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日本人最年少、16歳の結城投手がメジャー挑戦。歴史的背景と奨学金制度

谷口輝世子スポーツライター
ドミニカ共和国内にあるインディアンスのアカデミー(写真:ロイター/アフロ)

 大阪出身の16歳、結城海斗投手が、メジャーリーグのロイヤルズとマイナー契約を結んだ。日本人としては史上最年少でのマイナー契約だったそうだ。

歴史的背景

 メジャーリーグの新人ドラフト対象となるのは、米国、カナダ、プエルトリコ在住で、それらの国の高校や大学などに在籍している選手。高校生は卒業することが条件のため、18歳未満の選手は極めて少ない。

 米国、カナダ、プエルトリコ以外のアマチュア選手は、満16歳でマイナー契約を結ぶことができる。なぜなのか。

 ドミニカ共和国で生まれ育ったジミー・ケリーさんという人物がいる。1984年に兄とともにドミニカ共和国内のブルージェイズアカデミーでトライアウト(入団テスト)を受けた。ケリーさんは、ここで評価され、1984年2月15日に5000ドル(現在のレートでは約56万円)でマイナー契約を結んだ。このとき、ケリーさんはまだ、13歳だった。

 ケリーさんは、84年シーズンはドミニカ共和国内のブルージェイズアカデミーで過ごし、翌85年には14歳という若さで、フロリダ州ダンディーンでのスプリングトレーニングにマイナーリーガーとして参加。そのまま、ルーキーリーグでプレーした。まわりは18歳以上の選手ばかりだったという。ケリーさんは、メジャーに昇格することはできず、2Aまでしか上がれなかった。その名前は、記録にも、記憶にもほとんど残っていない。

 しかし、ケリーさんの存在は規則を生み出した。メジャーリーグ機構は、ドラフト対象外の中米・カリブで過熱する青田買いを防止するため、契約時に満16歳に達していることという取り決めを作ったのだ。

 ドミニカ共和国の高校進学率が低かったことも、「満16歳から契約できる」という年齢設定の一因になったのだろう。

 

ドミニカン・サマーリーグ

 今、ドミニカ共和国で生まれ育ち、満16歳や17歳でマイナー契約を結んだ選手たちは、まず、ドミニカン共和国内のドミニカン・サマーリーグでプレーするのが一般的だ。ドミニカン・サマーリーグは1985年に誕生している。時期的に、これもケリーさんの存在と無縁ではないだろう。

 マイナーリーガーとして米国に入国するにはビザが必要になるが、自国のリーグでプレーするのにビザはいらない。球団にとっては、ビザが発給されるかどうかの心配事を先送りできる。若い選手たちには、慣れ親しんだ地元でプロとしてのスタートを切ることができるというメリットがある。

 メジャーリーグは、ドミニカ共和国だけでなく、ベネズエラでも盛んにスカウトするようになり、1997年にはベネズエラ・サマーリーグを作った。しかし、政情不安などの理由から2016年を最後にリーグ運営がストップしている。

 かつて、メジャーリーグ各球団の中米・カリブでのスカウト戦略は、できるだけ多くの選手を、できるだけ安い金額で契約する、というものだった。そのなかから頭角を表した選手を米国のマイナーに送り込んできた。しかし、これは、若い選手たちを「使い捨て」にしていたということでもある。

 メジャーリーグ機構は批判を受けて、ドミニカン・サマーリーグ、ベネズエラ・サマーリーグでは、英語を中心とする教育プログラムを提供するようになった。野球をやめた後でも、これらの教育が役立つようにという理念からだ。メジャー昇格を目指す競争に敗れた若い選手たちの進路にも、ようやく目が向けられるようになった。

ドイツ出身、マックス・ケプラー

 21世紀に入り、メジャーリーグのスカウト網は、ドミニカ共和国やベネズエラだけでなく、世界へと広がっている。

 ツインズで活躍するマックス・ケプラーはドイツ生まれのドイツ育ち。2009年7月に16歳でツインズとマイナー契約を結んだ。

 欧州出身のケプラーには、ドミニカ共和国やベネズエラのリーグでプレーするメリットはない。彼はドイツからツインズの育成施設があるフロリダ州フォートマイヤーズに入った。

 ケプラーの母は米国人。ドイツでもアメリカンスクールに通っていて英語ができた。2年前に取材したときには「いきなりプロとして契約できると思っていなかったので、米国の学校に留学して、野球をやるつもりだった」と当時の心境を話してくれた。

 しかし、ケプラーは、海外アマチュア選手としては最高額(当時)の77万5000ドルでマイナー契約を結ぶことができ、プロ入りを決めた。ケプラーは球団の育成施設のすぐ近くにあるサウス・フォート・マイヤーズの高校にも通い、プロ野球選手と学業とを両立していた時期がある。

 16、17歳の選手が多いドミニカン・サマーリーグでも教育機会が提供されているのだから、中米・カリブ以外の国からやってくる選手にも、学業の機会が与えられるべき、と考えるのが妥当だろう。ケプラーもルーキーリーグでは、18歳以上の年上の選手に交じって、プレーしていた。

奨学金制度

 ケプラーは海外アマチュア選手としてマイナー契約を結んだ選手としては大成功したケースだ。競争に敗れたとき、新たなキャリアをどのようにスタートさせるか。高卒でプロ入りした選手たちは、大学を含む高等教育で教育を受けることはできないのか。

 メジャーリーグ機構には、ドラフトで指名された選手でなくても、初めてプロ選手としてマイナー契約を結ぶ選手が、高等教育を受けられるように支援する奨学金制度がある。

 ただし、マイナー契約すると自動的にもらえる、というものではない。誰にでも、授業料の全額が支給されるわけでもない。初めてマイナー契約を結ぶときに、選手は球団と交渉をし、高等教育を受けるときには、学費を支給してくれるよう求めなければならない。どのくらいの奨学金を得られるのかも、その時の交渉によって決まる。球団から高く評価され、期待されている選手ほど、奨学金支給でもよい条件を勝ち取れるはずだ。

 メジャーリーグ機構の広報担当は、筆者の取材に対し、この奨学金制度について「選手の出身国や居住国に関係なく適用される」と回答した。米国内や国際的に認められた学校であること。営利企業による経営の学校で卒業率が50%を下回る学校には適用されない、自由契約後や現役引退後の一定期間のみ、などの細かいルールが定められている。現役選手がオフシーズンを利用して授業を受けるときにも、この奨学金を申請することができる。

 (追記 メジャーリーグ機構では、昨年からノースイースタン大学と提携し、ここでも選手たちが教育を受けられるようにしている。メジャーリーグ機構とノースイースタン大学は米国外出身の選手にも配慮し、英語教育と、彼らに合った学業プランを提示している。オンラインでの受講も可能。前述したように、一定の基準とメジャーリーグの規則を満たしている高等教育機関であれば、ノースイースタン大学以外での教育に対しても、奨学金制度が適用される)

 プロスポーツは成功すれば大きな報酬と高い地位を得られる。しかし、競争は厳しい。うまくいかないときには、キャリアの転換を迫られる。リターンは大きいが、リスクもある世界。16歳に、そのリスクを全て背負わせるのではなく、契約した球団側が相応のサポートをするというのは、むしろ当然のことのように思える。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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