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人を通してイラク戦争を考える -家族と両腕を失ったアリ・アッバス君(3)周囲に見守られて成長 

小林恭子ジャーナリスト
学校の校庭で微笑むアリ君(左)とアーマド君

アリ少年が通う私立の学校、ホール・スクール・ウインブルドンは、ロンドン南西部の住宅街にある。夏休みに入る直前、アリ少年ともう1人のイラク人の少年アーマド・ハムザ君(17)の世話をしている女性、ミナ・アルカティブさんと共に、学校を訪れた。アルカティブさんもイラク人で、フセイン元大統領の圧制から逃れて英国にやってきた。

建物の入り口に、ダーク・ブルーのジャージ姿のアーマド君がいた。アーマド君とアリ君が住む家を私が訪ねたことを思い出したらしく、「あー、日本人のジャーナリストの人だね!」と笑顔を見せる。アーマド君は、アリ君同様、バグダット出身で、爆撃によって片手と片足を負傷し、英国で治療中だ。

しばらく待合室で待っていると、日焼けが目立つ、めがねをかけた男性が入ってきた。この学校を創立したティモシー・ホッブス校長だった。校長室は一見、通常の住宅の居間のような趣で、いくつかのソファーや椅子が向き合って置かれていた。ベージュを基調とした、温かな、くつろぎの感覚を与えてくれる雰囲気があった。

アルカティブさんと一緒に校長室に座っていると、アリ君が入ってきて、アーマド君も後から入ってくる。アリ君がちょっと恥ずかしそうにしながらソファーに腰掛け、「元気?」などと会話をしていると、校長先生が、「今日は大人だけの話なんだよ。アリ、アーマド、後でね」。そう先生が言うと、2人はやや残念そうに外に出て行った。

「自分たちのことを外の人と話すのが好きなんだよ、アリとアーマドは」と、ホッブス校長。

アルカティブさんとホッブス校長と話していると、ふと、大きな窓ガラスを通して、誰かがサッカーのボールを上に蹴り上げていることに気づいた。ボールの上下を目で追っていると、ホッブス校長は、「アリだよ。関心を引きたいんだよ。困ったよね。中に入りたくてたまらないんだよ」と、やや苦笑いをした。 

ー授業料免除で2人を受け入れ

学校の生徒数は600人弱。日本人も含め、約50カ国からの生徒が通う。ホッブス校長は創始者兼所有者だ。「最初は1人で始めたので、授業を教えるだけでなく、学校給食も自分で作っていた」。給食作りは長年続け、ほかのスタッフにまかせるようになったのはほんの数年前だという。

家庭的な雰囲気の学校を経営するホッブス校長が、学校から近い聖メアリー病院でイラク人の少年たちが治療を受けていると知ったのは、2003年の夏だった。

アリ君たちの面倒をみていたのは病院の中にある、慈善団体リムレス協会で、ホッブス校長は協会を通じて2人の少年に会うことができた。学校が国際色豊かであるため、すでに英語を外国語として教える教師もおり、2人は授業参観という形で短時間、学校を訪問することになった。

次第に2人の滞在時間は長くなり、ホッブス校長は授業料免除で2人を生徒として受け入れることを決めた。「すでに外国籍の子供を教える体制があって特別に人を雇う必要がなかったし、自分は学校の所有者でもあるから、2人の状況を考慮しての授業料免除の決断は難しくなかった」。

ー「トラウマは見受けられない」

ホッブス校長によると、両腕や肉親を爆撃で失ったことによるトラウマの跡は、「少なくとも2人を見る限り、ない。特にアリにはないようだ」。

「学校にいる時の様子を見れば、2人とも非常によく周囲の環境に溶け込んでいる」。これは、ホッブス校長にとって驚きだったが、懸念でもあるという。あまりにも屈託がないので逆に、いつかこれが崩れたときの衝撃が大きいのではないかという懸念だ。

同じような懸念をアルカティブさんも口にしていた。

ケアーワーカーに面倒を見てもらいながら一緒に暮らしているアリ君とアーマド君だが、2人の自宅を訪れた時、同席していたのがアルカティブさんだった。

少年たちへの取材は支障なく進んだが、爆弾を落とした側の国に住んでいることに関しての感想を求めると、アルカティブさんはきつい表情になり、「そういうことは本人に聞かないで欲しい」と言っていた。

取材などを通じて、2人が身の上に起きた悲惨な出来事を語り、ジャーナリストたちがその時の感想などを聞くことで、痛みや悲しみの感情が爆発するのでは、とアルカティブさんは心配していた。「今は何のトラウマの跡も見えないからこそ、心配だ」。

「何年か経って、アリやアーマドが1人になって、ある時、すべての意味合いを自分自身で確認したときに、とても苦しむのでないか?これが心配でたまらないし、そういう時が来ることに対して恐怖感が、自分自身ある」。

ホッブス先生はアルカティブさんの悩みを「十分に理解するし、懸念も共有する」が、学校としてはジレンマがあるという。「生徒自身に何らかの異常が見受けられなければ、学校として医者に連絡を取ることは難しい。精神的ストレスが見える形で出ていれば、行動を起こせるのだが」。

ー仲間たちの支え

ホッブス校長は、悲惨な出来事が起きたにも関わらず、アリ君たちが学校生活に非常によくなじんでいるのは、「おそらく周囲の人々やほかの生徒からのたくさんの愛情と友情に囲まれているからではないか」と推測する。「イラクで育って、様々な暴力的な場面に出くわして、感覚が鈍化している部分もあるかもしれないが」。

筆者は、アリ君の自宅を訪れた時、アリ君が言っていたことを思い出していた。アリ君は足を使ってコンピューターの操作ができるが、戦争ゲームなどをオンラインで楽しんでいると話した。「生まれたときからイラクは戦争状態だったんだよ。慣れているんだ」。

2人は、ほかの生徒たちとも「通常の友人関係を保っている、と言っていいと思う」とホッブス校長。しかし、「全く同じというわけではない」。「子供たち同士がお互いの家に泊まりに行く習慣が英国ではあるけれど、これはほとんどやっていないようだし、放課後、待ち合わせして出かけたりするときにアリを誘うこともないようだ」。

何故なのだろう?

ホッブス校長自身に確信的な答えがあるわけではないという。「一般的に言って、今の世代の子供たちはそれぞれ自己中心的。昔、自分が子供時代はマナーを保つのが重要だった。お互いに親切にしあうなどのマナーを守ることが。今はすっかり変わってしまった」。

ただ生徒たちにとって、イラク戦争が身近になったのは確かだという。「アリは1週間に一度、イラクに残っている親族に学校から電話する。アラビア語が聞こえてくる。グーグルを使ってバグダッドの地図を見ると、同級生のアリはここから来たんだな、と思う。イラクが生徒にとっては近い存在となった」。

しかし、「自分たちの政府がアリが腕を失ったことに責任ある、というところまでは考えていない」。

話を学校の外に広げると、ホッブス校長は一種の恥を感じているという。「キリスト教に基づいた国なのだから、もっとお互いに助け合う精神があるかと思ったというのが本音だ。例えば、聖メアリー病院に通っていた2人を自分の学校に連れて来ようとする人はもっと多いと思っていた。ところが、申し出たのは私の学校だけだった」。

ー「アリの姿を見るたびに怒り」

多くの生徒たちが英政府とアリ君の負傷を結びつけるところまでいかないとしても、ホッブス校長自身はイラク戦争をどう見ているのだろう?

「アリと出会う前、自分自身特に強い意見をイラク戦争に関して持っていたわけではなかった。しかし、一般的に言うと、誰かの国を侵略して、結果として起きた損失をそのままにして、その国を見捨ててはいけない」。

ホッブス校長は言葉を選びながら、ゆっくり話し出した。「アリを傷つけたのが自分の国である英国だと思うと、実際、腹が煮え繰り返る思いだ。英国にはイラク戦争を起こした責任がある」。

学校でアリを見るたびに、毎回、何とひどいことをしたのかと思う。「バクダッドに爆弾を落としたとき、何故もっと正確に照準を合わせられなかったのだろう」。

ー将来自立できるだけの技能

ホッブス校長は、アーマド君には配管工などの仕事が合い、アリ君は成績が良いので大学に進む可能性もあると見ている。「英国ばかりか、米国あるいは日本の大学にも、頑張ればいけるかもしれない」。

9月からは、大学進学準備用の特別授業のため、新たに教師を増やす予定だ。「アリは義手を使って文字を書くことはできるけれど、まだまだ不自由なので、口頭で答えて誰かに書いてもらったほうが早い。これをどうするかを考えないと」。

将来の2人の成長を考えるときに重要なのは、「自分たちを特別視しない環境に身を置き、学ぶこと」をホッブス校長もアルカティブさんも口にした。

「人々が2人に興味を失ったときにどうするのか?自立できるだけの技能を身に付けることが本当に重要だ」とホッブス先生。

2人を英国に呼び寄せる道筋を作ったのはロンドンのリムレス(義手義足)協会だった。イラクで負傷した子供たちを助けるための「アリ基金」もここが管理・運営している。アルカティブさんによると、アリ君は「協会があるのは僕たちのおかげなんだよ」と言ったことがあるという。

アルカティブさんは「馬鹿なことを言うな」と叱った。「アリ、明日はどうなるか分からないんだよ。今は人がちやほやしてくれるかもしれないけれど、一生は続かない。1人になったときにでもちゃんとやっていけるように、たくさん勉強して、資格を取っておくんだよ」。

取材を終え、外に出ると、アーマド君とアリ君の姿が校庭に見えた。サッカーのボールを校庭に置いて、2人が私の側に寄ってきた。アリ君はサッカーをするときには「重すぎる」ということで義手をはずしており、両腕の部分にはシャツの袖が下がっているだけだった。「今日はもう終わったの?」「また会える?」といった会話を交わした。

2人は夏休みにはイラクに戻り、親戚に会う予定だという。アーマド君の手を握り、握手ができないアリ君とは体を抱きかかえるようにして挨拶をして、別れた。

夏休みが始まって間もないある日、アルカティブさんから電話があった。アルカティブさんの親族はイラクから逃れ、隣国ヨルダンに住んでいる。英国からヨルダンに行き、家族と会うという。「イラクに戻ったアリとアーマドは秋には英国に戻るよ。戻ったら、食事でもしよう」とアルカティブさん。

8月上旬、バグダットのサッカー場で自爆テロがあり、子供たちが殺されたというニュースをテレビで見た。2人は無事だったろうか?自分たちと同じようにサッカーが大好きな少年たちが亡くなったとのニュースは衝撃的だったに違いない。

バグダットと比べるとあまりにも平和なロンドン郊外の生活。英国が現在のイラクの悲惨な状況を作り出したことを、成長する2人はどう受け止めていくだろうか。(つづく 次回は現在の青年のコメントです。)

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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