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ブンデス初ゴールの鎌田大地。恩師が語る高校時代の成長。

河治良幸スポーツジャーナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

日本でJリーグ再開が待たれる中、ドイツのブンデスリーガが5月16日に世界でいち早く試合を再開。日本から20歳でドイツに渡った鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト所属/1996年8月5日生/180cm/72kg)が、5月26日開催のブンデスリーガ第28節で待望の初ゴールを決めた。この日、鎌田大地は長谷部誠と揃ってスタメン出場すると、2ゴールに絡む活躍でファンに笑顔を届けた。高みを目指しプレーし続ける鎌田大地。彼はここまでいかに成長してきたのか。高校時代の恩師である福重良一監督(京都 東山高校)が、鎌田大地との思い出をたっぷり語る。

(取材協力:Noriko NAGANO)

[東山高校サッカー部と大地の縁]

「大地のお父さんは僕の大阪体育大学の一つ上の先輩で、同級生を通じて進路の相談がきて、大地が中学3年生の夏に、まずお父さんと会った。お父さんは大学のときからしゃべりが達者で、そのときも賑やかにいろいろしゃべって、そのあと、ガンバ大阪の練習試合を見に行って、初めて大地のプレーを見ました」

「大地とは、そこでは喋ってないんですよ。外から見ていただけで。そのときの印象は、大きくないというか、たぶん175cmないくらいで、華奢なイメージでした」

「その試合は、途中交代で入って、途中で交代させられたので、監督の評価はあまり良くなかったのかな。短い時間でしたが、2回くらい、すごくいいところにパスを出したのが印象的でした。なかなか僕らが教えられへんようなパスセンスというか、パスをする場所がすごくおもしろくて、すげーなって思いましたね」

「そのパスは、のちに彼がJリーグで豊田陽平(サガン鳥栖)に出したような相手の逆を取るスルーパス。相手DFが重心を変えられて腰が砕けそうになるみたいな。普通ならここに出すやろうっていうところに出さずに、違うところに出す決定的なパスが2回あった。1回は味方と合わなかったけど、そこを見てるところがすげーなって」

「見たあとにお父さんと話をさせてもらいました。お父さんが懸念していたのは、ユースに上がりたいけど、ジュニアユースの監督から、ハードワーク、切り替え、守備での課題をあげられていたこと。そこは高体連の強みの部分なので、本人が本気になって僕についてきてくれるんなら、責任をもって指導する。逆に、パスセンスは絶対につぶさんようにしたい、っていう話をしたんです」

「大地は、秋に練習を見に来てくれました。そのとき彼はケガをしていたので、グランドの上で見ていた。そのときしゃべったのが最初です。そのときの印象は、丁寧な言葉を使うことができない子だった(笑)。緊張してたのかわかんないですけど、ぶっきらぼうで無愛想。 『練習どうやった?』と聞いたら、『結構レベル高いですねー』って上から(笑)。 当時、高校2年生には、岡佳樹(AC長野パルセイロ・FW)とか、のちにJに行った子が3人くらいいて練習してたんですけど、俺はガンバだけどみたいな上から目線でしたね(笑)」

「とっつきにくいというか、ぶきっちょな話し方で。ただ、すごく熱い眼差しで練習を見てくれてた。あとでお父さんに聞いたら、行くみたいやわーって。東山でやろうと決めてくれていました」

「そのあと、もう一回来たんかな。そのときには、木刀持ってグラウンドに来たんですよ」

「大阪に住んでて、京都に来たついでに清水寺に寄って、おみやげ屋さんで買った木刀をそのまま持ってきた(笑)。こんなん持って歩いてたら捕まるぞってコーチたちと話したのを覚えています」

「ケガがよくなって実際にうちのグラウンドで練習したのは、入試が終わった春休み。入ったときは華奢だったので、結構つぶされるイメージがあったけど、半分はうまく避けて、シンプルにプレーして、そのときからシュートは上手かった。1年のときからAチームに入って、ちょこちょこ試合に出てた。大地が入学したときの最上級生が良かったんですけど、そこと同等にやってました」

東山高校時代の恩師・福重良一監督(写真提供:福重監督)
東山高校時代の恩師・福重良一監督(写真提供:福重監督)

[高校1年生の大地]

「1年生のときは、とにかく試合に出たくて、出られへんときは、なんで出られへんのやってかんじで、メンバーに入ってるけど、ベンチに座ってるのはおもしろくない。サッカーが好きなので、練習でふてくされるというのはなかったんですけど、公式戦とか、インターハイ予選でベンチに入ると、ラストとか、後半しか出られへんことにすごくストレスを抱えていた」

「僕がパッとベンチを見て、例えば5点入ったから誰かに経験を積ませようってときにも、大地は『出たい、俺を出してくれ、1分でもいいから出してくれ』っていう顔をしてない。『途中からだったら俺は別にいいよ』みたいな雰囲気が見えた」

[大地の転機]

「インターハイで途中出場したときに、試合に出てない残りの100人ぐらいの部員が1年生の大地に声援を送った。自分に先輩が声をかけて大応援してくれた。それはジュニアユースではなかったことなんですよね。初めてそういうことが起こって、途中出場で腐ってたらあかんというのをすごく感じたと言ってました。それ以降は、ベンチにいても、ぐっと我慢してましたね」

「夏を越えて、選手権予選決勝戦で、大地が途中交代で入ったときは、ゲームの流れが変わって、1点、2点と追いついて、2-3のビハインドで、ロスタイムに入るくらいのときに同点ゴールのチャンスがきたんです。大地はそのシュートを外した」

「入ってたら延長戦になって絶対勝ててたと…」

「この年は強かったから、インターハイも新人戦も優勝したけど、選手権では自分のミスで先輩たちを全国に連れて行けなかったって、大地はすごく責任を感じて」

「大地はそこからいろんな意味で変わった」

「自分はガンバで、試合はポジション的に井手口とかがいたから出られへんかったけど、そこそこできてた。それが東山に来て、なんで出られへんのや、おもしろくないってかんじやった大地が、一生懸命応援してくれる先輩がいたことで少し変わって、選手権で自分のレベルが足りなくて、先輩たちを引退に追いやったことで本当に目の色が変わった」

「チームのためにということを意識するようになった。あとは、決定的な仕事をせなあかんと、決定力を上げる意識に変わった。それからは、絶対に自主練をして帰るようになりましたね」

[大地の成長過程]

「高校2年では、プリンスリーグで18試合22点取って、プリンスリーグ関西の得点王になった。プレミアリーグ参入戦にも出たことで、大地は試合を通じて成長していきました。ヘディングでも点を取れるし、フリーキックもすごく精度が高くて、コンスタントに点を取って、決定力もついていきました」

「プレーヤーとしての信頼はもちろんあったんですけど、まだメンタル面ではムラがあって、試合に出なかったときもあったんですよ。自分がうまくいかへんことにイライラしたり、周りのレベルは低いわけじゃないんですけど、周りとプレー的にうまくいかへんことがあって、ゲームで立ち止まってることが多いと、彼を試合から外しました」

「ただ、年間を通すと、メンタルもプレーも伸びていってた。選手権予選が終わってプリンスリーグが3試合残っていたときに、3年生が引退して、大地がキャプテンになったんです。2年生だけで戦って、大地は藤枝東とのプレミアリーグ参入戦で点を取って、プレミアに昇格した。チームとしても勢いがあったし、個人としてもキャプテンという立場にいて、成績も出た。キャプテンとしてチームを引っ張って、チームのことをすごく考えてた。今までもってたプレーに、より安定感が増すことにつながったと思います」

スポーツジャーナリスト

タグマのウェブマガジン【サッカーの羅針盤】 https://www.targma.jp/kawaji/ を運営。 『エル・ゴラッソ』の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。セガのサッカーゲーム『WCCF』選手カードデータを製作協力。著書は『ジャイアントキリングはキセキじゃない』(東邦出版)『勝負のスイッチ』(白夜書房)、『サッカーの見方が180度変わる データ進化論』(ソル・メディア)『解説者のコトバを知れば サッカーの観かたが解る』(内外出版社)など。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。NHK『ミラクルボディー』の「スペイン代表 世界最強の”天才脳”」監修。

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