「分離すれども平等」という憲法解釈に基づく法律が、廃止に追い込まれたのである。

1964年と言えば、日本では東京オリンピックが開かれた年だ。いかに奴隷制への郷愁や人種差別が根深かったかが分かる。

「人種による奴隷化」から「犯罪による奴隷化」へ

憲法上の「法の下の平等」を具体的に保障する法律の制定は、黒人運動にとって大きな勝利のはずだった。しかし、人種隔離主義者は黙ってはいなかった。「人種による隔離」に代わって、「犯罪による隔離」という手段に訴えるようになったのだ。

実は、奴隷制度が法的に廃止されたときも、「人種による奴隷化」に代わって、「犯罪による奴隷化」が始まった。というのは、奴隷制を禁止するために憲法が修正されたものの、そこには抜け穴があったからだ。修正条項は、刑罰を奴隷制の例外にしたので、それが巧みに悪用されたのである。

そもそも、アメリカ南部がそこまで奴隷制に固執するのは、奴隷制が、南部の経済システムの基盤だったからだ。黒人奴隷は、巨大な経済的利益を白人にもたらしていたのである。だからこそ、リンカーン大統領は、南北戦争で、奴隷解放を戦略の柱にして、南部の地盤沈下を引き起こそうとしたのだ。もちろん、大義名分を掲げて、北軍の士気高揚と英仏の支持獲得という狙いもあったが。

「人種による奴隷化」に代わる「犯罪による奴隷化」は、「受刑者の賃貸」として実現した。受刑者は、農業や鉄道などの労働に駆り出され、南部の経済システムの再建に貢献した。しかし、受刑者から見れば、奴隷に逆戻りしたにすぎなかった。

その傷跡は今も残る。

例えば、2018年にテキサス州の建設現場で見つかった95人の遺体は、奴隷解放後に貸し出された黒人の受刑者である可能性が高いとCNNが伝えている。

このように、当初は、経済的な利益の追求という動機から、人種差別が正当化されたわけだが、そうした社会システムが長期間続くと、心理的な効果を生んでしまう。つまり、知らず知らずのうちに、黒人は差別されて当たり前という思いが心に刻み込まれていくのだ。そこではもはや、利益うんぬんの問題ではなく、信念になっている。「潜在的な偏見」や「文化的な固定観念」と言ってもいい。

こうした差別意識の刷り込みに一役買ったのが、アメリカ初の長編映画『国民の創生』だ。このドキュメンタリータッチの歴史劇は、「映画の父」と称される監督の手によるものだけに、国民的大ヒットを飛ばした。しかし、その正体は、歴史的事実をねじ曲げたプロパガンダ(政治的宣伝)である。映画では、黒人を粗野で野蛮な人間として描き、白人を清純な被害者や正義の味方として描いていた。

『国民の創生』の邪悪な黒人。顔を黒く塗った白人俳優が演じている(D.W. Griffith, Storia del Cinema, Public domain, via YouTube)。
『国民の創生』の邪悪な黒人。顔を黒く塗った白人俳優が演じている(D.W. Griffith, Storia del Cinema, Public domain, via YouTube)。

「人種による隔離」から「犯罪による隔離」へ

こうして、公民権法が制定されるころには、黒人への差別感情は、心の奥底にある無意識の世界に、すっかり住み着いていた。そのため、「人種による隔離」から「犯罪による隔離」への転換もスムーズに進んだ。黒人は粗野で野蛮だから犯罪を犯しやすい、というロジックの下で、人種問題は犯罪問題にすり替わっていった

実際、黒人の受刑者は激増した。

アメリカ司法省司法統計局の文書によると、1980年の刑務所新入所者数は、1960年の1.6倍に膨れ上がった。問題はその内訳だ。1960年には、刑務所新入所者数のうち、黒人の割合が32%、白人の割合が66%だったが、1980年には、黒人の割合が41%、白人の割合が58%になった。ちなみに、全人口に占める黒人の割合は、1960年が11%、1980年が12%である。紛れもなく、刑務所への収監は「犯罪による隔離」だ。

刑務所から出所しても、前科者に対する社会の風当たりは強い。雇用主は、犯罪歴を気にするので、刑務所出所者は、安定的な仕事に就けず、その結果、安定的な住居を見つけるのも難しい。スラムからの脱出は容易ではないのだ。これも事実上、「犯罪による隔離」である。

かつて、フランスの社会学者エミール・デュルケームは、1893年刊行の『社会分業論』の中で、「私たちは、ある行為が犯罪だから共通意識にショックを与えると言ってはいけない。むしろ、共通意識にショックを与えるからそれは犯罪であると言わなければならない。私たちは、それが犯罪だから非難するのではなく、非難するからそれは犯罪なのである」と述べている。つまり、どのような行為を処罰するかは、大衆の気持ち次第なのだ。

力と力の対決へと突き進む

黒人は追い込まれていた。しかし、理不尽な状況を打開しようと、黒人が過激に抗議すればするほど、「それ見たことか」「やっぱり犯罪者だ」という白人の反応を呼び起こし、白人の態度は一層硬化していった。

こうした悪循環を目の当たりにして、キング牧師は戦略の見直しを迫られた。法的な平等が、必ずしも社会的・経済的・心理的な平等に結びつかないことを思い知らされたのだ。

折しも、キング牧師との共闘を模索し始めていたマルコムXが、両者の会談の2日前に暗殺された。キング牧師は、大きなショックを受けたという。そして自身も、3年後の1968年に暗殺されてしまう。

キング牧師の暗殺現場となったメンフィス市のモーテル(筆者撮影)
キング牧師の暗殺現場となったメンフィス市のモーテル(筆者撮影)

この年のメキシコオリンピックでは、金と銅のメダルを獲得した二人の黒人選手が、表彰台で黒い手袋をはめて拳を突き上げ、人種差別に抗議した。その結果、両名は、オリンピックから追放されてしまう。

メキシコオリンピック陸上男子200メートルの表彰式(Angelo Cozzi, Mondadori Publishers, Public domain, via Wikimedia Commons)
メキシコオリンピック陸上男子200メートルの表彰式(Angelo Cozzi, Mondadori Publishers, Public domain, via Wikimedia Commons)

「ブラック・パンサー」は、こうした時代背景の中で生まれ育った。その目的は、「犯罪による隔離」を阻止することだ。そのための手段として、銃を携行してのパトロールを採用した。取り締まりの警察官に銃を見せることで、不当な逮捕を断念させようというわけだ。

これは、核の抑止力による「恐怖の均衡」と似た発想である。この戦略は、当初こそ、警察の暴力を抑え込んだものの、政府や警察の危機感を高め、立法による弾圧、スパイの活用、取り締まりの強化、警察の軍隊化をもたらすことになる。

希望の光は見えているか

「ブラック・パンサー」は、犯罪学の視点からは、「自警団」と位置づけられる。自警団員(vigilante)という単語は、寝ずの番(vigil)、用心深い(vigilant)、警戒(vigilance)と同じ語源のラテン語から派生した言葉だ。

この分野を専門にするポーツマス大学のジョンストン教授によると、自警団の特徴は、秩序が脅かされたときに、自発的な市民が、実力行使またはその威嚇を用いて、安全を確保するために行う自治的な社会運動にあるという。

しかし、実際には、自警団の歴史は、超法規的な活動やリンチ(私刑)の事例に満ちている。初期の罰は、むち打ちと追放だったが、やがて絞首刑が通例となった。その標的も、19世紀までは、馬泥棒、奴隷泥棒、土地略奪者といった犯罪者だったが、20世紀になると、カトリック教徒、ユダヤ人、黒人、労働運動家に移っていった。

このように、「自警団」と言っても、様々なバリエーションがある。日本の「コロナ自警団」から、アメリカの「ガーディアン・エンジェルス」「新ブラック・パンサー党」「アンティファ」「クー・クラックス・クラン(KKK)」「プラウド・ボーイズ」までを、一緒くたに扱うことなど到底できない。できることと言えば、歴史から自警団の功罪を学ぶことぐらいだ。

黒人運動のスタイルもずいぶん変わった。「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命は大切)」には、キング牧師やマルコムXのようなカリスマ指導者はいない。集中管理型ではなく、自律分散型の社会運動だ。

もっとも、現場を撮ったスマホの動画をSNSで発信する戦術は、かつてキング牧師がテレビを巧みに利用して、消極的だったケネディ大統領を動かした戦術を思い出させる。

行政も、手をこまねいているわけではない。

例えば、シカゴには、かつてアメリカで最悪とされたロバート・テイラー・ホームズという名の公営団地があった。シカゴの人口の0.5%しか住んでいないのに、そこでシカゴの殺人事件の11%が起きていた。その悲惨さは、コロンビア大学のヴェンカテッシュ教授のエスノグラフィー『ヤバい社会学:一日だけのギャング・リーダー』からも知ることができる。

しかし、犯罪の巣窟だったスラムも、今ではレジェンド・サウスという名で生まれ変わった。混在する賃貸住宅と分譲住宅は、外観からは見分けにくい。貧富の分離ではなく、混住による融合を意図した住宅団地だ。

貧富混住団地として再生したシカゴの黒人貧困地区(筆者撮影)
貧富混住団地として再生したシカゴの黒人貧困地区(筆者撮影)

ひるがえって今の日本を見るに、差別問題は対岸の火事ではない。同調圧力が強い分、差別は水面下に潜りやすい。アメリカの歴史から垣間見える「制度が常識を生み、常識が偏見を生む」という連鎖――それは日本にも、あるのかもしれない。