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北アイルランドで殺害された10人 「全員無実」と判断下る 50年後にやっと

小林恭子ジャーナリスト
検視結果に歓喜する、殺害されたジョゼフ・コーさんの遺族。11日(写真:ロイター/アフロ)

「10人は完全に無罪」

 英領北アイルランドでは、1960年代末から98年まで、プロテスタント系住民とカトリック系住民、それぞれを代表する民兵組織、英国本土から治安維持のために派遣された英軍も入っての武力紛争(「北アイルランド紛争」、別名「トラブルズ」)が発生し、約3700人の犠牲者が出た。

 1971年8月9日から11日にかけて、主要都市ベルファスト西部のバリマーフィー地域でカトリック系住民10人が殺害される事件が起きた。これは後に「バリマーフィーの殺りく事件」と呼ばれるようになる。

 長い間、事件の解釈はこうだった。「10人はアイルランド共和国との統一を願うナショナリスト系民兵組織の1つ『アイルランド共和国軍』(IRA)のメンバーである。当時多発していた暴動の中で武器を持って戦っており、このために英軍兵士によって射殺された」、と。

 しかし、真実は違っていた。

 事件の背景を見ていこう。

バリマーフィーの殺りく事件に至るまで

 1971年当時、IRAによるテロ行為を阻止するため、英軍はナショナリストが住む地域の掃討作戦を行った。数百人規模の被疑者を拘束し、裁判を行わないままこう留した。民主主義社会では許されないような動きである。

 「裁判なしのこう留」に抗議する暴動が次々と発生した。カトリック住民の一部は通りにバリケードを作り、火炎瓶を英軍に投げつけた。

 ベルファスト市内では、8月9日と10日の両日で爆発事件が12件、襲撃が59件、死亡17人、負傷者25人、13件の暴動、18件の放火が記録された。

 こうした中、IRAの牙城とされるバリマーフィーで、次々と死者が出た。

 翌72年の死因検査は殺害事件一つ一つを個別に扱い、「死因状況不明」という結論が出た。

 それから50年近く、遺族は「民兵組織の一員ではなかったのに」という無念の思いを抱いてきた。

 遺族らは北アイルランド自治政府の法律顧問を担当する法務長官に対し、新たな死因審問を開始するよう要求。これが認められたのは、2011年であった。

 2018年11月、検視官シボーン・キーガン氏による審問が始まった。調査は約100日にわたり、60人以上の元兵士、30人を超える市民、そして弾道学や病理学の専門家から意見を聴取した。

 今年5月11日、検視法廷での判断が発表された

 その結果、10人は「完全に無実だった」。民兵組織の一員ではなく、武器も持っていなかったことが判明した。

 「軍隊には人の命を守り、損害を最小限にする義務があった」、この事件のような「武力行使は明らかに度を越していた」(キーガン検視官)。

 どのような状況で、殺害が起きたのか。

牧師と若者の死

 1971年8月9日、ラテン語に堪能だったヒュー・マラン牧師(38歳)と子供一人を持つ父親フランシス・ジョゼフ・クイン氏(19歳)は、スプリングフィールド・ロードで発生した暴動の中で英軍兵士の銃撃を受けた。

 キーガン検視官によると、マラン氏は「武器を持っておらず、いかなる意味においても脅威をもたらす存在ではなかった。その場にいた、傷を負った男性を助けようとしており、争いを避けることを意味するため、手に持った白い何かを振っていた」。クイン氏も「武器を持たず、脅威をもたらすような行動をしていなかった」。

 同じく9日、陸軍兵舎の近くにいたジョアン・コノリー氏(44歳)、ダニエル・テガート氏(44歳)、ノエル・フィリップス氏(19歳)、ジョゼフ・マリー氏(41歳)が命を落とした。どの人も「武器を持っておらず、いかなる意味においても脅威をもたらす存在ではなかった」が、銃撃を受けて亡くなった。

 同日の3番目の事件では、火炎瓶を投げつける人々のそばにいたエドワード・ドヘティ氏(31歳)が兵士によって射殺された。兵士はドヘティ氏に十分な警告を与えず、発砲についての陸軍の規則も順守しなかった。

 11日未明、脅威をもたらすような言動をしていなかったにもかかわらず、ジョゼフ・コー氏(43歳)とジョン・ラバティ氏(20歳)が複数の兵士による発砲で死亡した。

 ここまでは、全員が英軍による殺害であったと検視官は言う。

 しかし、11日、元兵士ジョン・マッケー氏(49歳)が銃殺された時、誰が銃弾を発したのかについて、証拠不十分のため特定できなかったという。それでも、「マッケー氏は誰かに脅威を与えるような、あるいは凶器の使用を正当化するような行為をしていなかった。武器を持っていなかったことは確かだ」。

 元陸軍大尉で現在はセキュリティ・コンサルタントのトム・クルーナン氏はフィナンシャル・タイムズ紙(11日付)の取材の中で、当時の英軍は、現場では「非常に挑発的姿勢」を維持することが常だったという。

 「バリマーフィー事件が起きたのも、無理はない」。様々な社会的背景を持つ人が殺害されたことをみると、無差別な攻撃であったことが分かるという。

「50年ぶりに、肩の荷が下りた」

 判決の発表後、亡くなったエドワード・ドヘティ氏の息子パトリックさんは、報道陣に対し「これで肩の荷が下りた。大きな悲しみと痛みが50年間、あった。今は本当に救われた」と述べた。

 ダニエル・テガート氏の息子、ジョンさんはこう語る。「キーガン検視官は愛する家族に正当化されない暴力が使われた、と言った。50年経って、汚名がようやく晴れた」。

元兵士の懸念

 検視結果の報告書の中で、検視官はエドワード・ドヘティ氏を殺害した兵士を「M3」というアルファベットを使って特定した。M3は火炎瓶を投げつける人から「自分の命への恐怖を感じた」のかもしれないが、短機関銃の使い方は「正当化できない」。M3の短機関銃の弾丸がバリケードの背後にいたドヘティ氏に当たったという。

 英国の保守層の中には、「何十年も前の事件で、軍務を遂行していた兵士の責任を今さら問う必要があるのか」と考える人が少なくない。

 保守系デイリー・テレグラフ紙は、同様の文脈で「退役軍人、新たな北アイルランド紛争の訴追に直面する」とする見出しの記事を載せた(12日付)。

 キーガン報告は北アイルランドの検察局に提出される見込みで、そうなれば「今、70代のM3が訴追対象になる」と懸念を示す。

 一方、11日にエリザベス女王が発表した施政演説は、議会の今会期中に政府が達成することを目指す政策を示すが、この中に「北アイルランド紛争から引き継がれた問題を処理するためのレガシー(遺産)法の成立」が入っている。そして、この法は「英兵への将来の訴追を制限することも含む」とあった。

 法が成立するかどうかは不明だが、「武器を持っておらず」、「正当化できない」状態で殺害された住民は今回の場合だけではない。遺族にとっては大きな打撃になる可能性がある。

11日、記者会見に臨むバリマーフィー事件の犠牲者の遺族
11日、記者会見に臨むバリマーフィー事件の犠牲者の遺族写真:ロイター/アフロ

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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