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#BlackLivesMatter】米国のフロイドさん事件をほうふつとさせる 英国人男性の死

小林恭子ジャーナリスト
1998年、警察による拘束中に亡くなったオルダーさん(募金サイトより)

 「息ができない」。

 5月末、米ミネアポリスで白人警官に首の部分を押さえつけられた黒人男性ジョージ・フロイドさんはこう叫んだ。約9分後、フロイドさんは亡くなった。

 フロイドさん事件をほうふつとさせる悲劇が、1998年、英国でも発生していた。

 享年37歳のクリストファー・オルダーさんの例だ。

 オルダーさんは警察の勾留場所にうつぶせになったままとなり、窒息状態で亡くなった。オルダーさんを囲んでいた警官らは何の手助けもしようとせず、のちに「不法殺人」という判決が出た。2006年、警察の事件を捜査する「独立警察苦情委員会」(当時)は、警官らが業務を怠っていたこと、「意図的ではない人種差別主義」があったと指摘した。

 これまでの報道から、事件を再現してみる。

オルダーさんとは

 オルダーさんは1960年、イングランド地方東部ハルで生まれた。両親はナイジェリア出身の移民である。16歳で英軍に入り、パラシュート隊の一員としてフォークランド紛争や北アイルランドの治安活動に従事した。

 除隊後の1998年当時、地元のカレッジでコンピューターのプログラミングを勉強中だった。パートナーとの間に二人の子供をもうけていたが、別れてしまい、子供たちは母親と一緒に暮らしていた。

警察に拘留されるまで

 1998年3月31日夕方、オルダーさんは二人の友人とともにハル市内に飲みに出かけた。その後、ナイトクラブに誘ったが、友人たちは行かなかった。この時点ではオルダーさんは「ほとんど素面だった」と友人たちは述べている。

 しかし、夜が更けるうちに厄介な事件が起きていく。

 オルダーさんはクラブの他の客と口論になり、いったんは収まったが、翌4月1日午前2時過ぎ、クラブを出たところでクラブ内で口論となった男性に攻撃を仕掛けられた。仲裁に入った人物にオルダーさんは顔を殴られ、道に倒れた。倒れた時に頭部を路上に打った。一時意識不明となったため、クラブの管理者が救急車を呼び、ハル・ロイヤル病院に運ばれた。この時までに、オルダーさんの意識は戻っていたという。

 警官らがクラブに入り、管理者から「オルダーさんは酔っていた」という情報を得た。この間、警察側は直接オルダーさんとは話していない。

 病院に連れてこられたオルダーさん。自分がどこにいるのかわからず、検査には協力的な態度を見せなかった。病院側がX線を撮影しようとしてもなかなか協力せず、とうとう撮影は行われなかった。病院側は警官を呼んでいたが、一部始終を見ていた警官の一人は「この男性はすごく酔っている。薬をやっている人物の行動にそっくりだ」とメモ帳に書いた。

 検査も治療も困難になったため、警官が担当医師に「警察署で勾留をするべきか」と聞いたところ、医師がこれに同意した。

 オルダーさんは病院を離れたがらず、家に帰りたいと主張。警察はオルダーさんを「治安妨害」で逮捕した。

 オルダーさんは手錠をかけられ、警察の車に乗ることになった。目撃者によると、オルダーさんは自力で乗車することができたという。

勾留されてから

 病院から市内の「クイーンズ・ガーデンズ警察署」まで、警察の車でほんの6分ほど。警察によれば、到着時、オルダーさんは「眠っていた」、「いびきをかいていた」という。

 車から引きずり出されたオルダーさん。警官二人の手によって、オルダーさんが勾留場所に到着したのは午前3時46分。「無反応」だったという。後ろ手にした両手に手錠をかけられ、足が床を引きずる状態で連れてこられた。ズボンと下着が膝までおろされ、靴の片方が脱げ落ちていた。連れてきた警官2人、その後ろにいた警官一人、勾留場所にいた担当者、看守の五人がオルダーさんの近くにいた。

 うつぶせになったオルダーさん、彼を遠巻きに見る警官らの姿が監視カメラに記録されていた。

 オルダーさんの口から出た血が床に水たまりを作っていた。

 警官の一人が血について言及したものの、誰一人、オルダーさんを助ける人はいなかった。「オルダーさんは動けないふりをしているに違いない」というのが、警官らの一致した見方だった。

 到着から2-3分後、手錠がはずされた。オルダーさんの体は動かないままだ。警官らはどのような容疑で今後の捜査を進めるかなどの話し合いをしていた。床に広がった血の池に顔を付けたままのオルダーさんが息を吸い、吐くような音が時折、聞こえた。

 監視カメラの動画は、一部の警官らが猿の鳴き声(黒人市民を侮辱する意味)をまねている音をとらえた。

 午前3時57分、ある警官がオルダーさんが息をしていないことに気づいた。2分後、救急サービスに連絡が取られた。

 息が途絶えるまで、11分。

 勾留場所に到着した救急サービスの人員は、警察からはオルダーさんが「呼吸困難となっている」と聞いていたため、必要な機材を持ってきておらず、いったん救急車に戻らざるを得なかった。「死んだふりをしている人物」と言われたオルダーさんを改めて検査。最終的に亡くなったという結論を出したころには午前4時半を過ぎていた。

 オルダーさんが当時着ていた衣類は、警察によって破棄されている。

2000年に死因審査

 2000年、死因審査が行われ、陪審団はオルダーさんの死が「不法殺人(職務怠慢や警備態勢の不備によって犠牲者は不当に亡くなった)」であるとの判断を下した。死因は無理な姿勢による「窒息死」であった。

 当時の警官五人が殺人及び職務怠慢で裁判にかけられたが、2002年、無罪となった。

 しかし、2006年、警察の捜査についての苦情を処理する「独立警察苦情委員会(当時)」は、警官五人のうちの四人が「重大な職務怠慢」であったこと、「意図しない人種差別」があったなどと結論付けた。

 遺族はオルダーさんの取り扱いが欧州人権条約の違反であるとして提訴し、2011年、欧州人権裁判所がこれを認めた。政府は約2万ポンド(現在のレートでは約270万円)の支払いを命じられ、十分な捜査が行われなかったことを謝罪した(しかし、遺族によると「直接の謝罪は、現在に至るもない」という)。

反人種差別運動のデモに遺族の姿

 今年7月11日、イングランド地方南部ブライトンで、「Black Lives Matter(BLM)」(「黒人の命も大切だ」)をスローガンとする、反人種差別運動のデモがあった。5000人ほどの参加者の中に、オルダーさんの妹ジャネットさんの姿があった。

 

 兄の死から22年。その死が「不法な殺人」であったという判決は出たが、これによって「責任を取った人が誰もない」。その日が来るまで、ジャネットさんは「闘い続ける」と述べたという。

ジャネットさん(左)(反人種差別運動のデモにて。今年6月、ハルで開催。募金サイトより)
ジャネットさん(左)(反人種差別運動のデモにて。今年6月、ハルで開催。募金サイトより)
オルダーさんの運動を支持するプラカード(反人種差別運動のデモにて。ハルで開催。募金サイトより)
オルダーさんの運動を支持するプラカード(反人種差別運動のデモにて。ハルで開催。募金サイトより)

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 ジャネットさんは兄の話を本にするために、資金を集めている

 ジャネットさんへのインタビューで構成された、BBCワールドニュースのポッドキャスト「ウイットネス・ヒストリー」(7月8日配信)

 

 

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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