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BBCドキュメンタリーとジャニーズ事務所問題 芸能界に特化した話ではない 子どもを守っていこう

小林恭子ジャーナリスト
ワインスティーン被告に再び有罪評決 性的暴行事件巡り量刑追加へ (2020年)(写真:ロイター/アフロ)

 「メディア展望」(2023年6月号掲載の筆者記事に補足しました。)

 今年3月上旬、英BBCが放送したドキュメンタリーが日本の大手事務所の過去の性加害問題を扱い、日本で波紋が広がっている。

 1時間弱の番組「Predator: The Secret Scandal of J-POP」(J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル)」は、日本ではBBCワールドニュース・チャンネルを扱う複数のプラットフォームで3月下旬から視聴できるようになった。

 「J-POPの捕食者」とは日本で有数のタレント事務所「ジャニーズ事務所」の元社長ジャニー喜多川氏(2019年死去)を指す。その影響力の強大さゆえに、喜多川氏の性的スキャンダルはメディア界では一種のタブーとなってきた。そのタブーにメスを入れたのが、BBCの番組だった。

 監督は日英で育ったメグミ・インマン氏。BBC以外にもNHK、英スカイ、米ナショナル・ジオグラフィックなどでドキュメンタリーを制作した。ナレーターはジャーナリストのモビーン・アザー氏。英国に住むイスラム教徒の生活を追った「ムスリムズ・ライク・アス」(2017年、BBC)で英アカデミー賞テレビ部門リアリティテレビ賞を受賞している。

 現在までに、元事務所所属の被害者たちが次々と声をあげ、事務所は謝罪後、調査委員会を発足させている。

 BBCの番組放送後、日本のメディアもさまざまな報道を行ってきた。

 一つ、在英の筆者が違和感を持つのは、「芸能界の話」(事務所の存在感の大きさ)、あるいは「メディア報道の責任」がもっぱら主眼となっている点だ。

 筆者は力を持つ人による他者への性的加害問題について、今こそ考える時ではないかと思う。

 最近の事件を振り返ってみれば、アメリカでは2017年以降、米ハリウッドの元大物映画プロデューサー、ハーヴィー・ワインスティーンの性加害事件が暴露され、告発運動「ミーツー」の開始につながった。ワインスティーンは今、強姦や性的暴行の罪で有罪となり、服役中である(ワインスティーン被告に2度目の有罪評決、強姦含む性的暴行3件で BBC)。

 ほかの芸能関係者も同様の行為をしていたのではないかという疑惑が出て、次々とその実態が明るみに出ていったが、スポーツ界にも同様の被害が発生していた。2018年には米女子体操五輪チームの元医師が性的虐待で175年の禁錮刑を下されている(BBC記事)。

 英国や他の欧州のいくつかの例を紹介する前に、BBCの番組をご覧になっていない方のためにその概要と英国でのオンラインイベントの模様を紹介したい(以前の記事と若干重複することをお許し願いたい)。

BBCのドキュメンタリー

 番組はまず、ジャニーズ事務所が生み出すスターが日本ではあらゆるところで顔を出す一方で、故ジャニー喜多川氏についての情報が極端に少ないことを指摘する。

 アザー氏はブロマイド写真などを販売する小売店を尋ねる。事務所の了解を得なければ所属スターの映像を使うことが許されないので、非合法での販売である。店の経営者はカメラの前に姿を見せなかった。

 「ジャニー喜多川のことをどう思いますか」。アザー氏が東京の街中で聞く。「神様のような人です」とある男性が答える。日本のアイドル文化を作り上げた立役者として、今でも日本では彼の芸能界での功績が高く評価されていた。性的搾取の疑惑があっても、高評価は変わらないのである。アザー氏はこのことに衝撃を受ける。

被害者の声

 当時の様子を語る人物として、「ハヤシ」(仮名)と呼ばれる男性がメガネとマスクで顔を覆って、インタビューに応じた。初めて公に自分の体験を語るという。

 15歳でジャニーズ事務所に履歴書を送ったハヤシ氏は、喜多川氏の「合宿所」に呼ばれた。この時、「まずお風呂に入って」と喜多川氏に言われ、風呂場に入ると、喜多川氏が洋服を脱がせてくれた。下着まで喜多川氏の手で取り去られ、ハヤシ氏は不快感を抱いた。喜多川氏はハヤシ氏の身体を「まるで人形でも洗うように」洗った。下半身も含めて、である。

 お風呂から出て、事務所の他の少年たちが集まっている場所に戻ると、少年たちはすでに事が済んだことを察したという。自分の顔つきが変わっていたからだ。

 当時を思い出したハヤシ氏は涙を目にためた。ハヤシ氏もほかの少年たちも性的接触を我慢せざるを得なかった。「スターになりたかったから」だ。

週刊文春の記事

 1999年、週刊文春が性被害を記事化したが、ほかのメディアはほとんど取り上げなかった。ジャニーズ事務所の恩恵を受ければ視聴者も読者も広告費も稼げるため、ほかの媒体は喜多川氏の問題行為について報道できなかったという。事務所は文春を名誉棄損で訴えた。

 2003年7月、東京高等裁判所は文春のセクハラ行為に関する記事はその重要な部分において真実と認定した。事務所側は上告したが、最高裁は2004年2月に上告を棄却した。

 アザー氏は当時、記事を書いた記者に会うために文春編集部を訪ねる。

 「12歳ぐらいの少年たちが全く同じ体験を話した。これは真実だと思った」と一人が言う。もう一人は当時ですでに30代、40代になっている男性たちの体験を聞いたという。それをアザー氏に語るうちに、記者は涙を流した。少年たちが置かれた「当時の情景がありありと頭に浮かんでしまった」からだ。

「本当に素晴らしい人」?

 アザー氏はほかの被害者にも会った。

 10代で事務所に入り、10年間在籍したリュウ氏は喜多川氏に性的マッサージを受けたが、喜多川氏を「今でも大好き」という。「本当に素晴らしい人」。性的マッサージは「僕にとって、そこまで大きな問題じゃない」。

 一方、2019年まで事務所にいたレン氏はもし喜多川氏に性的なアプローチを受けていたらどうするかと聞かれ、「有名になるのが1番の夢」なので「受けると思う」と答えた。アザー氏は「信じられない」という表情をする。

 筆者自身、ここがもっとも気がめいった場面である。

 アザー氏はジャニーズ事務所を訪れ、経営陣に取材を申し込むが、受付で返される。

 しかし、事態は動いていた。番組放送後の4月12日、元ジャニーズ・ジュニアの一人で現在はミュージシャンのカウアン・オカモト氏が日本外国特派員協会で記者会見し、喜多川氏から性被害を受けていたと証言したのである。これを受けてジャニーズ事務所が社員や所属タレントへの聞き取り調査を行っていることが分かった。

オンラインイベントでは

 5月10日、日英の相互理解を促進する英国の非営利組織「大和日英基金」がアザー氏と監督を呼んでオンラインイベントを開いた。

 番組視聴後、一問一答の時間が設けられた。

 この問題をほとんど報道してこなかった日本のメディアの責任を問う声もあったが、なぜ今まで大きく問題視されなかったのかについて、社会一般の認識にも疑問が寄せられた。

 「日本では性犯罪の被害者は女性という見方が強い。男性が被害者となる場合は想定外だ」と自分自身も性被害の犠牲者という男性が指摘した。

 少女たちが被害者だったら、「もっと大きく扱われたかもしれない」(インマン監督)。

 日本では「喜多川さんはもう亡くなっているのだから、そっとしておいてほしい」という声がある。しかし、加害者が死去しても、被害者の痛みや苦しみが消えるわけではない。芸能界ばかりではなく、スポーツ界あるいは教育の場、家庭でも同様の性的加害が発生しているかもしれない。

 同様の被害の発生を防ぐためにも、独立調査委員会の設置が必要ではないか(補足:原稿執筆時点では調査委員会がなかったが、現在までに事務所が設置している)。

 また、事務所を経て大スターとなった現役の著名人たちが率先して動くべきではないだろうか(補足:現在までに、何人かの事務所出身の著名スターが事件について言及している)。

芸能界だけの話ではない

 日本のこの問題に関する報道について、話を戻してみたい。

 まず、私たちは「芸能界だけの問題ではない」ということを今一度、確認するべきではないだろうか。

 これは言わずもがなのことと思ってきたのだけれども、ジャニーズ問題についての報道ではこの事務所の存在やその影響力、芸能界の中の力関係についての話に偏りがちで、そこで終わってしまいそうになるのが残念だ。

 教育界や家庭内での性被害・加害についてはこれまでにも日本で報道されてきたし、その一環であるという認識で報道を続けていってほしい。

 海外に目をやれば、アメリカでは先述のワインスティーン事件が最もよく知られている。

 アメリカの芸能界、スポーツ界以外では、米映画「スポットライト」を見るとすぐにわかるのだが、カトリック教会での性的虐待事件があった。

 欧州では、聖職者による若い信者への性的虐待事件が長い間隠蔽されてきた。

世界が激震した《カトリック教会での性虐待スキャンダル》のいま「フランスで21万人以上の未成年者が聖職者の“餌食”に」「被害者が“風呂セラピー”を告発」(文春オンライン)

 聖職者に対する信者の信頼を悪用した、非常に悪質な加害だと筆者は思っている。

 筆者が住む英国では、少年サッカーの男性コーチに性加害を受けた男性たちが近年、声をあげている。また、何十年も前から性加害が続いていたのが、男子が通う寄宿学校だ。

 上にいる立場を利用した大人が、子供に性的加害を行うという悪きパターンがある。

 大人である私たちは、子供を守っていかなければならない。

虐待されても、なぜ感謝するのか?

 子どもに性的加害を行う大人に対して、「世話になった人だから」「自分を助けてくれたから」「今でも感謝している」という被害者(現在は大人)がいる。

 先のBBCの番組を見て、元事務所所属者(の一部)が今でも喜多川氏に感謝の気持ちを抱いていることに(少なくともそう発言していることに)、ナレーターは驚いた。筆者も驚いた。

 本人が加害行為を受けたと認識していないなら、周囲の大人はどうしたらいいのだろう?

 「今でも感謝している」という発言の心理を、BBCの番組は「グルーミングが効いている」せいではないかという観点から、心理学者に話を聞いていた。グルーミングとは、子どもからの信頼を得て関係性を操る行為のことである。

 もし自分に何がされたかを大人となった自分が認識すれば、それに対処せざるを得なくなる。それはその人にとって、苦しい行為になるのだろうという指摘もあった。

 筆者はグルーミングという言葉を知らないまま、英国に来た。約20年前のことだ。それ以来いろいろな情報に接するうちに、性的加害を1人の人間の権利を侵犯する行為であると考えるようになった。

 大人でも子どもでも同じことだが、自分の体の最も私的な部分(乳房あるいは性器周辺)に触れることができるのは自分だけであって、他人がこの部分に触る・入ってよいのは自分・本人の了解がある時のみである。

 自分の最も私的な領域に、他の人が自分の了解なしに入ってこようとする時、大人も子どもも「ダメ」というべきだろう。

 自分には自分だけの私的部分があり、他人は自分の了解なしには入ったり触ったりしてはいけないのだ、と「もし」思っていないとしたら、他人がこの空間を侵犯しても、侵犯されたと認識できないのではないだろうか。

 読者の皆さんに、「大人として、子どもを守っていこう」というメッセージを送りたい。自分の子どもにも、他の人の子どもにも性的加害が及ばないよう、注意を払っていこう。

 芸能界だけの話ではなく、「メディア報道が十分ではなかった」だけの話でもない。

 大人が子どもを守るために、他人が犯してはならない領域があることを子どもに教えていこう。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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