ヤクルトがソフトバンク戦力外の寺原を獲得。過去には森岡、鵜久森、大松らも

ヤクルトの本拠地・神宮球場(筆者撮影)

 東京ヤクルトスワローズは11月27日、福岡ソフトバンクホークスを戦力外となっていた寺原隼人(35歳)の獲得について、基本的合意に至ったと発表した。

 ヤクルトはこれまでも他球団を戦力外となった選手を獲得し、戦力として活用してきた。ここでは、戦力外通告が現行の形で制度化された2008年以降から、6人をピックアップする。

森岡良介(2008年、中日を戦力外)

 2002年夏に明徳義塾高で甲子園を制覇し、同年秋のドラフト1巡目で中日に入団。期待は大きかったが、一軍に定着することのないまま2008年限りで戦力外となり、12球団合同トライアウトを経てヤクルトに移籍した。

 新天地では2年目の2010年にイースタン・リーグ首位打者を獲得すると、2012年からは主に遊撃手として一軍で3年連続100試合以上に出場。背番号が68番から10番に替わった2014年には選手会長に就任するなど、チームにとってなくてはならない存在となった。

 その後は代打などで存在感を発揮し、2016年限りで現役を引退。一軍野手コーチ補佐を経て、現在は二軍内野守備走塁コーチを務めている。ヤクルトで「再生」したというよりは、花開いた選手と言えるだろう。

ユウキ(2008年、オリックスを戦力外)

 大阪近鉄からFAの人的補償でオリックスに移籍した2002年に、自己最多の7勝をマーク。その後は故障に泣かされるも、2006年に救援で復活。2007年は先発に戻って4勝を挙げたが、翌2008年は右肩手術の影響で一軍登板ゼロに終わると、オフに戦力外通告を受けた。

 前出の森岡と同じくトライアウトを受け、ヤクルトに育成契約で入団。本名の「田中祐貴」を登録名にして二軍で結果を残し、5月には再び「ユウキ」の登録名で支配下に復帰した。規定投球回には届かなかったものの、19試合に先発して5勝6敗、防御率3.40という成績で、ヤクルト初のクライマックスシリーズ進出に貢献した。

 翌2010年も先発ローテーションの一角として期待されながら、右肩痛の再発により一軍登板はゼロ。9月に現役引退を発表し、この年限りでユニフォームを脱いだ。

阿部健太(2011年、阪神を戦力外)

 近鉄入団1年目の2002年に、高卒新人ではチーム19年ぶりとなる初先発初勝利を飾ると、9月14日の千葉ロッテ戦ではプロ初完投勝利。2005年に球団合併に伴う選手分配ドラフトでオリックス入りするも一軍定着はならず、2008年はトレードで阪神へ移籍した。同年は救援で自己最多の32試合に投げ、翌2009年はローテーションの谷間で先発としても起用されたが、その後は一軍登板のないまま2011年限りで戦力外となった。

 トライアウトを経てヤクルトに移籍した2012年は、救援で15試合に登板。翌2013年、7月3日の横浜DeNA戦(横浜)で2番手として1イニングを無失点に抑えると味方が逆転し、あの初完投以来、3580日ぶりの白星が転がり込んだ。これはNPBのみでプレーした選手に限れば、史上最長の「ブランク勝利」として話題になった。

 翌年も一軍で11試合に投げたものの、戦力外通告を受けて現役を引退。2015年は打撃投手兼スコアラーとなったが、ファームの野手不足からシーズン途中に育成契約で現役復帰し、9試合で外野を守るなど野手として11試合に出場した。同年のオフに3度目の戦力外通告を受ける形で再び現役を引退し、現在はヤクルトのスカウト。

井野卓(2014年、巨人を戦力外)

 東北福祉大から大学生・社会人ドラフト7巡目で入団した東北楽天では、当時の野村克也監督から薫陶を受けるも一軍定着はならず、2対2の交換トレードで2013年に巨人へ移籍。移籍1年目は一軍で10試合に出場するも、2年目の2014年は二軍暮らしに終始すると、オフに戦力外通告を受けた。

 それでも現役をあきらめることはできず、暮れも押し詰まった時期になってヤクルト入団が決定。移籍1年目の2015年は一軍出場ゼロ、翌2016年も2試合の出場にとどまったが、2017年は正捕手の中村悠平、控えの西田明央が相次ぐケガで戦列を離れる中で、ベテランらしいリードで存在感を発揮した。

 そして2018年、開幕から一軍メンバーに名を連ねると、シーズン後半は原樹理、石川雅規らの“専属捕手”を務めるなど、プロ13年目で自己最多の47試合に出場。安打、打点などでもキャリアハイを記録し、あらゆる意味で「プロ野球人生最高のシーズン」となった。

鵜久森淳志(2015年、北海道日本ハムを戦力外)

 2004年、済美高の四番打者として甲子園大会で春の優勝、夏の準優勝に貢献。同年秋のドラフトで北海道日本ハムから8巡目指名を受け、プロ入りした。ファームでは11年間で84本塁打を放つ一方、一軍では通算146試合で6本塁打にとどまり、2015年限りで戦力外に。トライアウトを経てヤクルトとの契約にこぎつけ、プロ12年目で新たなスタートを切ることになった。

 新天地では開幕直後に決勝本塁打でチームにシーズン初勝利をもたらすと、8月にはキャリア初の満塁弾を放つなど、自己最多となる46試合の出場でキャリアハイに並ぶ4本塁打、自己新の19打点をマーク。翌2017年は開幕第3戦で球団史上2人目の代打サヨナラ満塁本塁打、その10日後には代打サヨナラ安打を放つなど、「サヨナラ男」ぶりを見せつけた。

 しかし、2018年は開幕から19試合の出場で打率.294、3打点という成績ながら、5月の終わりに二軍落ちすると、そのまま一軍に戻ることなく戦力外に。オフには自身2度目のトライアウトに臨み、現役続行の道を模索している。

 

大松尚逸(2016年、千葉ロッテを戦力外)

 東海大からドラフト5巡目で入団したロッテでは、2008年の24本を皮切りに3年連続で2ケタ本塁打をマーク。ところが、2016年にファームの試合で右アキレス腱断裂の重傷を負うと、復帰を目指してリハビリに励む中で戦力外通告を受けた。

 現役をあきらめられず、翌2017年春のキャンプでヤクルトのテストを受けて入団。開幕一軍入りを果たすと、プロ野球史上4人目となる2本の代打サヨナラ本塁打を放つなど、左の代打の切り札として存在感を発揮した。

 だが、2018年は一軍出場のないまま戦力外に。現在はNPBはもとより、社会人や海外も視野に入れながら、現役続行を目指している。

 今回、ヤクルトへの入団に合意した寺原は、これまでダイエー・ソフトバンク、横浜、オリックス、そして再びソフトバンクと渡り歩き、プロ17年間で299試合登板、71勝80敗23セーブ、12ホールド、防御率3.85の通算成績を残している。今年もリリーフで21試合に投げて4ホールド、防御率2.39の成績で、ヤクルトでもブルペンでの働きが期待される。