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「感謝」「恵まれた野球人生」「悔いはない」大引、田代、米野、風張…元燕4人が迎えたそれぞれの“引退”

菊田康彦フリーランスライター
今年の「PERSOL THE LAST GAME」に出場した選手たち(筆者撮影)

 今年も残り2週間を切った12月18日。埼玉・ベルーナドームで「PERSOL THE LAST GAME 2022」と銘打たれた合同引退試合が行われた。スカパー!主催によるこのイベントが開催されるのは、今年1月に次いで2回目。引退試合やセレモニーのないままプロ野球(NPB)から引退した31名が、多くのファンの前で“最後”の雄姿を見せた。

 第1回目に参加したのは2021年もしくは2020年を最後に引退した選手たちだったが、今回は大嶺祐太(34歳、元千葉ロッテマリーンズほか)、佐野泰雄(29歳、元埼玉西武ライオンズ)など今シーズン限りでユニフォームを脱いだばかりの“若手”のみならず、2010年の現役引退から既に12年が経つ小山田保裕(46歳、元広島東洋カープほか)のような“ベテラン”まで、引退時期はさまざま。その中で、筆者はいずれも東京ヤクルトスワローズでプレーした経験を持つ大引啓次(38歳、元内野手)、田代将太郎(33歳、元外野手)、米野智人(40歳、元捕手、外野手)、風張蓮(29歳、元投手)の4人に注目した。

大引は遊撃だけでなく投手も。田代は適時二塁打

 風張を除く3人の野手の中で真っ先に打席に入ったのが、FAでヤクルトに移籍した2015年には正遊撃手としてセ・リーグ優勝に貢献し、2019年を最後に現役を引退した大引である。この日は先行「WEST DREAMS」の一番・遊撃で先発出場し、第1打席はいい当たりのセカンドゴロに倒れるも、第2打席でレフト前にヒット。いったん試合から退いたのち、特別ルールにより6回から再びショートを守ると、9回裏にはこれも特別ルールで9対2とリードした「EAST HOPES」の攻撃でマウンドに上がり、制球良くわずか4球で3者凡退に抑えた。

 2018年に西武からヤクルトに移籍して3年間在籍した田代は、後攻「EAST HOPES」の一番・右翼で先発。1回裏の第1打席はファーストフライに終わったが、第2打席で三塁線をゴロで破るタイムリーツーベースを打った。同じ「EAST HOPES」の五番・一塁で先発出場したのは、2006年には選手兼任監督となった古田敦也に代わりヤクルトの正捕手を務めた米野。4回にレフトへの犠牲フライで走者をかえし、6回には右中間にポトリと落ちるヒットで塁に出ると、9回はファーストの守備でショートバウンドの送球を上手くすくい上げ、アウトにしてみせた。

 2015年にドラフト2位でヤクルトに入団し、2018年は中継ぎとして53試合に投げた風張は、「EAST HOPES」の3番手として4回に登板。横浜DeNAベイスターズを経て、今年の夏までは米国の独立リーグで投げていたが、久しぶりのマウンドとあってかいきなり伊藤隼太(33歳、元阪神タイガース)に二塁打を許すと、1死一、三塁から犠牲フライで1点を失った。

風張「僕自身の中に悔いはない」

 その風張は、ヤクルト入団1年目に二軍でも一軍でも先発として上がった初マウンドで危険球退場を宣告されるという「珍記録」を持っている。試合後の囲み取材では「今日は危険球退場にならなくてよかった」と笑わせると、ヤクルト6年、DeNA1年のNPB生活を「全てが自分の中ではすごく宝物です」と振り返り、「全く僕自身の中に悔いはないですし、自分がやれることはやったと自負してますので。全く悔いなく気持ちよく終わることができました」と、キッパリと口にした。

 風張のNPBでの最後の一軍登板は、DeNAに移籍していた昨年9月11日の古巣・ヤクルトとの対戦。神宮のファンから大きな拍手で迎えられ、四番の村上宗隆から141キロのストレートで空振り三振を奪ったその日のマウンドについて聞くと「ホントにすごい巡り合わせというか、いい経験をさせていただきましたし、村上選手から三振を取ったのは一生言えると思うので、すごく楽しい思い出でした。嬉しかったです」と笑顔を見せた。現在は保険業のかたわら「小学生であったりとか、もうちょっと下の年代だったりとか、そういうところに野球の魅力を伝えていければなっていう活動を少し、やらせてもらってます」と言う。

 西武6年、ヤクルト3年の現役生活を「ホント恵まれた野球人生だったなって思います」と言ったのは田代だ。ユニフォームを脱いだ今、「あらためてホントにプロ野球ってすごくいい環境だなって、ホントに恵まれた環境だなって思いました。引退してからホントにすごいことだなって、ホントに感謝しながらやらないといけないなっていうところはあらためて思いました」と語る。

 今後については「今は営業をやってるんですけど、来年から野球に携わるようなことを始めていくので、少しでも力になれればと思っております」と話していたのだが、それから3日後の12月21日に西武が運営する野球スクール「ライオンズアカデミー」のコーチ就任が発表された。

米野「けじめというか区切りとして…」

「ライオンズに6年近くいて、昨年からライオンズ球団のほうから声を掛けてもらってお店をやらせてもらってるんですけど、そういうタイミングで今回こういうゲームのお話をいただいて。確かに引退試合とかセレモニーを僕はやらなかったので、けじめというか区切りとして…」

 2010年の途中でヤクルトから西武にトレードされ、2012年4月26日の福岡ソフトバンクホークス戦では劇的な逆転満塁ホームランを打ったこともある米野は、この日の試合に出場した経緯をそう話す。2016年に北海道日本ハムファイターズで現役を引退し、昨年からはベルーナドーム(当時メットライフドーム)に飲食店「BACKYARD BUTCHERS」をオープン。この日も店は多くのお客さんでにぎわっていた。

 店の営業は来年も続けていく予定で、「来年度の新メニューも今ちょうど考えてて、どうしようかなって悩んでる時なんで。お店の方もまた来年はちょっといろいろ変えて、もっとお客さんに喜んでもらえるようなお店づくりをしていきたいなと思います」と、今後に向けての抱負も語った。

大引「志半ばで引退した選手にはありがたい」

 オリックス・バファローズを皮切りに、日本ハム、ヤクルトの3球団で正遊撃手として活躍してオールスター出場3回、通算1000試合出場、1000安打も達成した大引も、引退試合やセレモニーのないままユニフォームを脱いだ1人である。当日の囲み取材はなかったものの、後日あらためてこのPERSOL THE LAST GAMEに出場した意味を問うと、次のようなコメントが返ってきた。

「ラストゲームは自分にとってどのような意味があるのかは分かりません。しかし、PERSOLさんをはじめ協賛していただいた各社には感謝の念であります。志半ばで現役を引退したプロ野球選手たちにとって、たいへんありがたい場であったと思います。選手の家族、友人、関係者、ファンにとっても喜ばしいのではないでしょうか」

 大引は引退後、昨年から日本体育大の大学院でコーチングを専攻しながら硬式野球部の臨時コーチも務めている。今後については未定だというが、今回の“引退試合”を経て、本格的に指導者への道を歩んでいくことを期待したい。

 華やかなプロ野球の世界では、自ら納得して現役を引退する選手はごくわずか。むしろ大引の言うように「志半ばで」引退をせざるを得ない選手が大半だ。そうした選手の中には、今回でいえば前出の伊藤や白崎浩之(32歳、元DeNAほか)らのように独立リーグでプレーを続ける道を選んだ者もいる。

 それでも選手としての人生に幕を引こうと決意したその時、あるいは何年か後だったとしても、こうした形でプロ野球選手としての区切りをつける場があるというのは、幸せなことに違いない。

(文中敬称略)

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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