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美しいショットが連続するドキュメンタリー『セメントの記憶』が日本人に託したメッセージとは

清藤秀人映画ライター/コメンテーター

 内戦が続くシリアからベイルートへ逃れた移民・難民労働者たちが、何を思い、どんな生活を営んでいるのか。そこにスポットを当てて、差別と重労働に苦しむ彼らの日常に密着するドキュメンタリー映画『セメントの記憶』が、本日、日本公開となった。そこで、公開に合わせて来日したジアード・クルスーム監督に話を聞いた。映画の主な舞台は遙か眼下に美しい海岸線を望むベイルートの高層ビル建設現場だ。シリアの悲劇を他国の、それも空中に設定し描こうとしたアイディアは、いったいどこから生まれたのだろうか。

ー高層ビルという設定を思い立った経緯を聞かせて下さい。

クルスーム監督(以下、監督) そもそもの発端は、僕が徴兵制により軍に勤めていたシリアからベイルートに亡命した時でした。そこでは、戦争の音がするシリアからベイルートに逃れた労働者たちがたくさんいて、彼らは再び同じ音、つまり建設の音を聞かなければならないという状況を映画にしたいと思いました。戦争と建設は真逆の行為なのに、聞こえてくる音は同じという事実に着目したんです。そこからリサーチを続けるうちに、やがて、ビル建設現場に辿り着きました。撮影の許可を取るのに1年もかかったんですよ。ビルのオーナーが内部を見せたくなかったんだと思います。何しろ、ビルの地下にはまるで"ブラックホール"のような暗く湿った空間があって、そこで労働者たちは人権も人としての尊厳も守られることなく、仕事が終わると上から降りてきて、TVや携帯が映し出す故郷の惨状を眺めて過ごしているんです。つまり、毎朝"ブラックホール"で目覚めて、日中は空中で働いて、終わったらまた潜る。その動きはまるでハムスターですよね。

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ーシリア人に対するオーナーの扱いはどれ程酷いものなんですか。

監督 オーナーたちは帰る場所も住む場所もないシリア人だと知っているから、進んで雇用しているんです。低賃金で雇えるし、保険に加入する必要もないから。賃金も1日12時間働いてたった10ドルですよ。レバノンではタバコも買えない金額です。

ーそして、高層ビルの建設現場というのは地上数百メートルの遙か空の上に位置しています。そんなところで働くのは、まず、危険ですよね。転落事故はないんですか。

監督 聞いたところでは1年に2、3人は転落して命を落としているらしいです。命綱なしで働いていますからね。

ー撮影隊は高所にどう対処したんですか。

監督 幸運なことに撮影監督のタラール・クーリ(本作で国際ドキュメンタリー協会賞候補に)が実にタフな男で、彼と撮影クルーはクレーンに吊された籠に乗って、さらに高い位置から工事現場の俯瞰ショットを撮るわけです。この映画の大切なコンセプトである、天から見下ろす風景をものにするために。

ー映画に登場するシリア人労働者たちが全員、信じがたく美しいです。それは、心の中に深い悲しみを湛えているからでしょうか。

監督 タラールと一緒にフレーム作りにこだわって、被写体を尊厳のある者としてとらえているからではないでしょうか。特に、1人の労働者の瞳に工事現場から見える眼下の風景が映っているショットが目を引くと思います。あれは、彼が一瞬でも動いてしまったら撮れないデリケートなショットなので、それを指示するのには腐心しました。でも、そもそも、我々が彼らの生活空間にお邪魔してカメラを回しているわけですから、すべての演出に関しては丁寧に行ったつもりです。

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ーその瞳のシーンも含めて、この映画ではすべてのショットが美しいですね。

監督 まさに、美しい映像は厳しい現実と対比させるために絶対に必要でした。この映画の最大の目的は、表層の美しさと内部の醜さを描くことにありました。かつて、自分が初めてベイルートに来た時は本当に綺麗な町だったのに、労働者コミュニティと知り合ってその裏側にある厳しい現実を突き付けられたんです。そこから、映画のポスターにも使われているウォールペイントが思い浮かびました。ビルの櫓に上に立った1人の労働者が遙か眼下を眺めているショットです。それが意味するのは、あまりにも同じ場所で暮らし続け、同じ景色ばかり眺めていると、いつしか希望が潰えて、目に見える風景が壁紙にしか見えなくなる。もしかして、彼が見ているのは本当に実景ではなくただの壁紙なのかもしれないということ。それを具現化したのが、このポスターであり、映画の中に度々挿入される、ウォールペイントのような美しいフレームショットなんです。

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ー映画のラスト近くで、ミキサー車に取り付けられたウェアラブルカメラがとらえる町の風景が、ミキサーの動きと連動してぐるぐると回転するシーンが印象的です。

監督 ベイルートでは1995年の内戦終結直後から今まで、ずっとミキサー車が稼働し続けているんですよ。町を創造するために一時も休まずセメントが練られ、コンクリートとなってビルになっている。この変わらぬサクイルをぐるぐる回るミキサー車が現しているんです。言ってみれば、ミキサー車はベイルートの象徴なのです。

ー日本は来る2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、今まさに破壊と創造の真っ直中にいます。そんな日本人に向けて何かメッセージはありますか。

ジアード・クルスーム監督(筆者撮影)
ジアード・クルスーム監督(筆者撮影)

監督 それは今に始まったことではないでしょう。日本は第二次大戦後からずっと破壊と創造を繰り返してきている。だから、このテーマは日本人にとって無関係ではないはずです。そこで、1つだけ約束して下さい。もし、どこかで建設現場を通りかかったら、素通りするのではなく、できれば中を覗いてみて下さい。そこで、誰がどんな風に働いているのかを確かめて欲しいんです。外観からは見えない現実というものを。

『セメントの記憶』

3月23日(土) ユーロスペースほか全国劇場ロードショー

(C) 2017 Bidayyat for Audiovisual Arts, BASIS BERLIN Filmproduktion

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映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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