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スターパワーを維持する55歳。最新作「アド・アストラ」に見る俳優ブラッド・ピットの希有な立ち位置

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
9月12日のブラッド・ピット@日本科学未来館

 去る9月12日。薄曇りの東京は湾外エリアにある日本科学未来館の吹き抜けロビー。当夜の主役、ブラッド・ピットは盛大な拍手に迎えられ、悠然と記者会見場に降り立った。背後には、最新作「アド・アストラ」が描く"ザ・ブルー・マーブル=地球"のバルーンが浮かんでいる。まさに絶好の設定だ。記者たちの質問を遮って、彼はこう言った。「ヘイ、この場所って最高にクールじゃない?」

ジャパン・プレミアでファンに神対応
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 今年、ブラッド・ピットは俳優としてめざましい成果を上げている。まず、盟友クエンティン・タランティーノが監督した「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」では、レオナルド・ディカプリオ演じるアクションスターに影のように寄り添うスタントマン、クリフ・ブースに扮して、控えめだけれど、それ故に不気味な存在感を発揮。すでに、「12モンキーズ」(96)「ベンジャミン・バトンの数奇な人生」(09)「マネー・ボール」(12)に続く4回目のオスカー候補入りが噂されている。これに、早くも受賞が確実視されている「ジョーカー」(19)のホアキン・フェニックスが加わると、来年のオスカーナイトには近年になく派手な顔ぶれが出揃う可能性が大だ。

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 さて、そのピットがキャリア初の宇宙飛行士役を演じているのが「アド・アストラ」だ。ここでは、感情が疲弊し、自己を喪失したかのような主人公が、彼をそうさせた原因でもある父親失踪の真実を確かめるため、遙か宇宙の彼方に浮かぶ海王星を目指す道程が、最新鋭のスペース・ビジュアルを駆使して描かれる。もはや新解釈の余地はない近未来映像を少しだけアップデートしたホイテ・ヴァン・ホイテマ(「007 スペクター」15ほか)の撮影技術、地球から月、さらに火星を経由して海王星まで伸びる"宇宙旅行"の手が届きそうな日常性、そして、人間の内的問題を宇宙空間にまで拡大して描く、小さくて、同時に壮大なストーリー、等々。この作品には魅力的でチャレンジングな要素が数多い。

ブラピの美しいアップ
ブラピの美しいアップ

 ピットの演技はどうか。己の世界に閉じ籠もる主人公、ロイ・マクブライドの閉塞感を、持ち前の抑制した演技で表現する前半から後半までの約1時間半は、控えめだが、ロイの精神状態が観客にも伝わって、演技が過剰でない分、壮大なスペーストリップの案内人として適温だ。全編に渡ってピットのモノローグで構成されているのも、私的なストーリーを物語る上で効果的である。驚くべきは、ラスト30分でピットが披露する、珍しくボルテージが高い感情表現だろう。つい最近、ニューヨーク・タイムズの単独インタビューを受けた際、「やがては映画出演の機会を少なくしていく」と答えている彼だが、それは、先日の来日会見で引退に関する質問が出た際、「今まで通り、心引かれるプロジェクトには参加するつもり」と答えたのと、ほぼ同義語。つまり、彼は俳優引退を宣言したわけでも、前言を撤回したわけでもなく、今後も、自分が興味を持ち、挑戦するに値する作品があれば、たとえば、今回のように自ら主宰する製作プロ、PLAN Bを率いて、必要とあれば俳優業も続けていくつもりなのだ。あらゆる目標を達成した今、必然的に、出演する作品は少なくなっていくだろうけれど。

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「アド・アストラ」でピットから俳優としてのささやかな本能を引き出したのは、監督のジェームズ・グレイだ。実は、2人は25年来の付き合いだという。1994年にグレイが監督した「リトル・オデッサ」を観て、深い感銘を受けたピットが、その感動を伝えるために直接グレイに電話してきたのがきっかけだ。ニューヨークのロシア系移民街を舞台にした、マーティン・スコセッシの世界観ともつながる家族のドラマに、1970年代のハリウッド映画が描いた切れ味鋭いストーリーテリングの妙味を見出したというピットは、以来、グレイとのコラボレーションを模索していた。2010年には、グレイが監督した「ロスト・シティZ 失われた黄金都市」への出演に前向きだったピットだったが、アマゾン・ロケに参加する時間的な余裕がなく、渋々断念。結局、主人公の探検家役はチャーリー・ハナムが演じた。そんな風に度重なるスケジュール的不都合の果てに、遂に実現したのが「アド・アストラ」なのだ。

 長年夢見て来た監督との仕事で、俳優としてチャレンジングな姿勢を見せたピットは、同時に、今年55歳とは到底思えない若々しいルックスと、「ワンハリ」でも話題騒然の"サービスショット"を一瞬だけ披露している。特に、顔のアップの頻度は稀に見るほど高めだ。同じく、会見に出席したアジアの記者からそれを指摘され、「アップが多くでごめんね」と照れながら答えるピットが可愛かった。

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 繰り返すが、55歳にして、依然スターパワーと若さを維持したまま、俳優としても円熟の境地に差し掛かっているブラッド・ピット。そんな存在はハリウット広しと言えどもそうは多くない。野望とか、名誉欲とは無縁な、自然体の有り様も希有だろう。彼の抑制的な性格は、故郷のミズーリ州スプリングフィールドで運送会社を営みながら、ピットを筆頭に3人の息子を育て上げた父親の影響が強いという。貧困に苦しんだ自身の経験から、息子たちには自分よりいい人生を歩ませようと、ストイックに徹した父親の生き方が、ブラッド・ピットという俳優、もしくは人間の原点になっているのかもしれない。

 そんな彼の性格を物語るようなエピソードがある。2年前のアカデミー賞でPLAN B製作の「ムーンライト」(16)が、劇的逆転勝利で作品賞に輝いた時、混乱の壇上に製作のトップであるピットの姿はなかった。実は、その夜、彼は同じL.A.にあるジェームズ・グレイの家で"スパゲティ・ディナー"に参加していたのだ。別室でオスカーナイトを視聴していたグレイの妻から吉報を聞いた時、ピットは「ワオ、それってクールじゃない!?」と薄い反応だったという。「アド・アストラ」の会見場に感動した時と同じように。オスカーナイトより、苦楽を共にした監督の家での食事を優先する。それが、彼のプライオリティなのである。果たして、来年のオスカーナイトにピットは姿を現すだろうか?

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『アド・アストラ』

9月20日(金) 公開

配給:20世紀フォックス映画

(C) 2019 Twentieth Century Fox Film Corporation

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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