新庄、松井稼を指揮したマネーボール監督がコロナに感染して集中治療室に入院

松井稼頭央のメッツ入団会見に出席したアート・ハウ監督(写真:ロイター/アフロ)

 ヒューストン・アストロズ、オークランド・アスレチックス、ニューヨーク・メッツの3球団で監督を務めたアート・ハウが、新型コロナウイルスに感染して集中治療室へ入院した。

 ヒューストンのテレビ局「KPRC」の電話取材に集中治療室から応じた73歳のハウによると、「5月3日に寒気がして、身体が震えた」のが最初の症状だったと言う。5日にテストを受けて陽性と判明したので、自宅で隔離生活を始めたが全身が気だるくなり、味覚も失った。しばらくは自宅で療養生活を続けていたが、12日に容体が悪化したために救急車を呼んで、病院の集中治療室へ運ばれた。

 入院後は状態は少しだけ回復しており、24時間発熱がなければ集中治療室から出られると言う。

 「味覚が戻らないので食欲がない。食べなくてはと思うんだけど、食べる気にならない」

 ハウは1989年から93年までの5シーズンはアストロズで監督を務め、ジェフ・バグウェル、クレイグ・ビジオ、ルイス・ゴンザレス、スティーブ・フィンリーらの若手野手を育て上げた。

 1996年にはトニー・ラルーサの後釜としてアスレチックスの監督に就任。アスレチックスでもジェイソン・ジアンビ、ミゲル・テハダ、エリック・チャベスらの若手打者を一流に成長させただけでなく、ティム・ハドソン、マーク・マルダー、バリー・ジートの若手三本柱を中心とした強力投手陣を武器に3年連続でプレーオフ出場を果たし、最後の2年間となった2001年と02年には100勝以上を挙げた。

 この当時のアスレチックスは独自のドラフト戦略で獲得した若手選手と、他球団で過小評価されていた中堅選手を集めた「マネーボール」戦略で球界に旋風を起こした。マイケル・ルイスが書いた本と、ブラッド・ピットがビリー・ビーンGM役を演じた映画の中で、「頑固な伝統主義者」と描かれたことをハウは不満に感じていた。

 

 ハウは誰にでも明るく優しく接する人格者で、今回コロナで入院した際も多くの球界関係者が心配の声を上げ、「球界最高のジェントルマンの一人」と言われている。球界でハウのことを悪くいうのは、アスレチックス時代に対立していたビーンくらいのものだ。

 2002年シーズン終了後にアスレチックスを離れて、高待遇でメッツに迎え入れられた。

 若手育成と球団再建には定評のあるハウだが、すぐに結果を求めるニューヨークには合わずに、2年続けて90敗以上を喫して、2シーズン目が終わると解雇されてしまった。

 2003年には新庄剛志を、2004年にも松井稼頭央と日本人選手も指導。ヒューストンとオークランドでは若手を辛抱強く使い続けて、オールスター選手に育て上げたが、ニューヨークではそうも行かずに、新庄と松井を毎試合固定して使うことができなかった。

 メジャーで11シーズンプレーしたハウをコーチの世界に引き入れたのはボビー・バレンタインで、1986年にバレンタインがテキサス・レンジャースで監督だったときにハウをコーチとして招聘した。

 バレンタインは「友人であり、私のコーチでもあるアート・ハウのために祈っている。アーティ、君ならば勝てる!!」とのメッセージを送り、数多くの球界関係者同様にハウの回復を願っている。