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イチロー、記録更新なるか。シーズン最多代打安打記録を持つジョン・バンダーウォールの経歴と語録。

谷口輝世子スポーツライター
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 マーリンズのイチロー選手はメジャー史上で最も優れた選手だ、とは言い切れないけれども、メジャー史から記録を掘り起こすことに最も貢献した選手と言えるのではないだろうか。シーズン最多安打記録を持っていたジョージ・シスラーを蘇らせ、8年連続200安打のウィリー・キラーらも蘇らせた。

 ジョン・バンダーウォールがロッキーズ時代の1995年に記録したシーズンの代打最多安打28に、イチローがあと2に迫っている。それほどスポットの当たらなかった代打の記録が、にわかに注目を集めている。

 ジョン・バンダーウォールはどのような選手だったのか。

 左打ちのバンダーウォールは、25歳だった1991年にモントリオールエクスポズでメジャーに昇格。1994年にロッキーズに移籍し、1995年シーズンに代打安打記録を更新した。その後も、パドレス、パイレーツ、ジャイアンツ、ヤンキース、ブルワーズ、レッズと渡り歩き、2004年シーズンを最後に引退した。

 メジャーでの14年間のうち、年間の打席数が400以上だったのは、わずか2シーズンしかない。それでも、クビにならず、キャリアを積んできたのは代打としての力を買われていたからだろう。

 パドレス時代の1998年にはプレーオフでも勝負強さを発揮した。アストロズの地区シリーズでは、2-1と1点リードの8回裏に代打として打席に入り、中越え三塁打で打点2を挙げた。この年、チームはワールドシリーズに進出している。

 メジャーでの通算打率は打率2割6分1厘。

 バンダーウォールは、代打の切り札として重宝される一方で、スタメンに定着できないもどかしさを抱えていた。

 メジャーリーグのピンチヒッターを取り上げた『スタンド・アンド・デリバー』(ポール・ボタノ著、マクファーレン出版 2002年発行)の冒頭に、バンダーウォールについて書かれた箇所がある。

 「バンダーウォールは代打について聞かれたら、“代打はとても嫌なんだ”と言うだろう。それから、“いや、それほど嫌っているわけでもないんだけど”とも付け加えるはずだ」

 実際、2002年にヤンキースに移籍した時、ニューヨーク・デイリー・ニュース紙の取材を受けて、バンダーウォールはこんなふうに話している。同紙の2002年7月28日付の記事に「ピンチヒッターとして生き残っていくというのは、どれだけタフなことか、僕は分かっている。でも、誰だって代打としての記録を作りたいとは思わないだろうね。だって、それは(スタメンで)プレーしていないということなのだから」と。

 前述した『スタンド・アンド・デリバー』には、バンダーウォールの代打記録達成についての一言が紹介されている。「成し遂げられたことには感謝している。けれど、もっとプレーしたい。(記録は)ほろ苦いものだ」。

 しかし、スタメンに名前が入っていないからと、不貞腐れていては代打の記録を更新することはできなかったにちがいない。バンダーウォールはベンチに控えている時間は、チェスをするように試合展開を考えてきた。監督がいつ先発投手を交代させるのか。対戦相手の投手の数字はどうか。いったん、打席に入ると、ストライクであれば積極的にスイングするよう心掛けたという。

 わずか1打席で結果を出さなければいけない。2、3試合、出場機会を与えられないこともある。しばらくぶりの打席で、しかも、塁上に走者を置いた重圧のかかる場面で打席に入っていくことが少なくない。バンダーウォールは「そういう状況なのに、かなりの回数は打てないのだから」とも話している。精神面での強さもなければ務まらない。

 年間代打安打記録「28本」。彼の誇りと悔しさがにじみ出ているようだ。    

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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