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米映画監督ウディ・アレンのキャリアはもう終わりか? ―養女が性的虐待を暴露、映画スターがサヨナラ宣言

小林恭子ジャーナリスト
映画スターに続々と縁切り宣言をされている、ウディ・アレン監督(写真:ロイター/アフロ)

 昨年秋以降、ハリウッドの大物プロデューサー、ハービー・ワインスティーンによるセクハラ・性犯罪疑惑が次々と暴露され、「私も」と声をあげる女優、男優たちが出てきた。これが今や「ミー・ツー(私も)」という掛け声の暴露・告発の流れになったことは、皆さんもご承知の通りである。

 ここ数か月で、ワインスティーンに限らず、著名俳優や他の映画関係者、英政治家の名前もあがるようになった。

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 「セクハラ・性犯罪疑惑」と言っても、「女性の膝に手をかけた」(セクハラ)から「レイプされた」(性犯罪)まで、様々な度合いがあるものの、堰を切ったように、一斉に過去の体験が語られるようになった。

 結果として、その才能を高く評価されていた俳優、写真家、映画監督がそのキャリアを抹殺されかねない状況が生じている。

 そんな一人が、米俳優ケビン・スペイシーである。映画「ユージュアル・サスペクツ」でスターとなったスペイシーは、ロンドンのオールド・ビック劇場の前芸術監督である。米「ネットフリックス」のドラマ「ハウス・オブ・カード」の主演で人気を博していたが、何件ものセクハラ・性的暴行疑惑が出たことで、ネットフリックスは「ハウス・オブ・カード」の撮影を中止してしまった。近く公開予定だった映画「オール・ザ・マネー・イン・ザ・ワールド」には別の俳優が起用され、スペイシー撮影分はカットされて上映された。

 スペイシーに対する疑惑の中でどれが実際に起きたことなのかを判断するのは難しいが、数人が一斉に嘘をつくとは思えない。オールド・ビック劇場の方でも監督不行き届きであったことを謝罪しており、何か不適切なことが起きたと解釈してよいだろう。

 一連の疑惑が報道される直前まで、スペイシーは英国でも高く評価されていた。彼に気に入られれば、ハリウッド映画に出るコネも作れるだろうし、スペイシーにしてみれば、怖いものなしの状況であっただろう。

 しかし今は・・・。彼の俳優としてのキャリアはいったんは死んだも同然だ。

 もう一人、「もう終わり」かもしれないのが、米映画監督ウディ・アレンである。「アニーホール」や「マンハッタン」など数々の名作を制作し、俳優ならば一度は彼の作品に出てみたいと思うような監督だが、ここにきて、非常に困難な事態に陥っている。

映画スターが「もう彼とは仕事をしない」と宣言

 アレンに対する疑惑の事件は、25年ほど前に発生したと言われている。

 アレンは女優ミア・ファローと恋愛関係になり、カップルとして長年一緒にいた。しかし、1990年代に破局。親権裁判でファローはアレンが養女ディランに性的に不適切な振る舞いを行ったと主張した。アレンはこれを否定し、母ファローによる作り話だと述べた。当局の調べでは、アレンの虐待疑惑について証拠が決定的でないとの判断が下され、コネティカット州警察の捜査でも訴追とはならなかった。元々、ファローがアレンと別れることにしたのは、別の養女スンイー・プレビンのヌード写真をアレンが撮影していた事実を知ったためであった。1997年、アレンはスンイーと結婚した。

 2014年、アレンはゴールデン・グローブ賞の功労賞を受け取った。これを知ったディラン・ファロー(以下、「ディラン」と表記)は7歳の時に養父アレンに性的虐待を受けたことを説明し、映画関係者はアレンを非難するべきだ、とする公開書簡を発表した。アレンはそのような事実はないと疑惑を否定した。 

 昨年10月にワインスティーンに対する疑惑が発覚すると、ディランの主張に改めて注目が集まった。12月、米紙ロサンゼルス・タイムズにディランは「(MeToo(私も)革命は、なぜウディ・アレンを見逃すのか」と題する署名記事を発表し、今年に入って、アレンを「弱みに付け込んで人を利用する人間」などと非難するツイートを流した。

 ディランによる署名記事の後、俳優たちが次々と彼女への支援を表明した。

 まず、アレンの次作「ア・レイニー・デー・イン・ニューヨーク」に出演したグリフィス・ニューマンが、自分の出演料を慈善団体に寄付すると申し出た。「倫理観よりも自分のキャリアを優先するわけにはいかない」という。同じくこの映画に出たレベッカ・ホールも、ティモシー・チャラメットも出演料を慈善団体に寄付したいという。

 アレンの監督作「誘惑のアフロディーテ」(1996年)でアカデミー助演女優賞を獲得したミラ・ソルビーノは、アレンと働いたことをディランに謝罪する公開書簡を発表し、「ローマでアモーレ」(2012年)に出たグレタ・ガーウィグは「今知っていることを当時知っていたら、映画には出なかった」と述べた。「マジック・イン・ムーンライト」(2014年)で主演したコリン・ファースも、今後アレンの映画には出ないと宣言している。

 一方、アレンのガールフレンドの1人だったダイアン・キートンは、2014年の時点で、「ウディを愛している。友人を信じる」と述べており、男優アレック・ボールドウィン(アレンの「ブルー・ジャスミン」などに出演)は、人間としてのアレンとその作品を拒絶するのは「不公平であり、悲しい」とツイートした。アレンはニューヨークとコネティカット州で取り調べを受けたが、「何の罪にも問われていない」。

 1月17日、ディランは米テレビに出演し、涙ながらに自分が7歳の頃にアレンに性的虐待を受けたことを語った

 いったいどちらが本当のことを言っているのか?真実は、2人にしか分からない。

 筆者にもどちらが真実を述べているのかは分からないが、俳優たちは「出演料を慈善団体に寄付する」と表明したことで、ディランの側に立った。彼女が言うことを信じた。

 しかし、「もし」アレンが潔白だったら・・・?

真実は不明だが

 どちらが本当のことを言っているかは、その人に才能があるかないか、あるいは「いい人」として家族や友人・知人に慕われているかどうか等の要素では判断できない。

 親友、夫あるいは妻の前では「信頼できる、素晴らしい人物」であったとしても、人間にはいろいろな面があるものだ。

 ワインスティーンのスキャンダルが発覚してから、筆者は人間の弱さについて考えている。

 誰にも知られず、絶対に咎められない状況で、ある誘惑が発生した時、これにあらがうことができるだろうか、と。

 ワインスティーンの場合を思い浮かべてみてほしい。周囲の誰にもちやほやされ、お金には全く不自由せず、ありとあらゆる人が自分とつながりを持つために近寄ってくるとき、不当なことをしないように自制できるだろうか?自分が担当する映画に出たい人はたくさんいて、何でもできる力(権力)を持った時、「いや、待てよ」と思えるだろうか。その権力を使って他者を屈服させたい、自分の思う通りにさせたいという欲望を抑えることができるだろうか?

 アレンが何らかの形で「強者」であった時、「弱者」となる女児のディランに何かをしてしまった・・・ということはないのかどうか。

 現在、82歳のアレン。今後とも映画作りを続けることができるかどうかは不明だ。

 誰にも相手にされなくなった、ケビン・スペイシーのような末路になる可能性が出てきた。

 もしこの一連の流れが映画だったら、アレンとディランが会い、例えばアレンがディランに心から謝罪する。あるいはディランがアレンに謝罪する。2人は「和解に至った」ことを弁護士を通じて発表するが、内容を公開しない・・・。何らかの癒しによって、2人が次の段階に進むことができると良いのだが。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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