ヤクルトのユニフォーム姿も昨年まで。飯原は、今年からは故郷・栃木を本拠地とする独立リーグの球団でプレーする(筆者撮影)
ヤクルトのユニフォーム姿も昨年まで。飯原は、今年からは故郷・栃木を本拠地とする独立リーグの球団でプレーする(筆者撮影)

 いよいよプロ野球も明日からキャンプイン。今シーズンの戦いに向け、12球団の選手たちが沖縄、宮崎などで約1カ月の間、練習に汗を流す。

 だが、その中に飯原誉士(34歳)の姿を見つけることはできない。昨年限りで東京ヤクルトスワローズを戦力外となり、今年は独立リーグのBCリーグ、栃木ゴールデンブレーブスでコーチ兼選手として、新たなスタートを切ることになったからだ。

プロ1年目以外、シーズン初打席はいつも緊張

 2006年のプロ入り以来、ヤクルトでプレーしたのは12年。通算901試合、2457打席、563安打、49本塁打、76盗塁の中には、忘れられない思い出も数多くある。しかし、飯原の口から出てきたのは、ちょっと意外な言葉だった。

「今振り返ると僕、(プロ)2年目から12年目まで、シーズン最初の打席はすごい緊張してたんですよ。でも、1年目(のプロ初打席)って不思議と緊張しなかったんですよね。逆に、それが一番の思い出かもしれないです」

 飯原のプロ初出場は2006年の開幕戦、3月31日の阪神タイガース戦(神宮)。ただし、この時はアレックス・ラミレス(現横浜DeNA監督)に代わってレフトの守備に就いただけで、打席には立っていない。

 プロ初打席が巡ってきたのは、それから3週間あまりが経った4月22日の横浜(現横浜DeNA)ベイスターズ戦(神宮)でのことだ。この試合に七番・右翼でスタメン起用されると、サウスポーの土肥義弘(現埼玉西武投手コーチ)を相手に初めてのバッターボックスに入った。

チームリーダーの言葉で芽生えた「プロの自覚」

「いきなり足にデッドボールで『ラッキー!』と思って嬉しくて、笑いながら(一塁に)行ったら、ベンチに帰ってきて宮本さんに怒られました。『仕事でやってるんだから、当たって(デッドボールで)笑ってるヤツなんていないんだ。そんなんだとバンバン当てられてケガするぞ』って」

 チームリーダー、宮本慎也(現ヘッドコーチ)からの愛ある叱責。その言葉で芽生えたのは、プロとしての自覚だった。

「たぶん無我夢中というか、あまり仕事っていうふうにとらえてなかったのかもしれないですね。その時は意識していなかったんですけど、どこかで楽しんでいたんだと思います。ここ(プロの打席)に立ってるのが幸せっていうか…。それから1年間プロとしてやって、また次の年に(シーズン初打席を)迎えた時には『やっぱりこの打席ってすごく大事だし、ここで1本出ることがすごく大事なんだ』って考えるようになって。それからはシーズン最初の打席っていうのは、もう足が震えるくらい緊張してたんです。何年やってても」

独立リーグ初打席も「緊張すると思います」

 その中でも一番緊張したのは、2016年のシーズン初打席だったという。前年は左ヒザ後十字靭帯損傷の大ケガで、出場は18試合のみ。この年もなかなか一軍からお呼びがかからず、自身の33回目の誕生日となった4月26日にようやく一軍昇格が決まると、翌27日の広島東洋カープ戦(神宮)にさっそく代打で出番が回ってきた。

「野村(祐輔)からセンター前に(ヒットを)打ったんですけど、あれだけ長いケガをして、久しぶりの(一軍での)打席だったんで、ものすごい緊張しちゃいました」

 ちなみに読売ジャイアンツの山口鉄也から代打逆転2ランを放ち、神宮のお立ち台に上がるのは、その3日後のことだ。

 数々の思い出に彩られたヤクルトでの生活に別れを告げ、今年からは故郷の栃木を本拠地とする球団でプレーすることになる。NPBから独立リーグに舞台が変わっても、初打席はやはり緊張するのだろうか?

「するんじゃないですかね。新たな始まりなんで。どういう気持ちで入っていけるかわかんないですけど、緊張すると思いますよ」

 今シーズンのBCリーグの日程はまだ発表されていないが、例年どおりであれば開幕は4月。真新しいゴールデンブレーブスのユニフォームで右バッターボックスに入るその時、飯原の「第2の野球人生」が幕を開ける。