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【英ブレグジット】「合意なき離脱」を止めようとする議事進行のお目付け役、バーコウ下院議長とは

小林恭子ジャーナリスト
元気いっぱいのバーコウ英下院議長(提供:ロイターTV/アフロ)

 この夏には辞任するという噂があった、英国の下院議長ジョン・バーコウ氏が、29日付けの新聞のインタビューの中で「辞めない」、「これほど大きな出来事が起きているときに議長の椅子を空にすることはできない」と宣言し、話題になっている。

 議事を進行し、秩序を維持する役目を持つ下院議長は、どの修正案を議題として選ぶかを決める権利も持ち、現在の英国の最大の懸案事項である、欧州連合(EU)からの離脱=「ブレグジット」=問題の行方に大きな影響力を持つ。

 下院議長は政治的中立性を求められる。政府および離脱派議員はバーコウ氏が離脱を妨げるような動きをしていると批判するが、議場での生き生きとした言動は海外からも注目の的になった。発言を邪魔したり、野次を飛ばしたりする議員らに対して「オーダー、オーダー(静粛に、静粛に)!」と大声を上げる姿が印象的で、ドイツのメディアがバーコウ氏の発言をまとめた動画を公式ツイッターに投稿したところ、多くの「いいね」がついたという。

 ガーディアン紙のインタビュー(5月29日付)によると、「今年7月に辞任する、と言った覚えはない。これまでにはない画期的な出来事が発生し、解決するべき大きな問題もある」。従って、「議長の椅子を明け渡すのは賢明ではないと思う」。

強硬離脱派の目の敵となった議長

 バーコウ議長は、いつしか、政府や離脱派議員の「敵」となってしまったが、それが顕著になったのは今年3月。

 当初、政府は3月29日を離脱の日とし、メイ首相は何回も「絶対にこの日に離脱する」と繰り返してきた。

 ところが、EUとメイ首相が昨年の11月に合意した、離脱の条件を決める「離脱協定案」が、なかなか下院を通らない。協定案の発効には議会での承認が必要だ。

 政府は今年1月15日と3月12日の2回にわたり、この協定案を採決にかけたが、大差で否決。

 メイ首相は、18日の週に改めてこの案を採決に出す予定だったが、バーコウ議長は1604年の議会慣習である「一度否決された動議は同じ会期内に再度採決にかけられない」というルールを持ち出して、3度目の採決にストップをかけた。

 政府に対し毅然とした態度を示したバーコウ氏は、12日に採決した協定案は1月の協定案と「実質的に異なるもの」だったので規則にかなっていたけれども、もし3度目の採決をかけるのであれば、協定案は以前の案と「実質的に異なっている」ことが必要だ、と説明した。同じ案を動議として出そうとしていた政府側は、次に進むことができなくなった。

 このため、EU側は21日に緊急対策として、今後、下院で政府案が可決されれば離脱日を5月22日まで延長し、可決されなくても4月12日まで延長することを決定した。最終的に、3月29日、政府は協定案の一部を下院の採決に出したが、58票差で否決されてしまった。

 その後、またもEUに延長を掛け合ったメイ首相。今度の離脱日は10月31日になった。

 5月21日、メイ首相は「4度目の正直」とばかり、協定案の修正版を6月上旬に採決に出す意思を表明したが、これが「再度の国民投票」の可能性を容認するものであったため、与野党が大反対。閣僚たちも「どうせ通らないから、出さない方がいい」と説得した。最終的に、24日、メイ首相は6月7日で保守党党首を辞任すると表明した。

 現在、事実上の党首選が始まっている。すでに二ケタ台の政治家が立候補の意思を宣言しており、これから保守党議員の投票によって二人に絞り込み、その後は保守党(約16万人)の投票で新・党首決定となる。自動的にその人物が首相となるが、7月末までには決まると言われている。

 

 焦点は、新党首・首相がブレグジットを本当に実現させることができるかどうか。

 23日の欧州議会選挙で、その名もずばりの「ブレグジット党」という名前の政党が、正式結党から6週間で第1党となり、保守党や最大野党・労働党は大敗した。

 こうした背景もあって、有力候補のボリス・ジョンソン元外相やドミニック・ラーブ元離脱担当大臣は「合意なき離脱」(離脱条件を決めずに離脱)も辞さないという姿勢を明確にしている。

 バーコウ議長の「辞めない宣言」は「合意なき離脱、簡単にはさせないぞ」というメッセージだ。

 すでに下院では「合意なき離脱」を否定する動議が可決されており(ただし、拘束力はないという条件付きだった)、与党が下院で過半数の議席を持たないこともあって、議長は「下院の力で合意なき離脱が発生しないようにする」方向に進ませる可能性がある。

議長の役割とは

「議長」の役割ができたのは1377年。下院議員の無記名投票によって選出される。議事を進行し、秩序を維持する役目を持つ。政治的中立性を求められる。不適切な発言を撤回させその議員を停職措置とする、議論を中止させる、などが可能。どの修正案を議題として選ぶかを決める権利も持つ。

 下院議長は前議長が辞任した場合か、総選挙後に下院議員らによって選出される。バーコウ氏は2009年以来、現在の職に就いている。それ以前は保守党の下院議員(1997年初当選)だったが、議長就任と同時に中立性を保つため保守党から離党。

 かつては保守党の中でも右派だったが2000年ごろから同性愛者の権利保護に賛同し始め、労働党に近い左派になったと言われている。「下院の堅苦しさを緩和したい」と述べて、男性議員のネクタイ着用を免除し、自分自身も下院議長の伝統だった半ズボンとタイツの組み合わせではなく、普通のビジネス・スーツにマントを羽織って登院するようになった。

 以前の議長よりも平議員に発言の機会をより多く与えると評価される一方で、議事の進行や秩序を乱す議員の行動には容赦なく介入するバーコウ氏は「自分が目立ちたいだけ」という批判も受けている。例えば、2018年の米大統領ドナルド・トランプ氏の訪英時には、「人種差別主義・性差別主義」の大統領が下院で演説をすることに反対し、政治的中立性に疑問が呈された。

 また、バーコウ氏の職員に対するいじめ疑惑が持ち上がったこともある。

 離脱強硬派の政治家は、同氏が「隠れ残留派」だと主張するが、バーコウ氏自身は、米テレビ局CNNのインタビューの中で、自分の役割を「サッカーのレフェリー」に例えた。

 一時的にでも3回目の採決を阻止したバーコウ氏は、下院議長の中立性から逸脱した行動を取ったように見えたが、17世紀初めにできた議会慣習は、実は19世紀以降に何度も適用されており、同様の行動を取った議長が今までにもいた。

 英国の議会(君主・上院・下院の三構成)は立法府として絶対的な主権を持っており、メイ首相は議会の大きな権威に改めてドキリとした違いない。

 さて、政府案が先に何度も否決されている上に、「合意なき離脱」を下院が阻止した場合、代案があるかというと、今のところ見えてこない。ますます将来が不透明になるが、まずは党首選を追っていくしかないだろう。

 (英国の邦字媒体「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラムに補足しました。)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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