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クリストファー・ノーランが劇場再開初日に観た映画に、今注目が集まる理由

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
3年前にオスカー主演賞候補だったダニエル・カルーヤ(左)とティモシー・シャラメ。(写真:Shutterstock/アフロ)

 改めて、今年のアカデミー賞のノミネートリストは歴史的だったと言える。監督賞の候補に女性が2人も入ったこと、それも1人は中国系アメリカ人だったこと、演技賞の候補20人の中に9人も白人以外の俳優が入ったこと、その中には韓国系アメリカ人とパキスタン系イギリス人がいたこと、等々。Netflixを始め配信映画が候補の多数を占めたことなどは、もはや当たり前すぎて主題ではなくなった気がする。今から5年前、演技賞候補20人全員が白人だったために、”白すぎるオスカー”と批判されたアカデミー協会が、その後の5年でここまで改革を推し進めてきた結果ではないだろうか。

 ところで、後は来月の授賞式の開催形式に話題がシフトする中、ちょっとした議論の的になっている作品がある。ワーナー・ブラザースが2月12 日から全米の劇場とHBO MAXで同時に公開&配信している『Judas and the Black Messiah(原題)』だ。なぜ議論を呼んでいるかと言うと、主要キャストの中の2人、つまり、ダニエル・カルーヤとラキース・スタンフィールドが同時に助演男優賞の候補に入ったからだ。彼らは、かつて大ヒットホラー『ゲット・アウト』(17 )で、催眠術をかけられて目を剥く主人公と、ガーデンパーティのシーンで鼻血を垂らす男を演じたことがある。勿論、最近では『アイリッシュマン』(19)のアル・パチーノとジョー・ペシのように、同じ作品で明らかに助演として関わった2人の俳優が助演男優賞を争ったことはある。これに異論はない。しかし、『Judas~』の場合は少し異なる。2人とも主役と言えなくもない関係性なのに、なぜか、オスカーレースでは助演扱いなのだ。特に、ゴールデン・グローブ賞を始め多くの助演男優賞に輝いているカルーヤとは違って、ここまで賞とは無縁だったスタンフィールドは突然のご指名を受けてよほど驚いたらしく、自身のInstagramに4文字言葉も挿入して「あまりのことに混乱している」と過激なフレーズをアップした後に、急いでそれを削除して、より大人しく「俺は顔にタトゥを入れた最初のオスカー候補者さ」(赤ちゃんの名前を入れている)と訂正している。それはそれとして、周囲がじゃあ、いったい誰が主役なの?となるのは必然だろう。一説には、舞台になるシカゴが主役なのではないかという皮肉な意見もあるが、勿論、そうではない。

 物語は、1960年代、アメリカで黒人解放闘争を展開するブラックパンサー党イリノイ支部のリーダー、フレッド・ハンプトン(カルーヤ)と、自ら犯した犯罪との交換条件で、FBIからブラックパンサーへの潜入捜査を命じられるビル・オニール(スタンフィールド)、双方の視点で展開していく。ユダとはオニールで、ブラック・メサイアとは闘争運動のリーダーであるハンプトンを指している。リスキーなミッションを課せられたオニールが、葛藤の果てにある決断を下すまでの精神的彷徨を演じたスタンフィールドは、「演じていて、ハンプトンとダニエル(カルーヤ)を混同してしまう自分がいて、とても苦慮した。なぜなら、人間としてもアーティストとしても、ダニエルをリスペクトしているから」とコメントしている。結果、スタンフィールドの内面表現はとてもリアルで、多くの観客は彼が主役だと認識しただろう。一方、カルーヤは関わる人間すべてを魅了するカリスマがあり、物語を常に動かす役割を巧みに演じている。

 さて、ここでオスカーのルールについて簡単に解説しよう。アカデミー賞はゴールデン・グローブ賞などとは異なり、映画会社の意向やキャンペーンに関係なく、会員がほぼ自由に演技部門を選択し、投票できる決まりになっている。なので、『Judas~』の場合は以下のような投票行動が取られたのではないかと、幾つかのメディアが考察している。それによると、すでに発表された映画賞の結果を見ても分かるように、カルーヤを助演男優候補に推したオスカー会員の多くが、スタンフィールドを主演に推したが、同時に彼らはスタンフィールドを助演候補にも入れた結果、主演候補5枠からはギリギリで漏れたものの、助演候補を集計したら、カルーヤと同じく5枠に入った、との想像が成り立つと言うのだ。オスカーの”自由すぎるカテゴライズ”は過去にもあって、『愛を読むひと』(08)で当初は助演女優としてキャンペーンを展開し、ゴールデン・グローブ賞では助演女優賞に輝いたケイト・ウィンスレットが、アカデミー主演女優賞を獲得したのがそのいい例だ。しかし、助演から主演に格上げされることはあっても、逆はないと明言している業界ウォッチャーもいる。スタンフィールドが削除した最初のInstagramにはそんな思いが表現されていたのかも知れない。

 いずれにせよ、『Judas and the Black Messiah』は本年度アカデミー作品賞、脚本賞、撮影賞、歌曲賞、そして、2人の助演男優賞と5部門で候補となり、93年のオスカーヒストリーに於いて、プロデューサー・チーム全員(監督も兼任するシャカ・キング、『ブラック・パンサー』(18)の監督としても知られるライアン・クーグラー、『ハリエット』(20)を製作したチャールズ・D・キング)が黒人で占められた史上初の作品賞候補作として、すでに歴史にその名を刻んでいる。あまり報道されていないことだが、これは快挙と言えるのではないだろうか。

 ダニエル・カルーヤとラキース・スタンフィールドの演技部門論争は、アワードレースが最終コーナーに差し掛かった今、この作品がいかに急激に評価を上げているかという証拠でもある。先日、クリストファー・ノーラン監督がロサンゼルスの映画館が再開した初日に、マスクをして座席に着席している姿が目撃される。彼が観たのは『Judas and the Black Messiah』だった。因みに本作、残念ながら日本では劇場公開未定で、且つHBO MAXの日本での配信開始はまだ先になりそうだ。

バーバンクにあるAMCシアターでクリストファー・ノーラン発見
バーバンクにあるAMCシアターでクリストファー・ノーラン発見写真:ロイター/アフロ

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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