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暴走の末に袋小路にはまり込んだ、北朝鮮の平成30年史

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏(写真:ロイター/アフロ)

日本において北朝鮮のイメージはすこぶる悪い。金正恩一族を頂点とした独裁体制、餓死者も生み出すほどの慢性的な経済難、核・ミサイルによる恫喝外交、日本人を拉致…北朝鮮の話題となれば圧倒的にネガティブな内容に終始する。

しかし、意外なことだが、昭和の時代には一定の評価を受け、肯定的に伝えられていた時期がある。社会主義というイデオロギーはさておき、日本でも左右問わず、その国家運営を高く評価する声は少なからずあった。60年代から70年代にかけてそれなりの経済成長を遂げ、国際社会では自主独立という独自路線を歩んでいたからだ。しかし、その経済実態は旧ソ連邦の援助を前提とする「砂上の楼閣」に過ぎず、独自路線もソ連や中国の間でコウモリのように立ち回っていただけにすぎない。

では、北朝鮮はいつから今のような悪名高い国家に変貌したのだろうか。

きっかけは平成元年(1989年)に起きた東欧革命だ。北朝鮮は奇しくも平成の時代に入ってから凋落するのである。社会主義陣営は軒並み崩壊し、北朝鮮が依存していたソ連邦からの援助も途絶える。

金日成氏は1990年9月に、金丸訪朝団を受け入れ日朝国交正常化について議論を交わすが、日本からの賠償によって危機を乗り切ろうとしたのかもしれない。しかし、金丸氏は2年後に失脚し日朝交渉は頓挫する。同年ソ連邦も完全に崩壊し、既にソ連からの「援助中毒」となっていた北朝鮮は、強烈な「禁断症状」をひきおこしはじめる。そして平成6年(1994年)、半世紀近く北朝鮮の頂点に君臨してきた金日成氏が死去する。

大量餓死と凋落の時代(平成初期〜)

金日成氏が死去した翌1995年と1996年、北朝鮮は二年連続で大水害に襲われ、国際社会に大規模援助を要請するほどの危機に陥った。昭和の時代に「ニセの輝き」を見せていた北朝鮮は、平成の時代に入って完全にメッキが剥がれ落ちたのだ。

北朝鮮経済の柱だった配給システムは崩壊した。配給に頼っていた庶民は何をどうしていいのかわからないまま栄養失調に陥り、大量餓死が発生した。正確な数は未だに不明だが、100万人前後の餓死者を生み出した大飢饉は「苦難の行軍」といわれ、今も大きな傷跡を残している。

金日成の後を継いだ金正日体制が崩壊するのは時間の問題と見られていた。しかし、1997年に総書記に就任した金正日氏は体制維持にむけてしぶとさを見せる。平成12年(2000年)には韓国の故・金大中大統領と初の南北首脳会談を行い、韓国からの経済協力を勝ち取る。既に経済大国の道を進んでいた中国からの経済協力も得て、生き残りをはかろうとする。

さらに金正日氏は、金日成時代からの宿題であった日本との関係改善にのりだす。

暴走の時代(平成中期〜)

日朝交渉が停滞していた原因の一つが「日本人拉致問題」である。北朝鮮の工作員が、海岸から極秘に侵入し、誰にも悟られずに一般市民を北朝鮮へ拉致する。その荒っぽい手口もさることながら、まるでスパイ映画や小説に出てくるような話は、あまりにもリアリティに欠けていたことから、当初は都市伝説のように語られていた。

しかし平成14年(2002年)9月15日、当時の小泉純一郎首相は平壌を訪問し、歴史的な日朝首脳会談に臨む。会談で金正日氏は日本人拉致を認め、公式に謝罪した。両首脳は「日朝平壌宣言」を発表し、国交正常化にむけて努力することで一致した。

その後、一部の被害者家族は帰国したが、北朝鮮の不誠実な姿勢によって拉致問題、そして日朝交渉は進展を見せていない。

一方、金正日は北朝鮮に宥和(ゆうわ)姿勢を取る金大中政権、盧武鉉政権時代(1998年から2008年)に得た経済協力を元手に核・ミサイル開発を本格化し、平成18年(2006年)に核実験を強行する。「暴走する北朝鮮」というイメージは、まさにこの時期に定着した。

ただ、国際社会に悪名をとどろかせた金正日は平成20年(2008年)、脳梗塞で倒れ後継者問題がささやかれはじめる。2年後の平成22年(2010年)、金正恩氏が後継者として公式に登場。翌2011年12月に金正日氏は急逝し、金正恩時代が幕を開ける。

粛清の時代(平成後期〜)

スイス留学の経験を持つ金正恩氏は西洋社会に触れていることから、北朝鮮を開放的な国家に導くという楽観的な見方もあった。しかし就任翌年の平成23年(2012年)の4月と12月に長距離弾道ミサイルの発射実験を強行し、金正日氏から受け継いだ核ミサイル戦略を加速させた。

北朝鮮はこれまで6回の核実験を行っているが、うち4回は金正恩時代に行われた。ミサイル実験も金正日時代よりも格段に増えた。2017年に行われた6回目の核実験の爆発規模は過去最大。北朝鮮は水爆実験に成功したと主張した。正確な検証は困難だが、水爆実験に成功した可能性は十分にあると指摘する科学者もいる。

金正恩氏は、国内政治においては2013年から翌々年にかけて、政権内でも実力者だった叔父の張成沢をはじめ、軍高官であろうが誰であろうが、気に入らない人物を粛清した。

平成28年(2017年)2月13日には、マレーシアのクアラルンプール国際空港で異母兄・金正男氏をVXガスによって暗殺した。国際空港という目立つ場所で決行された暗殺は世界に向けた公開処刑というのがふさわしい。

そして、自身の意に添わない人物に対して粛清をためらわない金正恩氏の牙は、国際社会に向けられることになる。米国に対しては事あるごとに攻撃の素振りを見せ、弾道ミサイルで日本や韓国を威嚇した。金正日氏を上回る暴走ぶりを国内外にみせつけた金正恩氏だが、それが虚勢であることが露呈するのも早かった。何度も予告した米国や韓国への攻撃は、一度も行わなかった。

暴走から宥和へ(平成末期〜令和)

金正恩氏は2017年に大統領に就任したトランプ氏に対して当初は牙をむいたが、平成29年(2018年)に入って急に姿勢を変え始める。金正恩氏が豹変した背景には、トランプ氏が北朝鮮を攻撃するかもしれないという恐怖や、制裁が長引けば体制不安に繋がりかねないという危機感があった。

米国だけでなく韓国、中国とも関係改善の道を開いた金正恩氏は6月に、歴史的な米朝首脳会談を行った。金正恩氏は当面の危機をしのぎ、就任7年目にしてようやく北朝鮮の最高指導者として周辺諸国から認知された。2019年2月の第2次米朝首脳会談は予想外の決裂となったが、平成最後の年に北朝鮮は暴走を緩めた。

新しい時代、北朝鮮はどこに向かっていくのだろうか。

暴走は緩めたが、金正恩氏にとって最大の懸念事項である制裁は解除されていない。それどころか、日増しに制裁の影響は拡大し経済に悪影響を及ぼしつつある。

しかし核実験やミサイル実験へ舵を切ることはこれまで以上に困難になった。金正恩氏とトランプ氏の関係は良好かもしれないが、米国が制裁解除に応じる姿勢は見せていない。米国の姿勢に反発して金正恩氏がたった一度でも核実験、ミサイル発射を強行すれば、2018年から米朝、中朝、南北間で築き上げた成果が全てご破算になる。

とりわけ米朝首脳会談を実現させたことで、祖父・金日成と父・金正日を超える偉業を成し遂げたという名声を捨てることになる。前に進んでも後ろに進んでも金正恩氏を待っているのは険しい道のりしかない。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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