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なぜ、人はスポーツを観るのか。なぜ、子どものスポーツ観戦で親はキレるのか。

谷口輝世子スポーツライター
(写真:アフロ)

何万人もの観衆がフィールド上の数人やわずかな人数の選手たちの一挙手一投足に注目し、熱くなる。当たり前のことのようにも思えるが、不思議な感じもする。

フィールドに立つ選手たちは、世界トップ、国内トップのパフォーマンスができる極めて優れたアスリートたち。彼らは、多くの人の憧れの的だが、観ているだけの私たちにとっては「他人」とも言える。好きな選手が金メダルを獲得しても、ひいきのチームが優勝しても、観戦する人たちの収入が自動的にアップするわけではない。それでも、私たちは彼、彼女らの動きを見るために、決して安くない入場券を買い求める。

なぜなのだろうか。私が考えた理由は次のようなものだ。

1.ヒトの脳にはミラーニューロンというものがあり、他人の動きを見ているだけで自分が動いているように感じられるという。選手のパフォーマンスを見て、あたかも自分がやっているような快感を味わうことができる。

2.スポーツは観戦しているだけでも心拍数が上がり、男性ホルモンのテストステロンの分泌が増えるという研究結果がある。スポーツを観戦するだけでもワクワクする感覚はここからも来ているのだろう。

3.特定のチームや選手を応援することによって、同じチームや選手を応援する他の人々と一体感を得られたり、共感できたりする。

4.ファンであること、同郷や国代表といった理由で、チームや選手を自分と結びつけることによって、チームや選手の勝利にもっと共感することができ、自分のことのように喜びを感じることができる。

人をスポーツ観戦に向かわせる動機は、この4つ以外にももっと多くの理由があるだろうが、スポーツ観戦は見ているだけでも、自分がやっているかのように感じることができ、ドキドキワクワクし、選手の気持ちに共感でき、他の人との一体感を得られる素晴らしいものだと言える。

トップ選手が見せてくれるパフォーマンスは、観ているだけの人の脳と体も心地よく刺激する。観客は元気づけられ、勇気づけられもする。だから、人はお金を払って観戦するのだろう。

ただし、応援しているチームや選手がいつも素晴らしいプレーやパフォーマンスをし、いつも勝つとは限らない。どちらが勝つか分からないから、手に汗を握るおもしろさがある。が、大一番の試合で、ひいきのチームや選手が素晴らしいプレーをして、勝つことだけを望んでいる人も存在するかもしれない。(絶対に勝つという期待が大きいファンほど、ストレスと関連するホルモンであるコルチゾールの分泌が増加するという研究結果もある)

しかし、観客は、遠く離れた選手たちのパフォーマンスをコントロールできない。ふがいなく負けたとしても、せいぜい、野次を飛ばすか、ツイッターやフェイスブックで批判するくらいのことだ。

さて、ここから子どものスポーツへと話をスライドさせる。

子どものスポーツを観ることは、プロや国際大会の観戦とは違って、トップパフォーマンスの凄さを楽しむこととはちがう。しかし、親にとっては、生い立ちからの物語を知り尽くしている選手(子ども)で、自分との結びつきが強く、心身同一化できる選手(子ども)のプレーを観戦することだ。とても楽しい。

しかし、だから、観戦に力が入りすぎることがある。

米国に住んでいる私は、グラウンドやアリーナで「これは子どものスポーツであって、プロのスポーツではありません」というフレーズが書かれた看板を見かけることがある。熱くなりすぎる親を戒めるためのメッセージだ。プロスポーツを観戦するときのように勝敗にこだわったり、野次ったりしてはだめだということなのだろう。

私にはスポーツをしている子どもが2人いるが、この啓蒙メッセージはぴったりこないように感じる。

なぜなら、私はプロスポーツを観戦するときには勝敗にこだわることはほとんどないし、野次ったことも、罵ったこともないからだ。しかし、我が子のスポーツを観戦するとなると、接戦になると我が子のミスで負けはしないだろうかとハラハラし、普段の力が出せていないゲームではイライラする。プロスポーツや代表戦を観ているときの1.8倍くらいは力が入っている感じがする。プロや代表選手は私にとっては、他人だが、子どもとは他人ではないからだろう。

それに、私は我が子のスポーツを観戦するときには、スポーツに筋書きのないドラマを求めていない。(プロの試合は最後まで勝敗の行方が分からないほうが好きなのに)

私が思い描いたようなプレーをしてくれることをどこかで求めている。子どもが私のイメージ通りのプレーをしてくれ、親としてそれを見ることに快を感じているのだと思う。私は、子どものスポーツで勝敗にはこだわったことはないが、子どもがゲームに没頭し、普段の力を目一杯に発揮する姿を期待して望んでいる。

観客がトップ選手のミスやふがいないプレーに対してできるのは、せいぜい遠く離れたところからブーイングするくらいのことだと書いた。

しかし、子どものスポーツでは、私の望むプレーをしてくれない選手=子どもに対し、「なぜ、ああいうプレーしかできないのか」とブチ切れて、罵ることもできるのだ。しかも、密室で。それを暴く週刊誌やスポーツ紙の記者も周囲にはいない。

親が子どもに期待をするのは悪いことではないだろうが、親が期待するようなプレーを子どもに求め、子どもの動きを操作しようとしていることがあるかもしれない。子どもが活躍してくれれば、子どもだけでなく、親までも周囲から評価され、称賛される。そのことも無関係ではないだろう。少なくとも私の場合は、多少は関係ある。

20年前に封切られたロバート・デニーロ主演の映画「ザ・ファン」は、一人の熱心なファンが、落ちぶれた自分自身の現実から逃れようと、メジャーリーグのスーパースターに「自分のために本塁打を打て」と脅迫する話だ。「ザ・ファン」はフィクションだが、親と子の間では、もしかしたら、これと似たようなことが起こっているのかもしれない。

暗い話で締めくくる前に、なぜ、スポーツ観戦は楽しいのかを、私は思い出したい。

子どものプレーをコントロールしようとする操作的期待に縛られない限りは、子どものスポーツを観戦することは親にとっても、子どもにとっても楽しいはずなのだ。

ほとんどのスポーツ観戦が観る人に、大きな恩恵を与える。それと同じはずだと思う。

スポーツライター

デイリースポーツ紙で日本のプロ野球を担当。98年から米国に拠点を移しメジャーリーグを担当。2001年からフリーランスのスポーツライターに。現地に住んでいるからこそ見えてくる米国のプロスポーツ、学生スポーツ、子どものスポーツ事情をお伝えします。著書『なぜ、子どものスポーツを見ていると力が入るのかーー米国発スポーツペアレンティングのすすめ 』(生活書院)『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)分担執筆『21世紀スポーツ大事典』(大修館書店)分担執筆『運動部活動の理論と実践』(大修館書店) 連絡先kiyokotaniguchiアットマークhotmail.com

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