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なぜ、厳しく、モーレツで、理不尽なまでに激高しやすいコーチのもとに選手が集まってきたのか。

谷口輝世子スポーツライター
トランプ大統領と並んでいるボブ・ナイト氏(写真:ロイター/アフロ)

 スポーツ界には、しごき、罵倒、恐怖によるコントロールがまだはびこっている。

 今はそのような指導も減ってきているであろうが、そのようなコーチほど良いコーチだと考えられていた時代もあった。それは、日本だけでなく、米国でも同じことである。

 米国には、大学男子バスケットボール界のレジェンド指導者に、ボブ・ナイトという人物がいる。ボブ・ナイトは大学卒業後に、地元オハイオ州の高校バスケットボールのアシスタントコーチとして指導者のキャリアをスタート。その後、米軍のバスケットボールのコーチを経て、1971年からは2000年までインディアナ大学バスケットボール部のヘッドコーチになった。01年から08年まではテキサス工科大バスケットボール部のヘッドコーチをしたが、現在はコーチ業からは引退している。

 レジェンドの地位を築き上げたのはインディアナ大学のヘッドコーチ時代。NCAA(全米大学体育協会)のトーナメントで3度優勝。大学のヘッドコーチとして通算902勝371敗という成績を残した。ナイトコーチの引退時点では、歴代コーチ トップの通算勝利数だった。06年には大学バスケットボールの殿堂入りも果たしている。

 厳しいトレーニングで完ぺき主義。輝かしい成績の反面、試合中に激高してパイプ椅子をコートに投げ入れたことがあった。練習中の選手に屈辱的な言葉をぶつけることがしばしばあった。襟首をつかみ、首を絞めるような仕草をしたこともあった。記者会見では放送禁止用語でも使いまくる。それでも、優秀な高校生選手をリクルートするのに全く苦労しなかったという。インディアナ大学の男子バスケットボール部には「ボブ・ナイトコーチのところでプレーしたいと思って、みんな育ってきている」と言って入部してくる選手がたくさんいたらしい。

 卒業生のうち、ナイトコーチのやり方は虐待的であると考えている人は一部で、多くが今もナイトコーチに恩義を感じている。ナイトコーチに関するたくさんの書籍を出版されていて、米国のアマゾンレビューを見てみても、そのあたりが浮かび上がってくる。ボブ・ナイトコーチの功績にフォーカスした本には多くの好評価がついており、虐待的指導を訴えた元選手の本はレビューの数も少なく、星も少ない。

 This is your Brain on Sports(L.Jon Wertheim and Sam Sommers)という書籍はちょっと変わったナイトコーチ評を披露している。なぜ、90年代後半まで、ボブ・ナイトコーチのまわりに優秀な選手が集まってきたのかという理由を「努力の正当化」という心理学用語を使って説明している。これまで、こういったコーチと選手の関係は、誘拐や監禁などの被害者が、加害者と時間を共有することにとって 加害者に好意、共感、信頼を抱くようになるストックホルム症候群や、映画に見られるような軍隊の鬼軍曹との比較で語られてきた。しかし、この本では、もうひとつの理由として「努力の正当化」を挙げている。

 努力の正当化は「人が、ある目標や対象を獲得するために困難な経験や苦痛をすると、その目標や対象がより魅力的になること」と説明できる。自分が困難をくぐり抜け、苦痛の末に得たものは、価値のないものだったと認めるのはつらいことだ。努力の先にある目標は価値のあるものでなくてはいけない。苦しんだ末につかんだものは、より魅力的に感じられる。ある集団のメンバーになるために厳しい困難を経験した人は、そのような経験なしに同じ集団に入った人よりも、その集団を好きになりやすいともいう。

 ナイトコーチの下でプレーした学生たちは、並外れた犠牲を払ってきた。それは、他の大学のバスケットボール部では、求められることのない犠牲や困難であり、そうであるが故に、自分たちだけが払ってきた犠牲は、チーム内の結びつきを強固なものにし、ナイトコーチへの忠誠心を高めたのではないか。それは、卒業した後でもなつかしい思い出として語られるのではないか、と本の著者は述べている。しかも、負け続けていれば、このようなやり方に疑問を持つ人も出てくるのだろうが、厳しい練習に耐えてきた選手は、練習を課す指導者も、その末に得た勝利も価値のあるものだと思う。あの厳しいナイトコーチの指導を乗り越えたのだという誇らしげな気持ち、そして勝ち取った栄冠は、他の大学の他のコーチの下でプレーし、勝つことよりも魅力的なことだったのだろう。

 スポーツ界と「努力の正当化」は、虐待めいた指導、厳しいしごきのような練習をする指導者や集団と、選手の間だけのものではない。

 下積みの長かった選手の活躍は、最初からエリートだった選手が同程度のパフォーマンスをした時よりも、価値が大きいと感じられる。なかなか勝てないチームを熱心に応援し続けるファンにも、そういったところがあるようだ。

 苦しみ抜いて、何かを成し遂げた後の選手にとって、指導者の厳しい指導に耐える必要があったかを真正面から検討することは難しいのかもしれない。それを否定すれば、自分のがんばりを否定することにつながりかねないからだ。

 ただし、「努力の正当化」は悪いことばかりではない。そういった人間の心理があるからこそ、達成すれば価値があると考えているものに対し、挑戦し、努力していく力にもなるのだろう。

 けれども、不必要な犠牲を払い、理不尽な指導を受け入れているうちに、アスリートの心身が壊れてしまっては何にもならないとも思う。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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