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ラソーダ監督と野茂が絡んだメジャーリーグ最後の没収試合

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
メジャー最後の没収試合に絡んだ野茂英雄とトミー・ラソーダ監督(写真:ロイター/アフロ)

 1976年から96年までロサンゼルス・ドジャースの監督を務め、メジャー歴代22位となる1599勝を挙げたトミー・ラソーダ氏が1月7日(日本時間8日)に93歳で亡くなった。

 野茂英雄がメジャーへ移籍したときの監督だったラソーダ氏は、日本のファンにもお馴染みの存在で、「息子」と呼ぶ野茂と一緒に日本で缶コーヒーのCMに出演したこともある。

 とくに野茂がセンセーショナルなメジャー・デビューを飾った1995年には、キャンプ当初から一貫して野茂の防護壁になり、数多くの日米メディアから野茂を守ると同時に、野茂がチームに溶け込める環境を作り上げた。

 ラソーダ氏の訃報を聞いた野茂は、「感謝しても感謝し切れない方」と故人を偲んだ。

 「私の身体にはドジャー・ブルーの血が流れている」の名セリフは、ラソーダ氏の代名詞だったが、野茂がドジャースに移籍したときには、この名言を野茂に叩き込んでもいる。

 選手たちには「ユニフォームの背中に書かれた名前のためではなく、胸に書かれている名前のためにプレーしろ」と個人のためではなく、チームのためにプレーするように説いた熱血漢は、誰よりも選手のことを重んじる監督だった。

 だからこそ、野茂は新人王に選ばれたときに、メジャー1年目から活躍できた最大の理由としてラソーダ監督の存在を挙げている。

「選手あってこその監督だ。選手が活躍しやすいような環境をつくることがオレの仕事だ”というラソーダ監督の考え方に、僕は心から敬意を表します。監督とのコミュニケーションから育まれた信頼関係がなければ、(新人王に)選ばれることはなかったでしょう」(「野茂英雄とアメリカの父」二宮清純氏

 そんな選手思いで、情熱家ラソーダ氏は、野茂が先発登板した試合で、メジャーリーグ最後となる没収試合を引き起こしている。

メジャー最後の没収試合

 1909年までは毎年のように没収試合が起こっていたが、1970年代には10年間で4度しか起きていない。

 1980年代以降は50年間で一度しかない没収試合だが、その一度が起こったのが、1995年8月10日にドジャー・スタジアムで行われたドジャース対セントルイス・カージナルス戦だった。

 ドジャースの先発は、全米中に野茂旋風を巻き起こしていた野茂。この時点で9勝2敗、防御率1.89の成績を残していた野茂は、メジャー10勝目を目指してシーズン19度目となる先発のマウンドに登った。

 野茂は前の登板でシーズン3度目となる完封勝利を飾っており、ドジャースはこの試合前の時点で地区首位を走るコロラド・ロッキーズに1ゲーム差の地区2位だった。

 対戦相手のカージナルスはナショナル・リーグ中地区で最下位に沈んでおり、過去12試合で2勝10敗。低迷するカージナルスに勝って、ロッキーズと同率首位に浮上するドジャースを応援しようと、ドジャー・スタジアムには5万3361人のファンが詰めかけた。

 野茂は2回にNFLとの二刀流選手である四番打者のブライアン・ジョーダンにソロ本塁打を打たれると、4回にもマーク・スウィーニーにもソロ本塁打を許して、2-0とリードされてしまう。

 野茂と同じくルーキーだったスウィーニーはこれがメジャー初本塁打であり、今は野茂が球団アドバイザーを務めるサンディエゴ・パドレスの専属解説者を務めている。

 2つの失投をスタンドに運ばれた野茂だったが、それ以外は素晴らしい投球で、8回までに7つの三振を奪っていた。

 2点を追うドジャース、8回裏の攻撃は8番打者のデーブ・ハンセンからで、ハンセンが四球で出塁すると、ラソーダ監督は野茂に代打を送る。

 力投した野茂に10勝目をプレゼントしたいドジャースは、代打のデライノ・デシールズが手堅く送りバントで一死走者二塁とランナーを得点圏に進めると、二番打者のホゼ・オファーマンのタイムリー安打で、まずは1点を返す。

 野茂の女房役で、1993年のナ・リーグ新人王のマイク・ピアッザもヒットで続き、2死1、2塁と逆転のチャンスを作った。

 ここで打席に立ったのは92年の新人王のエリック・キャロス。2ストライク、1ボールと追い込まれたキャロスは外角に外れた4球目を見逃したが、球審のコールはストライク。球審に異議を唱えたキャロスは退場処分を命じられた。

 9回裏、ドジャース最後の攻撃は5番打者で、94年の新人王のラウー・モンデシーから。

 9回からマウンドに上がったカージナルスのベテラン守護神、トム・ヘンキは制球が定まらずに、モンデシーに対して3球連続でボールを投げる。4球目も外角に外れて、モンデシーは一塁に歩き出すが、球審のコールはまさかのストライク。

 5万人のドジャース・ファンの大ブーイングに包まれる中で投じられた5球目は、さらに外角に大きく外れたが、球審はまたもストライクをコール。6球目も外角に外れたが、見逃しを封じられたモンデシーにはバットを振るしか選択肢がなく、力なく振られたバットは空を切った。

 球審に文句を言ったモンデシーにも退場が告げられると、ドジャー・スタジアムのファンは不満を爆発させて、球場入場時にプレゼントされたボールを次々にフィールドに投げ込んだ。

 その様子は節分の豆まきか、大金星を献上した横綱の取組後に舞う座布団のようだった。

 

 この試合、ドジャースは過去の新人王を記念したボールをファンに配っていたが、ファンはそのボールを家に持ち帰るよりも、フィールドに投げ込むことを選んだ。

 球審に抗議していたラソーダ監督が、ファンに対してもっとボールを投げるように煽るような行為をしたために、ラソーダ監督までもが退場となり、審判団は没収試合を宣言した。

 メジャーリーグで16年ぶりとなった没収試合から、ちょうど18年後に当たる2013年8月10日。

 ドジャースのユニフォームに身を包んだ野茂は、18年前と同じくまっさらなマウンドに立ち、お馴染みのトルネード投法でボールを投げた。

 始球式を終えた野茂は、笑顔でラソーダ氏と抱き合った。

 

 メジャーリーグでは、あの試合を最後に没収試合は起こっていない。

スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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