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日本公開時、彼女はこの世にいなかった。テート&ポランスキー唯一の共演作「吸血鬼」とは?

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
結婚式でキスするポランスキーとテート@ロンドン、チェルシー(写真:Shutterstock/アフロ)

 クエンティン・タランティーノ監督の最新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」には、レオナルド・ディカプリオ扮する落ち目の活劇スターの隣人として、新婚ほやほやのロマン・ポランスキー監督と女優のシャロン・テート夫妻が登場する。2人の幸せに満ちた新婚生活は、タランティーノがフォーカスする1969年の8月9日、ポランスキーの子供を妊娠中だったテートが、狂信的カルト集団によリ惨殺されたことにより、無残にも終わりを告げる。言うまでもなく、これは映画を観る上で学習しておくべきポイントだが、果たして、そんな2人がどのようにして出会い、やがて、不幸な結末を迎えるに至ったのか?ここでは、映画では描かれていない"事件の前と後"について記してみたい。

プロデューサーが引き合わせた運命の2人

 まず、注目すべきは、出会いのきっかけになった映画「吸血鬼」(67)だ。ポランスキーがハリウッドに移住して監督した「ローズマリーの赤ちゃん」(68)の直前に、ロンドンを起点に製作したヴァンパイア映画である。当初、ポランスキーは吸血鬼の刃にかかる美女、サラ役にはジル・セント・ジョンを予定していたが、撮影開始直前に降板。そこで、スティーブ・マックイーンの「シンシナティ・キッド」(65)やエリザベス・テーラーの「いそしぎ」(65)等で知られる名プロデューサー、マーティン・ランソホフがテートをポランスキーに推薦する。TVドラマ「じゃじゃ馬億万長者」(62~)にレギュラー出演していた彼女の美しさに着目していたからだ。

 確かに、「吸血鬼」でのテートは眩いばかりに美しい。はっきり言って演技力は意図したかの如く皆無に等しいが、彼女が演じる風呂好きが災いして吸血鬼の餌食になるヒロインは、物語の主人公である吸血鬼ハンターの助手、アルフレドを一目で虜にしてしまう。そして、そのアルフレドを演じるのが、なんと、監督のポランスキー自身である。撮影中、物語と同様に恋に落ちた2人は、撮影終了後の1968年1月20日、ロンドンのチェルシーで結婚式を挙げる。「ワンハリ」で描かれるのは、そんな彼らがL.A.に新居を構えて間もない頃だ。

日本公開時にはすでにテートはこの世にいなかった

「吸血鬼」は、特に日本では特別な意味を持って受け止められる。全米での公開は1967年11月13日だが、日本公開はその約2年後の1969年9月14日。テートが殺害されてわずか一月後だったからだ。つまり、日本の映画ファンはすでにこの世にいない女優の残像を目の当たりにしたわけで、これは、奇しくも同じく「ワンハリ」に登場するブルース・リーが、渾身の主演作「燃えよドラゴン」(73)の公開を待たずに旅立ったこととも符合する。

 タランティーノは「ワンハリ」を観た観客たちに、彼が愛して止まない1969年当時のハリウッドの空気感は勿論、登場する実在の人物たちが関わった映画にも、少なからず興味を持って欲しかったに違いない。特に、劇中では紹介されないけれど、「吸血鬼」はヴァンパイアもののパロディ映画として今も愛されている作品だ。MGMのアイコンであるライオンの顔が吸血鬼に変わるオープニング・クレジット、吸血鬼狩りの果てにトランシルバニアに足を踏み入れた教授が、寒さでカチンカチンに凍り付いたまま地元の村に辿り着く幕開け、教授とアルフレドのスラプスティックな掛け合い、ゲイの吸血鬼の襲来、等々。一方で、吸血鬼のクロロック伯爵(ナレーターも務めるドイツの名優、ファーディ・メイン)のルックスはこの分野のパイオニア、クリストファー・リーやピーター・カッシングに負けず劣らずおぞましく、また、バスタブが血に染まる吸血シーンは思わず目を背けたくなるほど。つまり、恐怖と笑いが渾然一体となった"恐ろ可笑しい"ムードこそが、映画「吸血鬼」の魅力なのだ。

吸血鬼映画のパロディで弾けまくる俳優、ポランスキー

 一説には、舞踏会の夜に吸血鬼たちが墓場から這い上がってくる演出は、マイケル・ジャクソンの"スリラー"に影響を与えたと言われているし、ポランスキーのコメディリリーフぶりは天才的。彼には巨匠と呼ばれる以前に、俳優としての才能があったことを実感させる。そして、当時まだ33歳のポランスキーは愛くるしく、無垢そのもの。迫り来るゲイのアタックをギリギリでかわし、サラのために命を投げ打つ青年のイノセンスを、実に軽妙に体現している。そんなポランスキーをカメラ越しに見つめ続けた撮影監督のダグラス・スローコンブは、「彼はアルフレドそのもの。若くて無防備なカフカのようだった」と振り返っている。

そして、届いた悲報がすべてを狂わせる

 だが、ポランスキーの映画人としての人生は、新妻シャロン・テートの死によって暗転する。テートが殺害された時、ポランスキーは「イルカの日」(73)のロケハンでロンドンを訪れていたが、悲報を受けてL.A.に急行し、プロジェクトから降板。代わって、マイク・ニコルズがメガホンを引き継いだ。L.A.に戻ったポランスキーはメディアの餌食となり、根拠のない誹謗中傷にさらされる。テートの死後、約1年間にわたって鬱病に苦しんだという彼は、その頃の日々をこう振り返っている。「すべてが無益のように思えた」と。同時に、「2度とコメディは作れない」とも言っている。

 と言いつつ、ポランスキーは「吸血鬼」の後も駄作だが何本かコメディ映画を発表し、俳優としても活躍している。「戦場のピアニスト」(02)ではカンヌ映画祭のパルムドールとアカデミー監督賞をW受賞した。しかし、1977年にジャック・ニコルソン邸で起こした少女への強姦容疑により、有罪判決を受けた彼は、アメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡。そのため、栄えあるオスカーナイトを欠席した。昨年、映画芸術アカデミーはオスカー受賞者であるポランスキーをメンバーから除名したと発表。それに対して、ポランスキーは除名取り消しを求めて提訴している。

 一方、女優として思い半ばの26歳で生涯を閉じたシャロン・テートは、以後、女優としてのキャリアよりも、惨たらしく殺された名匠ポランスキーの妻として話題に上ることが多い。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は、ハリウッド愛の塊のようなクエンティン・タランティーノが2人に捧げたオマージュの意味合いが大きい。もし、興味があれば、「吸血鬼」と合わせて、カウンターカルチャーの渦に巻きこれまた気鋭の監督と新人女優が辿った運命に、少しだけ思いを馳せてみてはいかがだろうか。

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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

8月30日(金)より、公開中

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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