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個人を守る報道の実現はできるか? -曲がり角の英新聞界

小林恭子ジャーナリスト

違法すれすれの取材行為、個人のプライバシー侵害、間違いがあってもなかなか訂正を出さず、もし出したとしても申しわけ程度―こんな英新聞界の現状を変えるために、法的規制組織設置への模索が続いている。

前に何度か紹介してきたが、きっかけは大衆紙(廃刊済み)の大規模電話盗聴行為の発覚だ。

昨年末、現状改革に向けての調査委員会の報告書が出て、今、新聞関係者、与野党、国会で議論が続いている。

新たな既成組織は、政府からも新聞業界からも独立していることが条件だ。これを一体、どうやって作るべきなのか。

1月29日号の「新聞協会報」に、この委員会の報告書とその後の動きについて書いた。以下はこれに若干付け足したものである。全体の流れが分かると思う。

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盗聴事件で英調査委員会が報告書

―新たな新聞監督機関の設置を推奨

各紙、一様に法令化反対

英大衆紙による電話盗聴事件を受けてキャメロン首相が設置した、新聞界の文化・慣行・倫理を検証する独立調査委員会が昨年11月末、8ヶ月にわたる調査の後、報告書を発表した。法の遵守を軽視した一部の新聞の報道が「罪のない国民の人生を大きく破壊した」として、法に基づく、新たな独立規制・監督機関の設置を推奨した。

―法規制には賛否

英国の新聞界は、17世紀末に印刷物を事前検閲する法律が失効したことで、過去300年以上、自主規制によって発展してきた。

法による規制が機関化した場合、報道の自由が脅かされる懸念があり、新聞界や一部の政治家、言論の自由擁護団体などが反対している。一方、報道被害者らや野党労働党は、被害を止めるには業界による自主規制では不十分として、法令化を強く支持している。

調査委員会(委員長のレベソン控訴院判事の名前を取って、「レベソン委員会」)発足の遠因は大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(廃刊)での王室関係者の電話盗聴事件(2005年発覚)だ。07年には同紙の記者と私立探偵が実刑判決を受けた。その後、盗聴対象が数千人規模であった可能性が示唆され、11年夏、02年に失踪した少女の携帯電話も盗聴されていたことが発覚。国民の間に強い嫌悪感が広がり、委員会の設置につながった。

委員会は新聞経営者、編集長、記者、政治家、警察関係者、報道被害者など約340人を公聴会に召喚した。

2000ページを超える報告書は、プライバシー侵害、嫌がらせ行為、警察や官僚からの情報売買、他人に成りすまして個人情報を取得する「ブラギング」、コンピューターへの違法ハッキングなど常軌を逸する取材手法が常態化した一部の新聞の報道が「言語道断」のレベルにまで達していると指摘した。

―PCCは解消へ

英国の新聞界には公式の規制監督団体がないが、これに最も近いのが、各媒体が任意で参加するPCC(Press Complaints Commission=英報道苦情委員会)だ。新聞報道への苦情を処理するのが主目的で、参加メディアが運営資金を出す。独自の報道規定も設定している。

レベソン報告書は、PCCが電話盗聴事件の解明に力を発揮できず、違法な取材行為や過熱報道を減じることもできなかったことから、PCCを「非効率的」(キャメロン首相)、「権限のないプードル(注:プードルは大きな権力におもねる存在)」(野党党首)とする見方に「同意する」と述べている。

PCCは新聞の違法報道などに懲罰を課す機能を持っていないが、盗聴事件の矮小化に努めた大衆紙発行元の経営陣の説明を額面通りに受け取り、事件の深刻さを暴露したガーディアン紙の報道を批判するなど、業界の膿を温存させる側についたことが低い評価につながった。PCCは現在、組織解消の過程にある。

報告書は、警察については「大規模な汚職の証拠はなかった」としながらも、幹部が大衆紙の上層部と親しい関係にあったことを批判。政治家は新聞界と「親しすぎる関係」を持ち、「過去30年間、(社会の中の)公務の認識に損害を与えた」と結論付けた。

各紙は報告書の批判を受け入れたものの、法に基づく規制・監督機関の設置には一様に反対の姿勢を示した(デイリー・テレグラフ紙社説「レベソン報告書を実行しようーただし、新聞規制の法令化はやめよう」、12年11月29日付)。

懸念は、国会議員が恣意的に法律を変更し、報道の自由を脅かす体制となる可能性だ。キャメロン首相も報告書発表日、法律による規制への懸念を表明した。

報告書が推奨する規制監督組織は、「高い水準のジャーナリズムを促進する、個人の権利を守るという2つの役割を持つ、独立の」存在だ。具体的には、(1)苦情を聞く、(2)報道の高水準を維持する(逸脱者には適切な制裁を下す)、(3)苦情・紛争解決のために公正で、迅速、安価な裁定の仕組みを提供する。また、違法な取材行為への関与を求められた記者を保護するため、告発者用ホットラインを設ける。

PCCは任意参加であるため、すべての新聞社が会員にはなっていない。新組織への参加を促すための方法として、紛争解決のための裁定体制を利用する場合、組織外の新聞社は巨額の損賠賠償を支払うなどのペナルティーを設ける。

運営役員には、現職の編集長、議員、政府関係者は入れない。新たに報道基準を策定し、違反した場合は、最大で新聞社の売り上げの1%か100万ポンド(約1億4300万円)の罰金を課す。

―違法取材根絶できるか?

レベソン報告書は、「新聞を法的に規制する組織を設立するのではない」、と書いた。組織への「参加を促し、独立性や効率性が実現されているかを検証できるように、法律に基づく形を取る」のだと説明する。

新組織自体の独立性と効率性を監督する存在として、報告書は通信・放送業界の監督機関、情報通信庁(オフコム)(あるいはこれに類似する組織)を挙げた。

しかし、オフコムのトップは政府が任命するため、「政府による新聞界の統制」という面が出てしまうことが一部で指摘されている。

新たな自主規制体制を構築するため、新聞業界ではPCC幹部を中心に、法制化をしない形での組織の設置に向けて意見を調整中だ。野党労働党は昨年末、報道の自由を謳う法律の立法化に向けての提案を発表し、報道被害者団体「ハックトオフ」も年頭に報告書の提案を立法化するための試案を公表した。

2月12日には、連立政権を担う与党・保守党が、国王が法人格を与える勅許に基づいた設置案(「王立憲章」方式)を取りまとめて、発表した。「レベソン報告書の趣旨に反する」、「新たな法律の立法化をするべき」(野党労働党)と、批判が出た。

複数の案が錯綜しており、一定の方向性が見えるまでにはまだ時間がかかりそうだ。

行過ぎた新聞報道を是正するための調査委員会は、過去にも数回、実行されてきた。報道被害を防止し、違法取材を根絶するための仕組みが今度こそできるのかどうかー。英新聞界は曲がり角にいる。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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