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敗れてもなお。第1シード「ケンソウ」4回戦敗退――100年目の高校野球・神奈川大会

川端康生フリーライター

高校野球とは「負け」に向けての戦いだ。

勝ち抜き戦で行なわれる大会だから、「勝ち」で終われるのはただ一校。地方大会も、甲子園も、そのたった一校を除く、すべてのチームが「負け」に向かって戦いを続けていく。

つまり球児たちは、勝利を目指して戦いながら、同時に「納得のできる負け」を目指して戦っているとも言えるのである。

だから(スポーツにおいてしばしば言われる意味以上に)「どう負けるか」は大切だ。

とりわけ3年生にとっては「負け」=「終わり」だから、納得のできる負け方、せめて達成感の残る負け方をさせてあげたいといつも思う。

最後の試合が納得や達成感とともに記憶されることを観戦しながらいつも願う。

今夏、神奈川大会の注目チーム、県立相模原が敗れた。

急速に力をつけ、この大会では「第1シード」。2回戦、3回戦は順調に勝ち進んだが、横浜に0対3で敗れた。

力負けだったと言っていい。2回、2点を先制され、5回にも失点。好投手・宮崎は尻上がりに調子を上げ、後半は横浜打線を封じたが、打線が放ったヒットは4本。藤平投手の前に沈黙した。

ミスがあったり、エラーが出たりしたわけではない。横浜の方が強かった、そんな試合だった。

「公立の雄」として甲子園を期待された(そして本人たちもリアルに目指した)選手たちが、この「最後の試合」に納得しているか、達成感を感じているかはわからない。

だが、この日の相模原球場では、「どう負けるか」だけでない、高校野球において重要なもう一つの「負け」を実感させてくれた。

どこで負けるか――である。

球場へ辿り着くと長蛇の列だった。

「長蛇」と軽々しく遣っているのではない。チケットを買うために並んでいる列が球場を2周していた。窓口に辿り着くまでに約1時間。おかげで僕はプレイボールに間に合わなかったが、そんなことはこの際いい。

行列からは「こんなのは初めてだ」、「満員札止めになったらどうしよう」と驚きや不安を口にはしても、不思議なほど文句や苦情は出ない(暑い中、延々と並ばされているというのに)。

代わりに聞こえてきたのは「ケンソウが……」、「ケンソウが……」という楽しげな声だった。

ケンソウ。県立相模原高校のことを地元ではそう呼ぶのだそうだ。

一人で来ている僕は珍しいのか、何人かに話しかけられた。「横浜ですか?」。横浜ファンか、という問いかけである。

「いや、特にどちらというわけでもないんですけど」

そう答えると、すかさず「じゃあケンソウの応援を」と返された。周囲で並んでいる人たちが大きくうなずいている。

地元の名門なのだ。進学校でもあるらしい。東大にも進学するのだそうだ(などなどは並んでいる間に色んな人が教えてくれた。尋ねたわけでもないに……)。

とにかく、そのケンソウが横浜高校と対戦する。しかも、こっちが第1シード。相手はノーシードだ。勝てるかもしれない。それどころか甲子園に行けるかもしれない。いや、連れて行ってくれるかもしれない。

応援に来ないわけにはいかないじゃないか。そんな顔がずらりと列をなしていた。

ようやくチケットを手にして階段を駆け上がると、スタンドか超満員で膨れていた。

「超満員」も決して誇張ではない。僕は空席が見つけられなくて通路に座った。もちろん外野も解放しているから、少なくとも収容1万6000人には達していたはずだ。

ケンソウにチャンスらしいチャンスはなかった。それでも快音を発するたびに観客の腰は浮いた。外野手にキャッチされるとため息とともに沈み込む。

そんな繰り返しが最後まで続いた。

しみじみ感じていたのは、幸せだなということ。これほどの地元の応援を受けてプレーできる選手は幸せだ。負けたにしても、それは変わりない。

そして地元の人たちもまた幸せだ。地元の県立高校を「甲子園」を意識して応援できるのだ。やっぱり負けたにしても幸せだったと思う。

もちろん、ベンチに入れずスタンドでこの空気を感じた2年生や1年生も。ここで感じたものが来年、再来年、生きないはずはない。

そればかりか観戦していた少年野球の子供たちや中学生たちにも「ケンソウ」は刻み込まれたに違いない。

それもこれも「最後の試合」を地元で戦えたからである。

第1シード、県立相模原、4回戦で敗退。

その事実だけを見れば、早すぎると言えるかもしれない。選手たちにとっても、もしかしたら納得や達成感には届かない結果かもしれない。

けれど、今年のケンソウが遺したものは、決して小さくない。地域にとっても、学校にとっても、野球部の未来にとっても。

いまは悔しさに暮れている球児たちも、いつか気づくはずた。彼らの「最後の試合」がどれだけ特別なものだったということに。

高校野球は「負け」の戦いだ。

たった一校を除いて、すべてのチームが負ける。負けて、高校野球を終える。だから「負け」の尺度も数限りなくある。

たとえばーーユニホームを脱いだ後に何かを残せたか。自らの納得や達成感だけでなく、自分以外に何かを与えたか。

そんな物差しをあてるとしたら……。

ケンソウは素晴らしい負け方をしたと思う。

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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