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元ヤクルトのオンドルセクが2年ぶり米球界復帰。マイナーで先発も、勝利投手の権利まで「あと1人」で降板

菊田康彦フリーランスライター
ヤクルト時代はTシャツにも登場(左端)。写真は筆者所有の同デザインのポストカード

 2015年から東京ヤクルトスワローズに2シーズン在籍したローガン・オンドルセク(36歳)が、現地時間8月7日付でサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。オンドルセクは元福岡ソフトバンクホークスのホルベルト・カブレラ、元東北楽天ゴールデンイーグルスのデイモン・マイナー(日本での登録名はデイモン)らがコーチを務めるAAA(トリプル・エー)のサクラメント・リバーキャッツに配属され、さっそく同日(日本時間8月8日)のエルパソ・チワワズ(サンディエゴ・パドレス傘下)戦に先発したが、5回途中3失点で勝ち負けは付かなかった。

5回2死からファウルで粘られ、102球で交代

 2019年はワシントン・ナショナルズ傘下のマイナーで、AA(ダブル・エー)とAAA合わせて22試合(うち先発15試合)に登板し、4勝6敗1セーブ、1ホールド、防御率6.80という成績だったオンドルセクにとって、米球界のマウンドに上がるのはこれが2年ぶり。初回に犠飛とソロ本塁打で2点を失うと、味方が同点に追いついた直後の2回表は六番・加藤豪将の単打を皮切りに連打で無死一、二塁のピンチを招くが、後続を抑えてこの回は無失点で切り抜けた。

 3回には無死一、三塁から暴投で3点目を献上するも、4回裏に味方が4点を奪って逆転。5回表は簡単にツーアウトを取り、勝利投手の権利まであとアウト1つとなった。ところがここで、初回に本塁打を打たれている四番のルイス・カンプサーノにフルカウントから6球ファウルで粘られ、最後はワンバウンドとなってフォアボール。球数が102球に達し、交代を告げられた。

 結局、この日のオンドルセクは4回2/3を投げて被安打7、与四球1、奪三振7、失点3(自責点3)で勝ち負け付かず。打っては2回にフルカウントから見逃し三振、4回はスリーバントに失敗して2打席連続三振に倒れている。試合はサクラメントが6対3で勝利を収めた。

2015年はヤクルトVに貢献も、翌年途中で退団

 オンドルセクは2010年から2014年にかけてシンシナティ・レッズの救援投手として通算281試合に登板し、21勝11敗42ホールド、2セーブ、防御率3.89をマーク。2014年末にヤクルトと契約すると、2メートル3センチの長身から投げ込むカットボールを武器に、2015年はセットアッパーとしてセ・リーグ2位の72試合登板、トップタイの33ホールドと、14年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

 翌2016年は米球界に復帰したトニー・バーネットに代わる守護神として、交流戦終了時までに3勝1敗11セーブ、2ホールド、防御率2.30を記録していたが、リーグ戦再開直後に首脳陣とトラブルを起こしてシーズン途中で退団。7月下旬にはボルティモア・オリオールズと契約して7試合に救援登板したものの、翌年の開幕前に解雇されると、その後はマイナーリーグや独立リーグを渡り歩いた。

 2019年オフにはメキシカン・リーグのレオネス・デ・ユカタンと契約するも、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年はリーグがシーズン全休。今年はユカタンで8試合に登板して4勝2敗、防御率2.38と、先発として安定した成績を残していた。

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フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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