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イタリアへのエールを込めて、名作「ひまわり」をもう一度

清藤秀人映画ライター/コメンテーター

 第二次大戦後から1950年代半ばにかけて、イタリア映画界は戦後ボロボロになった庶民の生活を徹底したリアリズムで描いた”イタリアン・ネオリアリズム”が席巻した。代表的なのはロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」(45)や「戦火のかなた」(46)、ルキノ・ヴィスコンティの「揺れる大地」(48)、そして、ヴィットリオ・デ・シーカの「靴みがき」(46)や「自転車泥棒」(48)だろう。しかし、1950年代後半になると人々の戦後意識は徐々に薄れ始め、イタリア映画は一転してブルジョワ階級に目を向けるようになる。社会自体が急激な復興を遂げたことが背景にはある。結果、生まれたのがフェデリコ・フェリーニの「甘い生活」(60)であり、ヴィスコンティの「山猫」(63)だった。”イタリアの奇蹟”と呼ばれた経済復興期にあって、デ・シーカは他の巨匠たちとは少し異なるキャリアを辿る。

マルチェロ&ソフィア
マルチェロ&ソフィア

 1953年にハリウッドの大物プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックとの共同出資でイタリア・アメリカ合作のラブロマンス「終着駅」を発表したデ・シーカは、その後、シリアスなネオリアリズムからセクシーで陽気な艶笑コメディやメロドラマへとさらにシフトして行く。その最たる作品が、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが絶妙な掛け合いで演じる「昨日・今日・明日」(63)や「ああ結婚」(64)、そして、1970年の「ひまわり」だ。デ・シーカ、ローレン、マストロヤンニのトリオは、陽気でペーソス溢れるイタリア映画の代名詞として、また、今にして思えば古き良きイタリアの象徴として映画ファンの郷愁をそそる存在である。

 中でも、「ひまわり」は特に日本の映画ファンにとっては不朽の名作として語り継がれる作品だが、欧米での評価は押し並べて低く、不思議なことに詳細なプロダクション・ノートも残されていない。本編の保存状態も良好ではなく、2011年に日本で劇場公開された時には、本国イタリアでポジをデュープして作った上映用ポジを輸入し、日本で日本語字幕を打ち込んだ35ミリプリントが上映されている。そして、映画の公開から数えて50周年を迎えた今年、上記のプリントからさらに細かい傷を修復し、ノイズを除去し、経年劣化に伴う色味調整が施されたHDレストア版が近日公開予定となった。

 そこで、改めて「ひまわり」の魅力を解説してみたい。第二次大戦下のナポリで知り合い、恋におちたジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、アントニオが徴兵される前に結婚し、休暇を取ろうと企むが、計画は頓挫。アントニオは厳寒の戦地、ソ連に送られてしまう。時は流れ、待てど暮らせど戻らないアントニオの生存を信じ、単身ソ連に赴いたジョバンナは、そこで、美しいロシア人妻、マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)と家庭を持ち、平穏に暮らすアントニオと再会する。

 夫の写真だけを頼りに、モスクワからさらに近郊の街へと辿り着くジョバンナの道程は、歴史的なロードムービーとして記録されている。なぜなら、本作は映画史上初めて外国映画が旧ソ連のウクライナにカメラを持ち込んだ作品。劇中には他にも、モスクワのクレムリン宮殿が背景として登場する。撮影中はイタリア側とソ連側との間で軋轢があったと聞くが、それでも、ソフィア・ローレンがソ連の大地を踏みしめて歩く姿は、当時はセンセーショナルだったし、バックで流れるヘンリー・マンシーニのドラマチックなメロディとも相まって、映画は壮大なラブロマンスの名作として映画ファン (特に日本)の記憶に刻まれることになる。

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 自分との人生を忘れ去ったような夫の姿に絶望し、号泣するローレンの熱演は今も語り草だが、改めて観ると、勝手知ったる共演者とあうんの呼吸で渡り合い、受けの演技に徹するマストロヤンニが味わい深い。自分の裏切りを責める妻に対し、声高に反論するでもなく、ただ、戦争を生き抜いてしまった男の変容ぶりを、その弱々しい佇まいで表現するマストロヤンニが絶妙なのだ。

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 戦争が愛し合う男女の関係を完膚なきまで叩き潰す様子を描いたという意味で、「ひまわり」は感涙必至のラブロマンスでありながら、同時に、戦争が庶民に与える厳しい現実にも言及した、監督のデ・シーカにとっては源流のネオリアリズムを根底で踏襲した晩年の代表作と言えるのではないだろうか。

 イタリア映画の隆盛期を支えた名匠でありながら、その抜群のルックスを武器にハリウッド映画「武器よさらば」(57)ではアカデミー助演男優賞の候補に挙がる等、俳優としても活躍したデ・シーカは、多才で無国籍の映画人のパイオニアだった。そのデ・シーカの「ふたりの女」(60)で外国語映画初のアカデミー主演女優賞に輝いたソフィア・ローレンは、イタリアが生んだ戦後最大の国際派女優として世界の映画界を長らく牽引。そして、マストロヤンニはカンヌやヴェネチアで受賞する傍らで、いかにもイタリアのプレイボーイ然とした軽妙な演技で名声を勝ち取って行った。「ひまわり」の前半、ナポリの海岸でジョバンナと戯れていたアントニオが、誤って彼女のイヤリングを飲み込んでしまうシーン等は、素敵過ぎて笑える。因みに、マストロヤンニは妻がある身で、アニタ・エクバーグ、アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレ、カトリーヌ・ドヌーブ等、仕事で苦楽を共にした共演女優たちと約束事のように浮名を流し、「恋人たちの場所」(68)で共演したフェイ・ダナウェイは真剣に結婚を考え、マストロヤンニが妻で女優のフローラ・カラベッラと離婚するまで3年間待ち続けたが、マストロヤンニに離婚の意思がないことを知り、諦めたという映画みたいなエピソードも。

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 ソ連の国境を果敢に跨いだ製作側の勇気、監督が死守し続けた母国映画の遺産、俳優たちの情熱的で人間味溢れる名演、スキャンダルetc。それらすべてが渾然一体となり、改めてイタリア映画と、イタリア人と、イタリアという国への尽きぬ思いが募る「ひまわり50周年HDレストア版」。いまだコロナ渦の最中にあり、苦闘し続けるイタリアへのエールを込めて、世界中の人々と共に再起する日が1日も早く訪れることを心から願う。

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「ひまわり50周年HDレストア版」

ヒューマントラストシネマ有楽町ほか近日公開

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映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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