CONIFA閉会 優勝はウクライナのマジックマジャール・カルパタリヤ 未来に向けての安英学の言葉  

大会を終え、空港を向かう直前にあいさつをする安英学監督 撮影ホ・サンホ

 CONIFAワールドフットボールカップロンドン大会の決勝は、北キプロスとカルパタリヤの一戦。キプロス島在住のトルコ人と、ハンガリー王国時代に住み着いたウクライナのハンガリー人の末裔によるファイナルである。こうして見ると、ヨーロッパではかつてのオスマントルコ帝国とハンガリー王国の勢力地図が現在に至るまで色濃く反映されていることを改めて思い知る。

 力強く長いボールでゴールに迫る北キプロスと、丁寧に繋いで攻撃を組み立てるカルパタリヤは、スタイルにおいては対照的なチームであった。ただこの2チームはグループリーグでも対戦しており、そのときは1対1のドロー。実力が拮抗している上に、どちらもフィニッシュに向けてのリスクを冒さない。膠着が続いて90分ではスコアレス、PK戦に持ち込まれた。決勝がPK戦というのは、第一回から3大会連続である。結果に拘るのはどの国際大会も同様と言えよう。カルパタリヤは初出場なので経験不足が心配されたが、予想をポジティブに裏切ってこの蹴り合いを制した。

 喜びを爆発させるとはこのことだろう。最後の5人目をセーブしたGKは半裸になってピッチ上を走り回り、それに追いついたフィールドの選手たちは、次々に覆いかぶさって巨大な人間カマクラが出来上がった。

 決勝戦の余韻が冷めやらぬ中、やがてスタジアムは閉会式へと移行していく。CONIFAの特徴は、すべてのチームを表彰台に上げることである。「各チームはそれぞれに複雑な背景を背負いながら、サッカーで世界に橋を架けるためにこの大会に出場している。それ自体が全員称賛されるべきこと」とブリンド会長はその理由を語っている。

 2年前のアブハジア大会では、未承認国家アブハジア政府のここぞとばかりに存在と威信をかけた派手な演出と、アトラクションが行われた。しかし、今回はPADDY POWERというサッカーくじのスポンサーがついたものの、国がかりの前回とは違って低予算の極めてシンプルな進行である。

それでも、10日間で6試合という激闘を終えて、この場に参集する選手たちの熱量は2年前に比べて減っているものではなく、どころか、自分たちの創意工夫で授賞式を盛り上げた。全16チームの下位からの登壇であったが、各チームはそれぞれの個性をアピール。13位、ジンバブエの西部から参加したマタベレランドは、見事なハーモニーのアカペラと踊りで登場し、周囲を一気にアフリカンダンスの世界に巻き込んだ。この黄色いジャージの集団は屈託が無く、フレンドリーで宿舎の中でも人気を集めていた。彼らのあいさつ「シャー」が流行った。12位のチベットは、ダライラマ13世が制定した民族の象徴・雪中獅子旗を天空に向けて掲げて喝采を浴びた。チベットに対しては「よくぞ、出場してくれた!」というリスペクトの声が、全体を包んだ。

そして11位の在日コリアン代表チームUKJ(ユナイテッド・コリアンズ・イン・ジャパン)はプレーイングマネージャーの安英学、キャプテン孫民哲を先頭に記念メダルを首にかけると全員で「ウリエ ソウォヌン トンイル(私たちの願いは統一)」を歌った。サッカーの母国ロンドンで、彼らはこの日、北と南が一つになった在日コリアン代表チームとして統一旗を掲げ、38度線の無い朝鮮半島の本来の姿を願い、歌ったのである。

 なぜ、いまだに朝鮮籍にこだわる在日コリアンがいるのか。ほとんどの日本人は誤解しているが、北朝鮮国籍と朝鮮籍は異なるものである。朝鮮籍とは戦後、北朝鮮も韓国も成立していない時代に、日本国籍を剥奪された朝鮮半島出身者の外国人登録証明書の国籍欄に記された地域名であり、国籍ではなくいわば記号である。それを国籍に変えない理由とは、すなわちその後に米国とソ連に南北に引き裂かれる以前の朝鮮半島を指すこの「朝鮮」籍へのこだわりである。韓国籍を取得すれば確かに身分保証もされて便利にはなるが、それはすなわち南だけの国籍で祖国の分断を認めてしまうことになる。そう考えて地位的に不安定な朝鮮籍を敢えて変えない人々がいる。そしてそれは若いUKJの選手の中にもいる。この授賞式で歌った「ウリエ ソウォヌン トンイル」はまさに思いを告げる上でぴったりの歌であった。

 UKJが繋いだのは北と南だけではない。安英学はユニフォームに着けるエンブレムのデザイン作成にあたって、「日本で暮らす在日として日本の要素を必ず入れたい」と提案して、朝鮮半島を囲むラインをジャパンブルーにしている。安は選手たちにその意図を「心の中心にはコリアンがあるけれどもその周りには日本の方々がいて日本の生活があって日本の人たちの思いがあって自分たちが成り立っている」と説明している。

チーム成立には、公式戦の最中にもかかわらず、ホン・ユング、コウ・チファン、谷山健の三選手の召集に快く応じてくれたFC徳島の笠井泰嘉社長の協力も大きい。そして何より、4年前からCONIFAのヨーロッパでの理事会に自費で参加し、プロの翻訳家ながら無償で膨大な英文でのやりとりをこなし、帯同してあらゆる実務をこなしたライターの実川元子の献身無くしては大会参加も実現できなかった。そこへの感謝を忘れない。

 エンブレムの意図が通じたのか、6月9日のUKJの順位決定戦には日本人の応援団がやって来てスタンドから大きな声援を送った。統率したロンドン在住のタルビさちこさんはパートナーがカビリア人(アルジェリア北東部に暮らすベルベル人)で、カビリア対UKJを観戦した夫から話を聞いてサポーターになることを決意した。さちこさんはこんなことを語っている。

「最初は日本人の私がUKJの応援に行ってもいいのかと思って躊躇していたんです。日本人は喜ばれないんじゃないかって。でも夫のイディアが在日コリアンを日本語で応援したら喜んでたよーって話してくれて、ヨーロッパの他の民族に比べて応援が少ないし、絶対に喜ぶから行ったほうがいいと勧められました。それじゃあ私が頑張らないとっ!私のオーガナイズしてる日本語プレイグループに伝え、ショートノーティスにも関わらず共に応援してくれた友達もいました。参加出来なかった日本人のお母さんも、私の分も応援してきてーってエールを沢山もらいました」

 散々熟考した末に応援のスタイルは八咫烏の日本代表のユニフォームを着て行く事にした。子どもにもロンドン五輪のときに使った応援グッズを持たせた。

「私は日本人だから、日本人として在日コリアンを応援しようと思いました。今は自国に住んでいない外国人と言う点では一緒で、安さんの記事などを見て共感する点がたくさんありました。私は海外で生まれ育っても、自分のアイデンティティをしっかり持ち、それを誇りに思える選手達を羨ましく思いました。私の子供達にも同じ様に思えるようにしっかり教えていかなければと教わったように思います。彼等の思いをもっと沢山の人に知ってもらって、在日コリアンサポーターとして北朝鮮、韓国、日本人が一緒に応援出来る日が来ると世界がサッカーから変わって行くかも知れないですね」

 さちこたちの声は選手に届き、チベットとの11位12位決定戦はPK戦にもつれ込んだが、GKのリム・ヒョグン(関西学院大学)は重圧の中で2本止めて勝利を手繰り寄せた。この日本代表応援スタイルをUKJの選手たちはどう思ったか。さちこは「(日本代表ユニフォームで)不快な思いをさせていたらどうしようか」と気にしていたが、選手たちは「UKJのJの部分じゃないですか。むしろ、その姿がとても嬉しかったです」と口を揃えた。それは「同化」でも「対立」でもまして「支配」でもない。互いに確立したアイデンティティの同志として共に戦った証でもあった。橋を架ける者たちによって、橋はまた架かった。橋を架ける者たち

 UKJがチベット戦を制した後、移動のバスに向かっているとCONIFAのスタッフを介して、パンジャブと5位6位決定戦を戦うカスカディア(北米北西部環境保護地域代表チーム)のマネージャーがやって来た。

 スタジアムに着いてからユニフォーム一式を忘れたことに気が付いたので、もしも未使用のショーツとストッキングがあれば貸して欲しいという。サッカーの試合に最も重要なものを持たずに会場に来るとは本来は没収試合である。選手として身に付ける大切なものであるし、ストッキングは他人に履かれたらもう使用はできない。買いに行くなり、試合時間を遅らせて取りに戻るなりして、自分たちで解決すべき問題である。UKJは翌日の8時のバスで空港に向かうので早めにパッキングもしてしまいたい。それでもやはり、試合ができないのは可哀想だという声が出た。対戦相手のパンジャブにとっても残念なことである。「必ず洗って明日の朝のUKJの出発までには返すから、迷惑はかけない」というカスカディアのマネージャーも言う。チームとして人助けしようと、急遽貸すことにした。

 

翌朝、宿舎のロビーのデスクには、泥だらけのソックスとシューツがそのまま放り投げられるように置かれていた。呆然としていると、肝心のカスカディアのマネージャーが、姿を見せ、こそこそとその横を通り抜けて行こうとする。無視である。感謝も謝罪も無い。「約束を破ってすみません。どうしても忙しくて洗う時間が無かったのです」「申しわけないが、後からでも送らせて欲しい」そんな言葉が聞けたのなら、救いがあっただろう。信頼して貸してくれた選手たちにひと言もなく開き直ったような態度に、私はぶち切れて、怒鳴りつけた。すると逃げるように外に出て行く。追いかけて詰めると、停めてある車の前でぼそぼそと言い訳がましい言葉を吐いて目を見ようともしない。非を認めたくないのか、チームに対して約束を破ったことに対する正式な説明も謝罪も無く、隙を見て車で逃げていった。約束を履行せず、他人に借りたものを自分たちで汚して(環境保護団体でありながら)そのまま放り返す。カスカディアのこの態度は、互いの信頼で成り立っているCONIFAにおいて、善意を正面から裏切る行為であった。

UKJはもうあと10分で出発である。マネージャーのソン・チャノが、選手に経緯を説明して「俺が日本で全部洗って返すよ」と引き取った。

ホテル前の最後のあいさつで選手に向かって監督の安が言った。「ユニフォームの件、俺が責任者として貸すことを決めて、結果的に皆の大切なものを傷つけてしまいました。まずそれを謝ります。申し訳ない」でも、と続けた。「今回は、残念だったけれど、もしもこれからのサッカー人生でまたこういうことで困っているチームがいれば、懲りずにまた助けてあげて欲しい。俺たちの民族、俺たちの親はそうやって助け合って生きてきたのだから。そして同じサッカーをやっている仲間だ。困っている人がいたら、これからも助けてあげて欲しい」ワールドフットボールカップ11位。されど彼らこそ、サッカーの勝者である。ロンドンの町はUKJを忘れない。