Yahoo!ニュース

「転勤・残業・週休2日もお断り!」の若者はアリ? オジサンvs.ゆとり世代の仁義なき戦い

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:Ruy Alvarez

「週5日働かなきゃいけないなんてダレが決めた?」

「会社のいいなりにならなきゃいけないなんて、まっぴらだよ」

会社に縛られたくない“自由”を求める若者たちが、ゆるい就職に魅せられている。

ゆるい就職とは……、

「サクッと稼いで、たっぷり遊ぶ」

「けだるい日常をおもしろくする、ゆとり世代のワークスタイル革命」

をキャッチコピーにした、「週休4日で15万円」の仕事を紹介する人材派遣サービスである。

「でも、週休4日で15万円って、結構いい待遇じゃない?」

はい、そのとおりです。

平成25年の初任給の平均は大卒で19万8000円。通常、週5日勤務のこの月収を、週3日労働で換算すると、11万8800円。フリーターの平均年収150万程度と比較しても、かなり高給である。

私が雇用する側だったら、“大前春子”レベルは要求する。篠原涼子が演じ一世を風靡した「ハケンの品格」の主人公の春子だ。

実際、採用に関心を寄せる企業の1つとしてメディアで取り上げられていたIT企業「イノベーション」の富田直人社長も、

「景気が良くなり、中途採用で良い人材が採れない。チャレンジ精神のある優秀な人材が採れるなら、週休4日でも構わない。しかし、欲しい人材は新卒者と同等レベル、つまり一流大卒で高校で生徒会長をやるくらいリーダーシップがあり、コミュニケーション能力が高く、人当たりも良く、企業文化になじめる人」とコメント。

いったいどこに、こんなスーパーな新人がいるのだろうか? 

が、ゆるい就職を希望する若者たちは、言い返すに違いない。

「私には仕事経験こそありませんが、やる気もあるし、チャレンジ精神もある。週3日勤務で15万円払っても、絶対損はさせません! もし、使い物にならないというなら、切ればいい。だって、派遣だもん」と。

いわば、ゆるい就職は、オジサン社会への挑戦状なのだろう。

まぁ、「大学を出る→就職する、それができなきゃ脱落」なんて社会はおかしいし、物理的にも精神的にも余裕のない現代社会では、週休2日に拘らずに、週休3日にしたほうが生産性は向上すると考えているので、週5日勤務に疑問と呈することには賛成である。

だが、ホントに自分の思い通りに働ければ、いきいきと働くことができるのだろうか? 会社に縛られない自由な働き方を手に入れれば、人生の満足度が高まるのだろうか?

この取り組みの本質的な意味は、「仕事とプライベートという公私の主従の逆転」にあるそうだが、いったいいつから、こんなにワーク(=仕事)が、「悪」になってしまったのだろう。そもそも仕事とプライベートって、どっちが上とか下とか、そういう問題じゃない。

“ライフ”で不条理な事態に遭遇することはあるし、自分の思い通りにならないことはやまほどある。むしろ、ライフの方がしんどいのでは? と思ったりもする。だって仕事は「お金のためだから仕方がない」と割り切れても、ライフではそれができない。会社は辞められても、家族は辞められない。自分都合の言い訳ができない関係性ほど、しんどいものはない。

だいたいワークとライフを、別個のものと考えるからややこしくなる。ワークもライフも人生の一部。キャリア=仕事ではなく、人生そのもの。生涯を通しての自分の表現でもある。

例えば、20~30代の青年から大人になる若年期は、親元から離れ、1人の成人として独り立ちする時期。それまでの、「子供」「学生」という役割から、「大人」「労働者」としての役割への移行期で、以下のような課題を乗り越えることが求められる。

  • 親の援助を受けず、自分で稼ぐ
  • 新しい友情を築き、異性と親密な関係を築く
  • 社会のしきたりを学ぶ
  • 助言者・支援者を見つけ、学ぶべき事柄を吸収する
  • 職務の限界内で、効果的に職務を遂行し、物事がどのように行われるかを学ぶ
  • 初めての仕事での成功や失敗に対処する

この年代の特徴は、非常に自信に満ち溢れている一方で、自分の居場所や社会での役割を模索する不安定さも持ち合わせているため、乗り越えるには困難を伴うとされている。

だが、その困難を乗り越える経験が、「社会での自分」を客観視するまなざしを鍛え、30代前後から始まるキャリア中期に役立つ。

キャリア中期は、決断の連続期だ。

組織で働くか、フリーランスで働くか?

安定を取るか、やりがいを追及するか?

東京に居続けるか、地方に行ってみるか?

管理職を目指すか、専門職を選ぶか?

ライフ中心の生き方か、自分の可能性をとことん仕事で試すか?

そんないくつもの、重大な決断を下さなければならない事態に遭遇する。逃げたくなることもあるし、考えれば考えるほどドツボにはまりそうで、思考を一時的に停止させてしまう場合もある。

その厳しい決断を下す勇気と、それが成功につながるか否かを左右するのが、20代の困難な経験である。

「なんでこんなことやらなきゃならないんだよ!」なんて思いを抱きながらも手をぬかずやってきたことや、逃げたくなるような困難な状況にも必死で向き合ってきた経験が確固たる自尊心をもたらし、決断の後に待ち受ける荒波を乗り越えるパワーになるのである。

なんだか説教くさくて申し訳ないのだけど、決められた枠の中で、ちょっとだけ我慢するって経験が、人を成長させるだと思う。

かくいう私もそうだったから、余計にそう思うのだろう。

就職するときは、「3年間、世界を股にかけて働いて、さっさと辞めて結婚する。サラリーマンとかキャリアウーマンなんてまっぴらご免!」なんて思いで就職した私が、今のような人生を送るきっかけとなったのが、決められたルールに「とりあえず従った」からに他ならない。

あこがれてなったCA(キャビンアテンダント)の仕事に、「何でこんな仕事しなきゃいけないんだ」とがっかりしたとき、とりあえずその不自由さを受け入れた。「石の上にも三年」っていうくらいだから、3年間はとりあえず何も考えずに働いてみよう、と。  で、3年間働いているうちに、制服が窮屈になった(別に太ったからではありません)。会社のルールに沿った働き方をするのではなく、自由に働きたくなった。「辞めて結婚!」ではなく、「辞めて、他の仕事をしよう!」と決断したのだ。

ワークからライフではなく、ワークからワークへ。なぜか、仕事に拘ったのである。

しかも、当時の私にとって、「CAを辞める」という決断はかなり勇気を有するもので、制服を脱ぐ覚悟を決めるには、1年かかった。

でも、アノ時の大きな決断が、今の“私をつくる” 人生の土台になったんだと確信している。

「自分のやりたいことだけやって何が悪い?」

「自分の言いたいこと言って、何か問題でも?」

そうやって自由を絶対価値にしていると、ホントの自由を失っていることに気付かなくなる。

自由な生き方(=働き方)は、客観的に自分を見つめる自分との対話の中で生まれるもの。不自由があるからこそ、自由で、誰のルールにもとらわれない生き方が存在するのだ。

何よりも、彼らが自由を求めれば求めるほど、不自由な労働市場に追い込まれる。本来変えなきゃならないのは、むしろその部分だと思うのだが、ゆるい就職を推進する大人たちは、どう考えているのだろう…。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

河合薫の最近の記事