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社会的メッセージ性の高い広告に効果はあるか? 世界の潮流から考える

河尻亨一編集者(銀河ライター主宰)
ナイキのキャンペーン「Dream Crazy」のビルボード広告

世界の広告業界で生じつつある劇的な変化。その一端をうかがい知れるのが、世界最大規模のクリエイティブ祭「カンヌ・ライオンズ(Cannes Lions International Festival of Creativity)」だ。ここで受賞する数々のキャンペーンからは、その国のビジネスや経済、文化や生活の現状までも垣間見ることができる。

筆者は毎年現地取材を行っている。世界的傾向としてみた場合、2010年代は「広告のグッド化」が著しく進んだ10年だった。人種差別やジェンダー・イコーリティ、環境や貧困、政治の停滞など様々な社会課題に対する企業サイドからの提案が含まれていないキャンペーンは、あまり評価されないようになっている。

日本に暮らしていると気づきにくいが、カンヌを長年ウオッチしているとクリエイティブという行いが世界的に年々"アップデート"していることが空気感も含めてリアルにわかる。その変化のスピードには戸惑いを感じるほどだ。

10年代最後の年となる2019年は、社会的メッセージを核に企業コミュニケーションを組み立てる手法と発想が定着し、常識となった印象も受けた。日本のマーケティングも、いよいよその潮流と無縁ではいられなくなってきている。

先日、登山やアウトドア用品を販売するパタゴニアの日本支社が、社員やスタッフの参院選への投票を促すことを主な目的として、投開票日に全直営店を休業する決定をしたことが「異例の取り組み」などとメディアで話題になっていたが、西欧社会の目から見ればむしろこちらのほうがオーソドックスなPR施策に映る。

いま広告の世界に何が起きているのだろう? この記事ではカンヌで脚光を浴びた施策やキーパーソンのコメントを紹介しながら、広告クリエイティブの向こうに透ける世界のいまを考えてみたい。

ナイキによる史上もっとも"クレイジー"なキャンペーン

まずは現在の広告を象徴するようなキャンペーンを紹介しよう。今年、フェスティバルでもっとも高く評価されたもののひとつに、ナイキによる「Dream Crazy」がある。不滅のスローガンとも言える"Just do it."の30周年を記念して大々的に展開されたもので(2018年)、アメフト選手のコリン・キャパニックを"メイン・タレント"として起用している。

キャンペーン期間中アメリカの大都市には、大写しになったキャパニックの顔写真に「何かを信じろ。たとえすべてを犠牲にすることになっても」のコピーを載せたビルボードが掲げられた(冒頭写真)。コピーといい写真の表情といい、「キリスト」をイメージさせるビジュアルになっている。キャパニックを現代の"救世主"に見立てているのだろうか? だとすれば、ビジュアルのアイデアからしてなかなかクレイジーだ。

グラフィック広告だけでなくCMも制作されたが、CMではキャパニックを始め、テニス選手のセリーナ・ウィリアムズや米女子サッカーチーム共同主将ミーガン・ラピノー、NBAプレイヤーのレブロン・ジェームズら、他人から見れば「クレイジー」とも思える夢の実現に邁進するアスリートたちが出演。人の目線や世間の反応など恐れずに、まずは「やってみること(Just do it)」の素晴らしさを訴えた。

CMに起用されたのはいずれも、アスリートの枠を超えた発言、活動を行う人々だ。キャパニックは2016年のプレシーズンマッチで「人種差別への抗議」の意を表明するため国歌斉唱を拒み、保守層から猛烈な批判を浴びたプレイヤーである。その後、NFLに加盟するどのチームとも契約ができなくなり、アスリートから活動家に転じている。

ミーガン・ラピノーも"モノ言う"アスリートとして知られる。同性愛者であることを公言するラピノーは、性差別や人種差別に関しても折にふれ自身の率直な意見を述べている。つい先日も、W杯優勝パレード後のスピーチで「招かれてもホワイトハウスには行かない」と宣言したことがニュースとなった。

セリーナ・ウィリアムズも女性プレイヤー、黒人プレイヤーの権利向上を呼びかける発言を続けている。7月13日、ウインブルドン決勝後の記者会見でも、「私が人々のための平等を目指す戦いをやめるのは、お墓に入るときでしょうね」と述べていた。レブロン・ジェームズは昨年、出身地の町に自治体と共同で「I Promise School」という学校を設立、貧困からくる不自由さや暴力などの危険にさらされている地元の子供たちを守り、飛躍のチャンスを提供する活動を行っている。

日本でも多く報道されたように、このキャンペーンは始まるや否や賛否両論の渦を巻き起こす。激しい批判にもかかわらず、キャンペーンを続行したことによりナイキの不買運動が勃発、シューズを燃やす動画などが拡散された。もはや恒例の感もあるがナイキはトランプ大統領からもTwitterでディスられ、一時株価を3.16%も下げるほどの逆風に見舞われた。

だが、その後、風向きは変わる。多数の人々やメディアがナイキの姿勢を支持。回復した株価はキャンペーン前を上回り、31%のセールス増を達成。「ロサンゼルス・タイムズ」には"NIKE JUST DID IT.(ナイキはやり遂げた)"の見出しが躍った。その後も北米エリアだけでなく世界全地域でプラス成長、増収増益を果たしているようだ(2019年5月期 第3四半期連結決算)。

好調の原因は広告だけではないだろうが、この勇敢なキャンペーンを実施・続行することで、結果としてナイキに大きな広告効果がもたらされたと言えそうだ。

だが、これはリスキー極まりない企業コミュニケーションでもある。一歩間違えばブランドイメージを大きく損ないかねない。そう考えると、有名無名のアスリートたちが夢や目標に向かって"Just do it."する姿を、30年以上にわたって描き続けてきたナイキだからこそ起こせた逆転劇とも言える。その意味では、史上もっともクレイジーで神がかったキャンペーンである。

「伝わる」ではなく社会を「動かす」。現代マーケティングにおける"Purpose(目的)"が意味するもの

社会的メッセージ性の高いキャンペーンを展開しているスポーツ用品ブランドはナイキだけではない。アディダスが展開する「変化を生み出すためにここにいる(Here to Create Change)」は、女性アスリートの活躍にフォーカスを当てるものだった。ナイキほどトンガった企画・表現ではないが、「女性アスリートの活躍がメディアで取り上げられることが、男性アスリートに比べて少ない。その現状をいかに変えるか?」と問題提起するCMなどを制作している。

ナイキとアディダス。スポーツ用品メーカーランキングで世界の1位と2位を競う両者が、ジェンダーや人種の平等を訴えるメッセージ性の強いキャンペーンを打ち出しているのは偶然ではない。これが世界のいまである。

もちろん、グローバル企業は世界各国で常時大小様々なキャンペーンを行っており、それらがすべて社会的メッセージ性を持つ施策というわけではない。あくまでアワードで評価されるものに強くその傾向が表れるという面は考慮すべきだ。

だが、企業が戦略的にある種の「社会的メッセージ」を核に企業コミュニケーションを組み立てる手法と発想は、いまやマーケティングの常識にもなっている。つまり、「伝わる」「売れる」だけではもはや優れたキャンペーンとは言えない。キャンペーンをしかける側は、プラスαの社会ムーブメントを視野に入れながら、「世の中を動かす」目的を持った施策を世に送り出そうとしている。

今年、フェスティバルの会場で盛んに議論されていたキーワードは「Purpose」だった。これを辞書的に「目的・意図・効果」などと訳してしまうとニュアンスまで伝わりづらい。現状では定義も人により様々なのだが、ユニリーバCEOのアラン・ヨーペが現地の講演で語った次の部分は、このキーワードを理解するための参考になるかもしれない。

「私がマーケティングの業界に来て35年になるが、"Purpose"の時代にはとても刺激的なチャンスがある。ものごとを適切に責任を持って行うことで、この業界に対する信頼を回復し、優れたクリエイティビティを解き放ち、愛するブランドを成長させることができるからだ。

社会的意識を持たない広告(Woke-Washing)は、ブランドの"Purpose"を汚染し、マーケティング産業を衰退に向かわせるだろう。"Purpose"を持つブランドのコミュニケーションは、たんに人々を叫ばせ、ものを買わせるだけのものではない。いまの世界に対してアクションを起こすものである」

この発言の根底にあるのは冷静な現状分析とある種の危機感である。世界の分断が進み、先端テクノロジーの台頭が著しいいま、従来型の広告では今後ビジネスを成長させることが困難になるというシビアな認識と言い換えることもできるだろう。

ユニリーバが6月にリリースしたリポートでは、「2018年、人々のためにアクションを起こす"Purpose"を持ったユニリーバのブランド(DOVEやクノールなど)は、同社のほかのビジネスに比して69%スピーディに成長した」という。

つまり、こういうことだ。社会的マーケティングの真の"目的"は、慈善を施すことではなく市場を再構築することにある。社会の分断はマーケットもズタズタにしてしまうが、多様性を尊重することはマーケットを幅広く取りこむことにつながる。昨年のカンヌレポート(広告クリエイティブで日本が「後進国」化している理由)でもふれたことだが、この現状に対処するためにクリエイティブもアップデートすることが必然的に求められているのだ。

つまり、我々からすれば"クレイジー"にも思える海外発の夢のようなキャンペーンも、極めて現実的なマーケットの持続的成長を前提として生み出されている。時代とクリエイティブのあいだに緊張関係があるとも言え、そこが見どころにもなっている。

カンヌではそういった社会アクション型のキャンペーンを多く目にすることができる(受賞作自体は合計で約1000ある)。ときにはキャンペーンがきっかけで法改正を目指す動きが生じたり、実際に法律が変わったケースさえ出てきている。次回はそんな事例もいくつか紹介してみよう。

編集者(銀河ライター主宰)

編集者、銀河ライター。1974年生まれ。取材・執筆からイベント、企業コンテンツの企画制作ほか、広告とジャーナリズムをつなぐ活動を行う。カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバルを毎年取材。訳書に『CREATIVE SUPERPOWERS』がある。『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』で第75回毎日出版文化賞受賞(文学・芸術部門)。

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