Yahoo!ニュース

孤独な兄弟テロリストの論理

木村正人在英国際ジャーナリスト

ローンウルフ

ボストン・マラソン連続爆破テロを実行したチェチェン系のタメルラン・ツァルナエフ容疑者(26)=死亡=とジョハル・ツァルナエフ容疑者(19)はアメリカのイラク、アフガニスタン戦争に反感を抱き、自らをアメリカに「ジハード(聖戦)」を仕掛ける戦士に駆り立てていた。

国際軍事情報会社IHSジェーンズのテロ専門家バレンティナ・ソリアさんによると、アメリカやヨーロッパではインターネット上のイスラム過激派サイトを通じて「ローンウルフ(1匹狼)・テロリスト」「フリーランス・ジハーディスト(聖戦主義者)」と呼ばれ、アルカイダのようなテロ組織とつながりを持たない単独行動型テロリストが増えている。

イスラム過激主義に染まった移民がいつ最後の一線を超え、暴力的なテロを起こすのかを事前に把握するのは難しい。1匹狼テロリストの生い立ちや言動を比較するといくつかの共通点が浮かび上がる。

義足ボクサーの誤爆事件

ボストン・マラソン爆破テロと背景が極めて似ているのが2010年9月にコペンハーゲンのホテルで起きた誤爆事件だ。ベルギーで暮らすチェチェン出身の若者がイスラム教預言者ムハンマドの風刺画を05年に掲載したデンマークの新聞社に爆弾を送りつけようとホテルのトイレで作業中に誤爆したのだ。若者は血まみれになって、トイレから飛び出してきた。

若者は子供のころ、ロシア軍の地雷で右足を失い、難民としてベルギーに移住。ベルギーの大学で建築を学び、義足をつけてアマチュア・ボクシング選手として活躍していた。ベルギーの放送局は「移民がベルギー社会に溶け込んだサクセス・ストーリーだ」として若者のドキュメンタリー番組を制作したほどだ。

しかし、大学の研修で風刺画騒動の発端となったコペンハーゲンを訪れてから、男はイスラム過激主義に染まっていく。ドキュメンタリー番組の制作者は「彼は知的で、ボクサーとしての才能に恵まれていた。テロリストになった理由は想像できない」と絶句した。

「ムハンマドをキング牧師と比べるな!」

ボストン・マラソン爆破テロの主犯タメルラン(兄)もアメリカ・チャンピオンを目指していた有望なボクサーだった。タメルランを良く知るボクシング関係者は英BBC放送に「ボクシングに惹かれる若者は必ずギリギリまで突っ走ってしまう。トラブルや怒りがコントロールされている間はボクシングのエネルギーになる」と語っている。

ツァルナエフ兄弟の祖父母はソ連の独裁者スターリンの政策でチェチェンからキルギスに強制移住させられる。父はソ連崩壊を機にコーカサス地域に戻って家族を持ったが、チェチェン紛争が深刻化したため、家族は難民としてアメリカに渡る。しばらくして両親はコーカサス地域に帰国したが、兄弟はアメリカに残った。

タメルランが信心深いイスラム教徒になったのは、麻薬やアルコールなどアメリカの悪習に染まらないようにという母の勧めがあったからだ。タメルランはボクシング練習の合間にマットを広げてお祈りをしていた。地元の大会で優勝するなどボクサーとしての才能を開花させるが、09年のトーナメント大会で敗退してから歯車が狂い始める。

数週間後、ガールフレンドに暴力をふるったとして逮捕され、アメリカの市民権取得が先送りされた。「アメリカ人のことはまったく理解できない」とこぼしていたタメルランは怒りを腹の中にためこみ、モスク(イスラム教の礼拝所)で不満を爆発させたことがある。説教者がアメリカの人種差別撤廃運動指導者キング牧師とムハンマドを比較したのが理由だった。タメルランの過激化は進んでいた。

タメルランはオーストラリア在住のイスラム過激主義指導者を特集した動画をユーチューブに投稿していた。この指導者もタメルランと同じ元ボクサーで、オンラインを通じて「柔らかな心にジハードの熱情と殉教への愛を注ぎ込め」と説いて、タメルランのような若者を洗脳していた。

チェチェンのイスラム過激派を監視しているロシア政府からの要請で11年、アメリカ連邦捜査局(FBI)はタメルランを事情聴取したが、「問題なし」として片付けてしまう。仮にイスラム過激思想に染まっていたとしても、テロ組織とのつながりを見つけられなければそれ以上、追及するのは難しい。ほかにマークしなければならない危険なグループはいくらでもある。

アメリカ中央情報局(CIA)はテロ情報の収集・分析を横断的に行う国家テロ対策センターにタメルランを監視対象リストに加えるよう要請した。タメルランは12年1月にニューヨークからモスクワに飛び、半年後にアメリカに帰国したが、タメルランがスペルを間違えて名前を渡航申請書類に書き込んでいたため、FBIはタメルランの動きに気づかなかった。

アメリカ社会に溶け込んでいた弟ジョハルは兄に感化され、兄のジハードに加わったとみられている。

過激化の論理

欧米社会で暮らすイスラム系移民の若者が過激化する過程は、(1)イラクやアフガニスタン、パレスチナ自治区などでイスラム教徒が苦しんでいることへの怒り(2)イスラムと西洋の道徳的な対立(3)失業や差別、挫折など個人的な体験を国際情勢に普遍化させる心理的な投射行為(4)テロ組織への加入という4段階に分類できる。1匹狼テロリストは(4)のプロセスを欠いている。

かつて中東イエメンに潜伏し、インターネットを通じて過激思想を撒き散らしていたイスラム教指導者アンワル・アウラキ師(アメリカの無人航空機による攻撃で死亡)の影響を受けたイスラム系移民がテロリストになるケースが少なくなかった。アウラキ師は巧みな英語でアイデンティティー・クライシス(自我の危機)に陥った欧米のイスラム系移民をテロに駆り立てていた。

数多くのテロリストからインタービューしているテロ研究者ジェシカ・スターンさんがアメリカの外交雑誌フォーリン・ポリシーへの寄稿で、「1匹狼テロリストはそれぞれが特有の入り混じった不平を抱いており、それを正すことを望んでいる」と分析している。

1匹狼テロリストにとってグレーゾーンはない。悪者か善者かの2つしかない。スターンさんによると、彼らのマニフェスト(犯行声明)を読めば必ずテロの動機が解釈できるというわけではないという。「彼らのアイデンティティーに関わる恥辱と不満、混乱がしばしばテーマになっている。疎外された1匹狼テロリストに共通するのは、それぞれがそれぞれの形で疎外されているということだ」

ロンドン・マラソン

テロから6日後に行われたロンドン・マラソンには3万6千人のランナーが参加し、70万人の大観衆が沿道を埋めた。ロンドン五輪の男子陸上5千、1万メートルで金メダル2個を獲得したソマリア系英国人モー・ファラー選手もハーフマラソンを走った。

レース前、「すべての大陸のランナーとサポーターは1つに結ばれている」とボストン・マラソン爆破テロの犠牲者を追悼し、30秒間の黙祷が捧げられた。僕も妻と沿道で声援を送った。いつもと変わらないようにロンドン・マラソンが行われたのは、卑劣なテロに屈しない意思を示すためだ。

水面下では対内情報を担当するMI5が普段からマークしているイスラム過激派グループへの監視を強めていたに違いないが、表面上は警察官を数百人増やして不審物のチェックを強化しただけだった。

イギリスには第二次大戦でナチス・ドイツの空襲にあったときも、何事もなかったように赤色の2階建てバスを走らせ、若者はパーティーに出かけた伝統がある。怖がったり、怯んだりするとヒトラーを勢いづかせるだけだ。

2005年にロンドンの地下鉄やバスがイスラム過激派の同時爆破テロにあって52人が犠牲になったときも、ケン・リビングストン市長が「テロリストはロンドン市民を分断し、互いに争うように仕向けている。ロンドン市民はこんな臆病な攻撃によって分かたれることはない。私たちは一つだ」という名演説を行った。

地下鉄では何もなかったように「バスカー」と呼ばれる流しのミュージシャンが陽気なメロディーを奏でた。人口の半分以上が移民のロンドンではイスラム系移民が多く暮らしているが、コミュニティーが背き合うことは決してなかった。

イスラム系移民への嫌悪感が広がってコミュニティーが分断されれば、テロリストの思う壺だ。一方、アメリカは重武装した警官隊が、潜伏していた弟ジョハルに対して大掛かりなマンハントを展開した。

逮捕されたジョハルは、ニューヨークの繁華街タイムズスクエアを爆破する計画を供述したが、アメリカの過剰反応は01年の中枢同時テロ(9・11)と同じように、攻撃を受けたときのアメリカのもろさ、動揺ぶりを浮き彫りにしているようにも見えた。

移民社会の形

ヨーロッパではイスラム系移民の増加で、異文化の共存を認める多文化主義を見直す動きが出ている。決して混じり合うことがないサラダボール型の移民社会よりもアメリカのような坩堝(るつぼ)状の移民社会を目指すべきだという声もある。

イスラム系移民の若者が抱えるアイデンティティー・クライシスを解消するメッセージを政治指導者が発信し、1つにまとまった社会を構築する努力を続けない限り、サイバー空間で1匹狼テロリストは増殖し続けるだろう。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事