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英高層住宅「グレンフェル・タワー」の火災から4年 72人の犠牲者を忘れない

小林恭子ジャーナリスト
グレンフェル・タワー火災のメモリー・ボードに置かれた作品(14日、撮影筆者)

 2017年6月14日に発生した火災によって、72人の犠牲者が出たロンドンの高層住宅「グレンフェル・タワー」。火災でこれほどの犠牲者が出るのは、英国では第2次世界大戦以来だという。

 4年前の2017年、火災から3日後に筆者は現地を訪れた。このとき、24階建て全長67メートルのタワーの上部からまだ煙が出ていた。周辺に集まった人々が立ち止まり、タワーをじっと見続けていたことを思い出す。

 今年6月、筆者は久しぶりに現地に出かけてみた。

 火災直後は最寄り駅ラティマー・ロードは一時閉鎖されていたが、今は元に戻っている。

最寄り駅「ラティマー・ロード」(撮影筆者)
最寄り駅「ラティマー・ロード」(撮影筆者)

 タワーを見て、おそらく、人が最初に気づくのはその大きさだ。駅のプラットフォームから外に目をやると、突出して建つ大きなビルがグレンフェル・タワーだ。

 現在は外側が白く覆われ、上部に「グレンフェル いつまでも心に」というメッセージと緑色のハートのイラストが見える形になっている。火災発生当時は約300人がタワー内にいたとみられ、約230人が避難した。

タワーには白い覆いがかかり、上部に「グレンフェル いつまでも心に」というメッセージ(撮影筆者)
タワーには白い覆いがかかり、上部に「グレンフェル いつまでも心に」というメッセージ(撮影筆者)

 今年6月12日、現地を歩いてみると、4年前の喧騒とは打って変わり、静けさがあった。

 駅近くの住宅の柵には取材に配慮を求める紙が貼ってあった。

周辺住宅前の柵にはメディアに対して、住民の写真撮影及びインタビューには慎重にと書かれたメッセージの張り紙があった(筆者撮影)
周辺住宅前の柵にはメディアに対して、住民の写真撮影及びインタビューには慎重にと書かれたメッセージの張り紙があった(筆者撮影)

支援物資が片づけられて

 火災発生後まもなくは、最寄りの教会「ラティマー・コミュニティ・チャーチ」の隣には犠牲者への追悼を記すためのメッセージ・ボードが置かれ、全国から送られてきた支援物資が山のように積まれていた。今は物資は片づけられ、閑散としている。

 一部に追悼の緑の印、ハートマークなどが集められた場所があた。

緑の印、ハートマークなどが飾られていた(撮影筆者)
緑の印、ハートマークなどが飾られていた(撮影筆者)

コミュニティ・チャーチの隣の駐車場近辺。かつては支援物資が積まれていた(撮影筆者)
コミュニティ・チャーチの隣の駐車場近辺。かつては支援物資が積まれていた(撮影筆者)

 近場にあるスポーツクラブも、その施設を支援物資の置き場所、そして地元住民の支援のための拠点として提供していたが、今は通常稼働に戻っているようだ。

スポーツクラブ施設の入り口(撮影筆者)
スポーツクラブ施設の入り口(撮影筆者)

かつて支援物資がたくさん置かれ、多くのボランティアがいたクラブ施設の一部(撮影筆者)
かつて支援物資がたくさん置かれ、多くのボランティアがいたクラブ施設の一部(撮影筆者)

 犠牲者への追悼、コミュニティの結束を表す緑色やハートマークが近辺のあちこちで見られた。

 ボランティアの男性が犠牲者の名前が入った緑色のカードを最寄りの住宅の柵に、1つ1つ括りつけていた。

 14 日の4周年に向かって、着々と準備が進んでいるように見えた。

緑でいっぱいの飾り付け

近辺には火災の犠牲を追悼する緑のイメージやリボンが至る所にある(撮影筆者)
近辺には火災の犠牲を追悼する緑のイメージやリボンが至る所にある(撮影筆者)

 14日、改めて訪れてみた。

 すっかり飾り付けが終わったようで、駅近辺の木々には緑の布が縛り付けられ、建物の外壁などに緑色の星、蝶々、ハートが描かれていた。

周辺の住宅前の柵に犠牲者の名前と緑のリボンがくくられていた(撮影筆者)
周辺の住宅前の柵に犠牲者の名前と緑のリボンがくくられていた(撮影筆者)

 前日13日と当日14日には、グレンフェル・タワーの元住民や関係者がタワー周辺を歩くコースが準備された。

 誰でも訪れることができるのは、タワー近くの特設メモリー・ボードだ。ケンジントン・レジャー・センターの横にあり、壁には様々なアートワークが施されている。

 遺族が置いた花輪、故人の写真、ろうそく、「メッセージ・ツリー」(メッセージを緑色のハート型の紙に書き、これをツリーに括る)も置かれていた。

 筆者が到着したのは昼頃だった。時間が経つにつれて、続々と花束が増えていく。

 壁から少し離れた場所に、遺族や友人と思われる人々、ボランティアなどがそれぞれ小さなグループを作って、腰を下ろしていた。

 「あなたのことは、決して忘れない」

 「いつまでも覚えているからね」

 「愛している、おじいちゃん」。

 メッセージを読み、花束を見ていると、72人という大きな数字の犠牲の衝撃、悲しみが伝わってくる。

 少し視線を上に上げると、巨大なグレンフェル・タワーが見えた。

 突然、号泣が聞こえた。遺族と思われる人々の中にいた初老の男性が泣き出した。親、パートナー、あるいは子供を失ったのだろうか。周囲の人々が男性の肩を抱いた。

 メモリー・ボードの前を歩きながら、スマートフォンで写真撮影をしている女性がいた。緑色のワンピース。撮影しながら、時折、涙をぬぐっている様子が見えた。

メモリー・ボードの前で写真を撮る住民(撮影筆者)
メモリー・ボードの前で写真を撮る住民(撮影筆者)

 グレンフェル・タワーの火災については、2017年6月、「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラムに書いている。よろしかったら、ご覧いただきたい(17日には最新コラムを掲載予定)。

グレンフェル・タワー 火災事件の背景 なぜ高層住宅なのか?(2017年6月)

 タワーはケンジントン・チェルシー行政区による公営の低所得者用住宅(「ソーシャル・ハウジング」)の1つだった。

 この行政区は富裕層が住むイメージがあるが、一部は貧困地帯で、グレンフェル・タワーの周辺はイングランド地方の最貧国地域のランキング上位10%に入るほど。

 1970年代に建築された高層住宅を行政区は2016年に改築するが、政府が設置した独立調査委員会の調べによって、この時使われた外装保護パネル(クラディング)が最初の出火をあっという間に建物全体の火災に広げたことが分かってきた。

 調査委員会は「事実解明の調査」を終え、現在は「責任追及のための調査」を行っている。公聴会の中で、グレンフェル・タワーに使われた外装材が安全基準に達していないことをメーカー側が知っていたことが明らかになった。

 政府は同様の外装材を高層建築物で使用することを禁止したが、すでに取り付けられている外装材の取り外しはまだ完全には終わっていない。

 外装材ばかりか、ほかにも安全基準を満たしていない状態の住宅に住んでいる人がたくさんいると言われている。

 グレンフェル・タワーの避難家族のほとんどは別の住宅をあてがわれたものの、先の独立調査が終了してからでないと、警察の捜査が次に進まない状態のため、火災から4年以上過ぎても、「誰も罰せられていない」ことへの大きな不満が残る。独立調査の終了は来年の予定だ。

犠牲者を忘れないための記念碑を建設へ

 火災の犠牲者を追悼する記念碑を作るための試みが続いている。

 政府が財政支援を提供するが、独立組織として活動する「グレンフェル・タワー・メモリアル・コミッション」は住民からの意見を募り、記念碑の形を決める予定だ。

 今のところ、「平和的」、「顧みる」、「敬意を持つ」、「思い出す」、「希望」、「前向き」、「コミュニティ」、「愛情」などのキーワードを想起させるような記念碑のアイデアが寄せられているという。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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