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チーフエンジニア多田哲哉氏が語る、トヨタ新型スープラの開発その1

河口まなぶ自動車ジャーナリスト
筆者撮影

86の発表直後に、BMWのあるミュンヘンへ

 2018年のジュネーブショーで発表され、大きな話題を呼んだのが「トヨタGRスープラ・レーシングコンセプト」。これはつまり、今後トヨタが新世代のスポーツモデルとしてその名を復活させる「スープラ」のコンセプトである。

 このスープラに関しては、2011年に発表されたトヨタとBMWの技術提携の中から生まれた案件の1つであり、トヨタではスープラ、BMWではZ4として今後それぞれが世に送り出す予定としている。

 ご存知のようにトヨタは既に、2012年にスバルとの共同開発によって2.0LクラスのFRスポーツカーである「86」、スバル名「BRZ」を送り出した経緯があるが、果たして今回はBMWとどのように共同開発して、今後世に送り出そうとしているのだろうか? 

 今回はそんなスープラについて、トヨタ自動車株式会社ガズーレーシングカンパニーGR開発推進部チーフエンジニアである多田哲哉氏に話を伺うことができた。多田氏には、ジュネーブショーの時に日本メディアの共同インタビューを行なっており、これが既に他のメディアによって公開されている。が、今回は筆者のYouTubeチャンネル「LOVECARS!TV!」におけるYouTubeライブ「LOVECARS!TV!LIVE!」に出演いただき、改めてスープラについてのインタビューを行なったので、これも合わせて今回の記事に反映していく。ご興味のある方は、多田氏が出演したYouTubeライブのアーカイブも併せてご覧になっていただければと思う。

 もともとは電気系のエンジニアとしてトヨタに入った多田氏。当時はまだ自動車の世界では日の当たらなかった電気系の様々を経て、スポーツカー用のABSであるスポーツABSの開発に携わった後、ファミリーカーのラウムなどの開発責任者を経て、86の開発を行うことになった。そして86を世に送り出し、2012年に欧州のメディア向けに試乗会を開催していた時に、当時のトヨタの副社長であり現・トヨタ会長である内山田竹志氏から「ドイツにいって、BMWと何をできるか話をしてきてくれ」という内容の電話を受けた。

 そして多田氏はミュンヘンに行き、BMW側と様々なプロジェクトの中から一緒にクルマを作れるかどうかの協議をしたのだという。

 「86BRZ以前にもダイハツと、パッソ/ブーンという兄弟車の企画を行ったこともありました。そうして初めてBMWにいった際、最初に会ったBMWのエンジニアがとても良い人間で、こういう人間とならば共同開発もうまくいくだろうと感じ、大丈夫という旨のレポートを社にも送ったのです。そして一緒にプロジェクトが始まったわけですが、ではどんな車種にするかという以前に、共同でクルマなんかが作れるのか? と思い始めたわけです。最初にあった人は話も分かる人でしたが、その後いざ一緒にプロジェクトを進めようとすると、言葉はもちろん文化も違うわけで、その圧倒的な違いに『大丈夫か?』という空気になったわけです。私はその直前までスバルと一緒に86BRZの開発を行なっていて、その当時は他の企業と一緒に共同開発するのは何て大変なことか! もう二度とやりたくないと思っていましたし、スバルさんもそう思っていたはずです。が、その後BMWと一緒にやってみて、スバルとの共同開発はなんとやり易かったことか、と思えたほどだったのです、最初の頃は」

 と語る。それほどに圧倒的な差を感じたのだそうだ。

 「これはもはや民族の違いというか、決定的な違いがあるなと感じました。考え方も当然違う。そうしたやりとりは1年くらい続きました。とてもじゃないが、どこかで終わりだろう…と思えるくらい意思疎通も難しいことだらけでした」

 そうした中で、BMWと初めてお互いの作ったクルマに乗り合うイベントをBMWのテストコースで行なったのだという。

 

 「その時は雨だったのですが、テストコースについた我々はテストコースの真ん中にポツンとあったテントに案内されました。椅子はなかった。そこで待ってくれ、と。ここはテストコースで機密が多いので、君たちに入ってもらえる建物がない、と言われたのには驚きました。しかも、お互いのクルマに乗り始めて、彼らの言葉を聞いていると『初めてトヨタのクルマに乗った』というような感じでした」

 当初は同じ自動車メーカーながらも認められている感じは薄く、トヨタの名前は知っていてもトヨタ車には乗ったことがない…という感じで、自動車の本場の対応は冷めたものだったようだ。もっとも彼らにとってもアジアの自動車メーカーからやってきた人とクルマであるわけで、自動車の本場から見ればなかなか判断のつくものでもなかったのだろう。

 「しかし実際にBMWの方々も我々のクルマに乗って、意外に普通に走ると思ったらしく(笑)、認識は少しずつ変わりました。特に86は意外に面白いと評価してくれて、価格を伝えたら想像以上に安かったようで驚かれました。それにしても重要なのは言葉ですね。コミュニケーションは当然お互いに英語で行なっていたわけですが、ちょうど1年経った頃、私の部下にドイツで生まれた人間が配属され、彼をミュンヘンに駐在してもらうことにしたわけです。そこから状況はガラリと変わりましたね。会議だけでなく、昼食時とかにもドイツ語が喋れるとなると、いろいろとコミュニケーションが高まっていくわけです」

YouTubeLIVE収録時の筆者と多田哲哉氏/筆者撮影
YouTubeLIVE収録時の筆者と多田哲哉氏/筆者撮影

 そうしてスポーツカーを共同開発しようという流れが生まれることになるわけだが、それでもまだお互いの関係性は齟齬があったという。

我々はポルシェを超えるスポーツカーを作ろうなんて、一度も思ったことがない

 「我々がスポーツカーを作りたい、という旨を伝えた時の彼らの反応は正直『ふ〜ん』という感じでした(笑)。さらに彼らはどんなスポーツカーが作りたいのか? と聞いてきたので、私はせっかくだからポルシェを負かすようなスポーツカーを作りたい、と話したのです。すると彼らはやはり『ふ〜ん』という反応。そして、『我々はポルシェのようなとか、ポルシェを超えるスポーツカーを作ろうなんて思ったことは一回もない。それにメルセデスのようにラグジュアリーでコンフォートが優れたクルマを作ろうと思ったこともない。BMWのカスタマーの要求は明確で、ラグジュアリーとスポーツの両方を兼ね備えたクルマを欲しているし、我々はそれに応えるプロダクトを作っている』と言われたわけです。それで、お前ポルシェが好きならポルシェを買った方が良いぞ、とまで言われました」

 それだけに、両社の思いが整合するまでにはかなり時間がかかったという。しかし、トヨタの都合としては長らくスポーツカーをやめていて86でようやく量産スポーツカーを久しぶりに世に送り出して、少しファンが戻った。豊田章男社長や内山田氏は、そうしたユーザーを大切にして、トヨタのスポーツマインドが伝わるような次のスポーツカーが欲しいと多田氏にリクエストしたという。

 「私はそうした思いを根気よく彼らに伝え続けました。また同時にお互いの課題を解決していく中でもちよった技術等を彼らが見て、我々の技術に関しても理解をして認識していってくれたという流れがありました。そうして徐々にコミュニケーションが進むようになり、思いは徐々に成就したのです。現在では、ミュンヘンについたらすぐに呑みに行こう、という感じになったほどです」

 では果たして、そのような流れでスポーツカーを作ることになった時に、それをスープラとすることは決まっていたのか否か?

 「スポーツカーを作ろうとなった時に、決定事項や指示はなかったのですが、私の中ではスープラと決めていました。私は以前にラウムの開発責任者を務めたと言いましたが、その時にトヨタの製品企画に私を引っ張ってくれて、クルマ作りや開発の様々を教えてくれた恩師の都築功さんが、先代のスープラである80型の開発主査を務めていたのです。その都築さんは残念ながらお亡くなりになったのですが、数年前に都築さんが『いつかは新しいスープラがあると良いな』と言っていたことも深く心に残っていました」

 こうしてトヨタはBMWとの共同開発によって、スープラを復活させることになる。しかし安全、環境が叫ばれる現代において、新たなスポーツカーを世に送り出すことにはどんな意義があるのだろうか?

 その辺りについては、その2に続きを記して行きたいと思う。

自動車ジャーナリスト

1970年5月9日茨城県生まれAB型。日大芸術学部文芸学科卒業後、自動車雑誌アルバイトを経てフリーの自動車ジャーナリストに。日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。YouTubeで独自の動画チャンネル「LOVECARS!TV!」(登録者数50万人)を持つ。

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