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「死体でも連れ帰れ」金正恩が執着した美人タレントと工作員

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏(朝鮮中央テレビ)

 北朝鮮の工作機関・敵軍瓦解工作局(敵工局)所属の将校が亡命に失敗し、北朝鮮側によりロシア・ウラジオストクで監禁されているという。そして、金正恩総書記は直接、この将校を無条件で連れ戻すよう厳命していたことが、韓国デイリーNKの取材でわかった。

 この将校は、敵工局傘下の563部隊126部に所属するチェ・グムチョル少佐。米政府系のボイス・オブ・アメリカ(VOA)によれば、昨年7月にウラジオストクで北朝鮮の支配下から離脱し、亡命を準備していたが、同9月20日にロシアの警察により連行された。

 北朝鮮のデイリーNK内部情報筋によれば、送還命令は金正恩氏が決裁する「1号」批准命令として1月中旬に下された。命令には「精神が完全でないか、死亡していても必ず送還し、チェ少佐の所在地が外部に露出しないように徹底した保安を維持しなければならない」との内容が含まれていたという。

(参考記事:美人タレントを「全身ギプス」で固めて連れ去った金正恩氏の目的

 敵工局は対韓国の心理戦を主任務とし、海外では韓国に対するサイバー攻撃や、ハッキングによる仮想通貨の窃盗にも関わっている可能性がある。金策工業大学を卒業したチェ少佐は、暗号技術などITの専門家と伝えられている。

 北朝鮮は時に、こうして特定の脱北者に強烈な執着を見せる。

 2017年には、韓国のテレビ番組で「脱北美女」タレントとして活動していたイム・ジヒョンさんが突然消息を絶ち、その後、北朝鮮の対外向けプロパガンダメディア「わが民族同士」に登場したことがあった。

 彼女が主に出演していたのは、韓国のケーブルテレビ局、チャンネルAが2011年から放送している「いま会いに行きます」だ。韓国在住の脱北者が北朝鮮の政治、社会、生活、文化について語る、人気のバラエティ番組だ。

 北朝鮮は以前から、こうした動きに神経をとがらせており、脱北者への「警告」の意味でイムさんを連れ戻したのだ。彼女がいかにして北朝鮮に戻ったかは未だミステリーのままだが、中国におびき出され、北朝鮮の国家保衛省(秘密警察)の要員らに拉致されたとの説が根強く囁かれている。

 今回、チェ少佐を連れ戻すのも簡単ではないはずだ。北朝鮮は2020年1月、新型コロナウイルス対策として国境を封鎖して以降、中国などで摘発された脱北者の送還を受け入れていない。この点は、金正恩氏の命令であればクリアできるだろうが、もうひとつハードルがある。

 チェ少佐は、ロシア当局が関知しないところで、非公然に拘束されている可能性が高い。彼を連行した現地警察も、北朝鮮当局に買収されていた可能性があるのだ。

 脱北者を無条件で強制送還している中国と異なり、ロシアでは人権団体などの支援を受けた脱北者が、現地での裁判を経て韓国など第3国への移動を認められた例がある。ロシアと北朝鮮は犯罪人引渡条約を締結しているが、脱北者に明らかな犯罪の証拠がない場合、北朝鮮への強制送還を免れる可能性があるのだ。

 だが、現在のロシアは「平時」ではない。国連総会は2日、ロシアのウクライナ侵攻を非難し、軍の即時撤退をロシア政府に求める決議を賛成多数で採択したが、北朝鮮は反対票を投じた5カ国の内のひとつなのだ。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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