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12球団監督の半数が“門下生”。プロ野球界に残る野村克也氏の遺産

菊田康彦フリーランスライター
指導者としての出発点は南海時代。当時はプレーイングマネジャーだった(写真:岡沢克郎/アフロ)

 現役時代はプロ野球史上2位の通算657本塁打を放ち、監督としては歴代5位の通算1565勝を挙げた野村克也氏が、2月11日に84歳で他界した。

パ・リーグ連覇の西武・辻監督ら“門下生”は6人

 選手として、また監督として、多くの実績を積み上げてきた野村氏だが、球界に残したものも実に多い。その1つが「人材」だ。現在のプロ野球12球団監督の顔ぶれが、それを物語っている。

埼玉西武ライオンズ・辻発彦

(1996~98年)

東北楽天ゴールデンイーグルス・三木肇

(1996~98年)

北海道日本ハムファイターズ・栗山英樹

(1990年)

阪神タイガース・矢野燿大

(1999~2001年、当時の登録名は矢野輝弘)

中日ドラゴンズ・与田剛

(2000年、当時の登録名は与田剛士)

東京ヤクルトスワローズ・高津臣吾

(1991~1998年)

 上記のとおり、現役時代に野村氏の下でプレーした経験のある監督は、実に半数の6人に上る(カッコ内は野村監督率いるチームに在籍した年度)。さらにファームに目を向けると、福岡ソフトバンクホークス・小川一夫二軍監督は南海ホークス(ソフトバンクの前身)で、千葉ロッテマリーンズ・今岡真訪二軍監督は阪神で(当時の登録名は今岡誠)、日本ハム・荒木大輔ファーム監督兼投手コーチとヤクルト・池山隆寛二軍監督はヤクルトで、選手として野村監督の下でプレーしている。

「人を残すことが最も評価される」を実践

 上記以外のチームでも、オリックス・バファローズには風岡尚幸内野守備走塁コーチら、横浜DeNAベイスターズには坪井智哉打撃コーチらがおり、野村氏の下でプレーした経験のある指導者がいないチームを探すほうが難しい。日本代表監督として今夏の東京オリンピックでも指揮を執る稲葉篤紀監督も、「野村門下生」の1人だ。

 中には野村氏とはソリが合わなかったと伝えられている者もおり、全員が全員、野村氏に心酔していたかといえば、そうではないかもしれない。それでもそれぞれに野村氏の下で何かを学び、指導者として生かしているものがあるはずだ。

 かつてのプロ野球では、巨人・川上哲治監督の下でプレーした経験のある「川上門下生」が指導者として多くの球団で幅を利かせていた時期があったが、時代は確実に変わった。今は野村氏の「ID門下生」の時代と言っていいだろう。

 生前、「人を残すことこそが最も評価されること」と語っていた野村氏だが、それを自ら実践したことになる。心よりご冥福をお祈りする。

※文中の「辻」は、正確には「しんにょう」の点が1つ

(2月15日付けで、文中に「福岡ソフトバンクホークス・小川一夫二軍監督」に関する記述を加えましたので、球団既出となる「平石洋介打撃兼野手総合コーチ」に関する記述を削除しました)

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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