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大谷翔平と山本由伸を待つドジャースタジアムの隠れた日本庭園の物語

谷口輝世子スポーツライター
(写真:ロイター/アフロ)

ドジャースタジアムの裏手に、ファンや観光客にほとんど知られていない隠れた名所がある。ライト方向の駐車場ロット6の後方だ。今は、生い茂る草に埋もれているが、そこには、ドジャースと日本との交流の歴史を示し、つながりの象徴ともいえるものがある。

ドジャースと日本の野球の交流の歴史はよく知られているところだろう。それを支えた鈴木惣太郎さんという人物に聞き覚えはあるだろうか。1890年に群馬県で生まれ、コロンビア大学の聴講生として渡米。日本に帰国後は、日本プロ野球の創成期から日米の交流に尽力した。ベーブ・ルースが日本にやってきた1934年の日米野球でもマネジメントを担当し、さまざまな交渉を行ったようだ。

1956年には、まだニューヨークのブルックリンをホームとしていたドジャースが、10月から11月にかけて、日米野球のために来日し、19試合を繰り広げた。この企画に携わったのも鈴木惣太郎さんである。1947年に人種の壁を破って、メジャーデビューしたジャッキー・ロビンソンが現役選手として最後に出場した試合でもあった。

それから数年後の1958年にドジャースはロサンゼルスに移転。1962年にはドジャースタジアムがオープンした。日米野球でつながりを深めたドジャースのオーナー、オマリーさんは、鈴木惣太郎さんをドジャースタジアムのこけら落としの試合に招待した。そこで、鈴木惣太郎さんは何か記念になるものをお返しに贈りたいと考えて帰国した。石灯篭がふさわしいのではないかと思いつき、愛知県にある清水組石材工業に連絡を取り、ドジャースのために石灯篭の建設を依頼したのだ。この石灯篭には、「1962年4月9日のドジャースタジアム開場を記念して」と刻まれているという。

石灯籠は、6つに分割されてロサンゼルスに運ばれた。石灯篭を受け取ったオマリーさんは、助言も受けて、ライト後方に、桜の木を植えて、小道を作り、伝統的な日本庭園に仕上げた。1967年にはNPBの巨人がドジャースと合同キャンプをしたのだが、巨人の選手らと思われる人たちがこの庭園を見ている写真が残っている。

この日本庭園を実際にデザインしたのは、ミッチ・イナムラさんという庭師だという。また、鈴木惣太郎さんの友人だった日系2世のフランク・江籠さんも90年代までは桜の木の手入れなどを行っていたが、2000年に亡くなった。

2003年に、ドジャースはこの庭園を再び奉納した。このときにはドジャースの元監督、トミー・ラソーダさんが庭園の前でスピーチを行い、報道陣も多数詰めかけていた。このときの庭園は汚れひとつないものだった。しかし、ここ数年は、手入れがなされておらず、冒頭でふれたように草木に覆われてしまっている。

1990年代に桜を植えて、庭園を維持してきたフランク・江籠さんの遺族は、日本人の大谷翔平と北米スポーツ史に残る契約を結んだドジャースが、日本庭園を復活させてくれることを望んでいる。ドジャースと合意したと報じられている山本由伸の入団も決まれば、日本からのドジャースへの注目度はさらに高まるだろう。ドジャースタジアムの敷地内にある日本庭園が再び整備されれば、大谷翔平や山本由伸を一目みようと球場に詰めかける観客たちが、ドジャースと日本球界との歴史に思いをはせることのできる貴重な空間になるのではないだろうか。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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