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ドキュメント「日韓共催決定」<第4回>

川端康生フリーライター
(写真:ロイター/アフロ)

第3回からつづく>

 暑い一日だった。

 馴れないスーツを着込んだ僕は上着を脱ぎ、ネクタイを緩め、少し苛立ちながらFIFAハウスの前で、その瞬間を待っていた。

 5月31日の正午を少し過ぎた頃。頭上からはチューリヒの太陽が残酷なほどギラギラと照り付けていた。

情勢一転

 この日の早朝、ブラッターからの質問に対する返答を岡野がFIFAハウスに持参した。

「FIFAが望むなら共催を検討する」という回答書である。

 僕がそれを知ったのは午前8時すぎ。日本招致委員会が本部としていたヴィダーホテルの前で、顔見知りの記者から聞いた。

「岡野さんが今朝FIFAに呼ばれ何か伝えられたらしい。しかも、その足で空港へ向かい、すでに帰国便に乗った。飛行機はエールフランスで、明日の朝、成田に着く」

 そんな内容だった。

 もちろん、この時点ではまだ回答書の中身までは知る由もない。しかし、岡野がFIFAから伝えられるとしたら……。

 嫌な予感が抑えようもなく膨れ上がってきた。昨晩の間に情勢が一転したことは間違いなさそうだった。

 ダメ押しとも言うべき情報が飛び込んできたのは9時すぎだ。

「日本で梶山静六官房長官が共催の可能性を示唆した」

 通信社の記者に東京からもたらされた一報だった。

 瞬間、「やられた」と思った。とにかく、ここにいても埒が明かない。慌ててメディアファンクションルームのあるカールトンエリートホテルのメディアルームへ向かった。

 途中の路上で、日本招致委員会の広報担当者とすれ違ったので、「共催ですか?」と勢い込んで尋ねると、間髪入れずに「お食事ですか?」と返ってきた。見事にはぐらかされてしまったのだ。

 しかし彼の表情の固さは気にかかった。

ホテルチューリヒ

 カールトンエリートホテルに詰めていた記者に「共催って本当?」と尋ねると、「僕もいま本社に連絡したんだけど、それほどはっきりしたことを(梶山氏は)言ったわけじゃないらしい」という。

 どうも状況がつかめない。もしFIFAが共催を決めるにしても、理事会は9時に始まったばかりだ。

 この日の理事会では、1ヵ月半後に迫ったアトランタ五輪、2年後のフランス・ワールドカップの準備など30項目の議題を審議することになっていた。2002年ワールドカップについては、この日は審議のみで、開催地は6月1日の投票で決することになっている。

 もちろんFIFAよりも早く日本の政治家が発表するのもおかしい。でも、もし「共催」が決まったのなら、一刻も早くFIFAハウスに行かなければならない。

 迷った末に僕はホテルチューリヒへ向かうことにした。韓国招致委員会の本部があるホテルだ。もし「共催」なら(日本よりも)韓国側の方が情報も動きも早いはずだ。

 ところがタクシーで辿り着いてみると、ホテルチューリヒには慌ただしさも緊迫感もなかった。それどころか、まるでもう戦いが終わったかのような弛緩した雰囲気が漂っている。

 いまにも後片付けにとりかかりそうな、そんな印象さえあった。

 小1時間、ロビーで動きを見守るが、何も起きそうもないので、今度こそFIFAハウスへタクシーを走らせた。

鄭夢準のガッツポーズ

 昼過ぎにFIFAハウスに着いた。

 早速、顔見知りの記者やレポーターをつかまえて状況を聞く。

 理事会は9時15分から始まっていたが、やはりまだ2002年の議題には入っていないらしい。韓国の誘致関係者がFIFAハウス内にいるので(鄭夢準がFIFA理事でもあったため)、理事会の進行状況が外で待っている韓国プレスに知らされ、それが日本の報道陣にも伝わってくるのだ。

 その鄭夢準は9時すぎにFIFAハウスに入る際、わざわざ手前で車を降りて、勝ち誇ったように胸を張って歩いたという。しかもフォトセッションではヨハンソンUEFA会長の手をとり、ガッツポーズまで見せたというのである。

 ということは……。

 午後1時すぎ、テレビ関係者が「日本側のホテルにはいまのところ動きはない」と教えてくれた。

 その直後、「韓国のSBS放送が『共催』を報じている」と緊迫した声が響く。

 悔しいことに、この頃には「共催」の2文字が僕の頭の中にもくっきりと像を結び始めていた。同時に「一体なぜ?」という疑問と、「これまでは何だったのか」という虚しさが込み上げてくる。

 じりじりと照り付ける太陽と真夏のような暑さ、それに70人あまりの日韓報道陣の熱気が苛立ちに拍車をかける。汗で肌にまとわりつくシャツまでが不快だった。

アベランジェの翻意

 ちょうどその頃、FIFAハウスの中では、ランチをはさんだ午後の会議が始まったところだった。

 次の議題は2002年ワールドカップについて。開催地決定は翌日の投票によって行われ、この日は審議だけの予定だった。

 ところが――。

 そのときアベランジェ会長が唐突に口を開いた。

「2002年ワールドカップは日本と韓国の共同開催ということにしたい。私は日本と韓国の両国からそれを認める手紙を受け取っている」

 なんと日本の「単独開催」を断言してきたアベランジェが共同開催を提案したのだ。

「共催」を画策してきたヨーロッパが切り出すより先に、自ら持ち出すことで、ヨハンソンに負けることを避けたのである。

 同時にFIFA会長としてのメンツも保つことができる。

 わずか数時間前、岡野が持参した日本の回答書は、そのために利用された。

 このとき、ラム・ルヒーが「望んでいない国に共同開催を強要してよいのだろうか」と疑問を呈したらしい。昨晩日本のオフィスに泣きながら電話をかけてきたモーリシャスの理事だ。

 しかし、アベランジェの提案に正面から反対する者はいなかった。そもそも共催案は反アベランジェ勢力が企図していたものなのだ。反対意見など出るはずがない。

 こうして理事たちの拍手の中、共同開催案はあっけなく承認されたのである。

Co hosting?

 FIFAハウスのエントランスに理事たちが姿を現し始めたのは午後1時40分だった。

 最初に出てきた香港のヘンリー・フォクは「Already finished」とだけ言い残して車で去っていった。

 続いてイタリアのマタレーゼ、そしてヨハンソン……。

 そのたびに10台近いテレビカメラと記者たちがどっと群がり、FIFAのガードマンが怒鳴り、殴り合い寸前の修羅場となった。それでも韓国のメディアは執拗にカメラを向け、マイクを差し出し続ける。

 そんなアグレッシブな韓国メディアに負けてたまるかと日本のメディアも突進する。それはまさに戦いだった。FIFAハウスの外でも、日韓の意地と意地がぶつかり合っていた。

 そして決定的な瞬間が訪れる。

 トリニダード・トバゴのジャック・ワーナーが「Co hosting?」という問いかけに、確かにうなずいたのだ。

 新聞記者が携帯電話を握り締め、「共催!」と叫ぶ。テレビのディレクターが「生でいけるか?」と誰かに怒鳴っている。

 腕時計を見たら午後1時53分だった。

「2002年ワールドカップ日韓共同開催」はこうして世界中に打電された。

敗者を見たくなかった

 午後4時。

 開催地決定の発表はFIFAハウスから程近いドルダーグランドホテルで行われた。

 世界中から集まったメディアを前に、アベランジェFIFA会長は公式に「共同開催」を宣言した。

「風邪を引いたときには、まず体温を測らなければならない。そこで私は各理事の体温を測ることからはじめ、それぞれの症状を聞いた。チューリヒに来て、理事会の友人たちと同じ食事の席に着き、みんなが何を望んでいるのかがわかった。病気のときには熱を下げなければならない。直前になって日本から共催に同意するとの文書を受け取った。韓国はすでに同意していた。そこで私の方から理事会に共催を提案した。満場一致で受け入れられた」

 威厳を湛えたその佇まいには一片の後ろめたさもなかった。

 彼は「われわれは敗者を見たくなかった」とも言った。それはあたかも日本と韓国を指しているかのような口ぶりだった。

 しかし、敗者になりたくなかったのは彼自身だったのだ。世界サッカーの頂点に君臨してきた男はリアリストで、したたかだった。

土壇場で引き分けはないでしょう

 壇上には長沼健と鄭夢準の姿もあった。

 スマートに英語でスピーチする韓国協会会長とは対照的に、長沼の顔は明らかに強張っていた。

 それでも彼は「我々はFIFAの決定に基づき、共同開催を成功させるべく……」と不満を封印してコメントを語った。

 このときの胸の内を長沼は後になってこう明かした。

「こんなことならもっと早く決めてくれよ、と思っていた。韓国も同じ気持ちだったと思うよ。そのために労力もお金も随分遣わされたんだから。最後まで『一国開催だ』と言い続けて競わせておいて、土壇場にきて『引き分け』はないでしょうという気持ちだった」

 そして「それにしてもやっぱりアベランジェはすごいね。ヨハンソンの提案にみんなが賛成するという形にならないように、『わしの提案だ』と自分から切り出したわけだから。普通の人間はあんなふうにコロッと変われるものじゃないよ。それまで『俺の屍を越えていけ』なんて言ってたのにね」と言って笑った。

 もちろん1996年の長沼に笑顔はなかった。

 それどころか公式記者会見が終わった後、ドルダーグランドホテルのテラスで日本の報道陣に囲まれた彼は、「会長の顔は満足とは言いがたい表情に見えますが……」という遠慮がちな質問に、「そう見えるのはあなたの目が悪いからじゃないの」と珍しく声を荒げもした。

長沼は責めなかった

 午後5時30分、日本の記者会見がカールトンエリートホテルで行われた。

 昨晩からの動きを淡々と説明したのは、「日本に帰国した」はずの岡野だった。彼はエールフランスになど乗ってはいなかったのだ。

 憶測や怪情報が飛び交ったこの数日間を象徴するような思いで、岡野らしい感情を抑えた口調に耳を傾けた。

 その隣の川淵は憮然としていた。

「やっぱりJリーグだよ。Vゴール。勝負をするからにはちゃんと勝敗がついた方がいい。でも世界には引き分けもあるということ。いまの心境? 私の顔を見ればわかるでしょう」

 それは2日前とまったく同じ言葉だった。しかし、その意味はわずか2日でまったく変わっていた。

「『共同開催でもワールドカップが日本で行われることに変わりはない。半分は来るんだから』という話もあったけど、でも、僕自身は嬉しいなんて気持ちはまったくなかった。それどころか非常に残念で……怒っていたよね。そう、すごく怒ってた」と彼も後になってこのときの胸中を吐露した。

 実は、その日の晩、長沼はアベランジェと夕食を共にしている。

 もともと親交のあった村田の妻とアベランジェの妻が会食の約束をしていて、そこにアベランジェも来るというので、長沼も同席したのである。

 食事の途中で、アベランジェは言った。

「私も何回もカウントしたんだ。でも何回数えてみても11票を超えなかった」

 だから、彼は負けない道を選択したのだ。日本が、ではない。自分自身が、である。

 長沼はアベランジェを責めなかった。その代わり、こう啖呵を切った。

「ご心配には及びません。日本は必ず2002年ワールドカップをいい大会にしてみせますから」

アジアの尊厳

 翌6月1日。

 本当であればFIFA理事会で投票が行われ、ワールドカップ開催地が決まるはずだったこの日、チューリヒは雨になった。

「日出ずる国が太陽を……」と岡野が語っていたことを思い出して虚しさが募った。

 結局、日本がワールドカップ招致のために費やしてきた膨大な時間もお金も労力も無駄になってしまった。

 それどころか国内ではすでに開催15都市が決まっている。それぞれ2億5000万円を拠出し、ともに招致合戦を戦ってきた仲間でもある。

 しかし、共催となれば開催都市も半分にしなければならない。それを考えるだけでも関係者たちは気持ちが重くなった(結果的にFIFAとの交渉で10都市を維持した)。

 もちろん共催になったことにより生じる問題は、開催都市以外にも限りなくあった。FIFAの無責任な決定によって、この後始まる開催準備においても日韓両国は困難を強いられることになる。

 もしかしたら、そもそも両者の争いは無意味だったと言えるかもしれない。招致活動で実務を牽引した幹部は憤怒を込めて吐き捨てるようにこう言った。

「共催を決めた彼らは、日本と韓国の歴史的な経緯はもちろん、地理的にどこにあるのかさえ知らなかった。中国の隣に日本があると思っている人もいたんだ。もちろん日韓の言語が違うことなんてほとんど知らなかった。そんなレベルでの決定だった。アジアの尊厳が踏みにじられた思いだった」

 言葉を選ばずに言ってしまえば、日本でも韓国でもどちらでもよかったのだ。日本も韓国も、FIFAの掌の上で踊らされていたようなものだった。

勝者でも敗者でもなく

 その日の夜、招致委員会の幹部、スタッフが集まり、食事会が行われた。

 それはしめやかな宴だった。その場の雰囲気を川淵はこう回想する。

「がっくりきたというか、力が抜けたというか。負けたわけじゃないし、ワールドカップをやれないわけじゃないし、でも半分でもやれて嬉しいという気分じゃないし」

 彼らの胸に去来したのは義憤だったか、虚しさだったか。それとも長かった招致の日々か。

 いずれにせよ、辿り着いた先にはガッツポーズも充足感も待ってはいなかった。彼らは勝者でなかっただけでなく、敗者ですらなかった。

 長沼は語気を強めて「本当に悔しい。悔しいから絶対成功させてやるんだ」と何度も何度も繰り返していた。

 いまから26年前、雨のチューリヒでのことである。

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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