「東京マラソン」を巡って(3)

1+1+1=東京マラソン

完走率を高めるためにも制限時間を長くしたい「東京マラソン」と、交通や治安への影響を懸念する「警察」とのせめぎ合い――「7時間」を巡る交渉の中で出てきたのが「一本化」だった。

つまり、東京で行なわれているマラソンを「一本化」するなら「制限時間7時間」を認めてもいい、という妥協案である。

これはどういう意味か?

そして(前回のラストで記したように)結果的に実現できなかったのはなぜか?

今回はそのあたりについて説明する。

まず「東京で行なわれていたマラソン」について。

これについてはすでに第1回で触れた。「東京マラソン」が誕生するまで、東京で行なわれていた市民マラソンは(フルマラソンではなく)ハーフ以下の大会ばかり……というくだりである。

しかも、いくつかの大会が生まれては消え、を繰り返した末に、この時点で開催されていたのは「東京シティロードレース」(距離10キロの市民マラソン)だけである。

しかし、この他にも東京で行なわれていたマラソンが二つある(すでにお気づきの方も多いだろう)。市民マラソンではなく、エリートランナーの大会。世界のトップ選手が集い、名勝負を繰り広げてきた、マラソンファンにとってはお馴染みの、そう、「東京国際マラソン」と「東京国際女子マラソン」である。

「東京国際マラソン」は1981年に開始。瀬古利彦や宗茂、谷口浩美、さらにはイカンガーやメコネンといった錚々たる顔ぶれが優勝者に名を連ねた大会だ。

もう一つの「東京国際女子マラソン」。その創設はさらに古く1979年。オールドファンには佐々木七恵の名前を挙げれば膝を叩いてもらえるだろう。もちろん高橋尚子も優勝を飾っている。

この2つのエリートレースと、市民マラソンの「東京シティロードレース」の3つを統合する――つまり「東京マラソン」として「一本化」することが、「7時間」を認めてもらうための条件だったというわけだ。

2時間半+3時間半+……=7時間

もちろん警察が「一本化」を求めたのは、交通や治安を配慮してのことである。

すでに3大会行われているマラソンをそのままに、新たな市民マラソン、それも広範囲で長時間(7時間!)の交通規制を伴う大会を加えては、東京の交通に対する負荷はさらに強くなってしまう。治安の面からみてもリスクはより高まる。

そこで「大会を一つにまとめるなら長時間の交通規制も認めましょう」という“折衷案”を提示したのだ。

ちなみに「7時間」の正当性は、こんな計算から導き出されたという。

それまでに行なわれていた大会の競技時間(制限時間)は……

東京マラソン=2時間30分

東京国際女子マラソン=3時間30分

東京シティロードレース=1時間40分

これを合計した7時間40分。それが3大会で交通規制が必要だった時間ということになる。

もっとも「東京シティロードレース」は10キロの大会。影響のあったエリアも狭い。だから、半分くらいに換算して……。

一本化できるなら、まあ、7時間を認めても……。

そんな“計算”で、その合理性としたというのである。

無論、これはある種の方便である。

しかし、(そんな計算を持ち出したのが、東京マラソン側だったのか、警察だったのかはさておき)、とにかく「東京マラソン」を実現するために、互いに落としどころを見つけ合っていた、ということは伺える。

なかなか興味深いエピソードである。

「一本化」はならず

とはいえ、3大会の統合が簡単にできたわけではない。

すでに明かした通り、結果的に「一本化」は果たせないまま、「東京マラソン」はスタートすることになるのである。

具体的には、「東京国際マラソン」と「東京シティロードレース」は統合された。つまり「東京マラソン」へと発展的解消した。

しかし、「東京国際女子マラソン」は、統合できずに、そのまま開催され続けたのだ。

背景には、それぞれの大会を主催する「メディア」の存在があった。

日本のマラソン大会は、陸上競技連盟と新聞(を中心としたメディアグループ)によって運営されてきた。

このとき「一本化」の対象となった3大会でいえば、「東京国際マラソン」は読売新聞と産経新聞が隔年で、「東京国際女子マラソン」は産経新聞、「東京シティロードレース」は東京新聞が主催してきた大会である。

当然、統合するには彼ら主催者の了承が必要になるわけだが、これがうまくいかなかった。

つまり、「東京国際マラソン」を隔年で主催していた読売新聞(日本テレビ)と産経新聞(フジテレビ)は統合を受け入れたが、「東京国際女子マラソン」を主催していた朝日新聞(テレビ朝日)は応じなかったということである。

それぞれの主催者(メディアグループ)が、どのような思惑で判断を下したのかは想像するしかないが、たとえばテレビ中継だけとっても、もしも3社共催ということになれば、3年に1度しか放送の機会が回ってこないことになる。

その意味では、そもそも隔年で放送してきた日本テレビやフジテレビよりも、(毎年中継してきた)テレビ朝日の方が影響は大きかっただろう。

また、そもそもトップ選手が競い合うエリートレースと違って、一般のランナーが延々と走り続ける市民マラソンに、番組としての魅力があるかどうかも判断の分かれるところだったに違いない。

さらに、それぞれが主催している他の大会(たとえば12月の福岡国際マラソンは朝日の主催である)との兼ね合いもあったかもしれない。

いずれにしても、それぞれの大会の主催者間の調整がうまくいかなかった結果、「一本化」はならず、「東京国際女子マラソン」だけは継続することになってしまったのだ。

マラソンとメディア

こうした裏事情を明かすと、「またメディアか……」とすぐに邪推してしまう人が最近少なくないが、それは短慮というものだ。やたらと(特にネットで)目や耳にする“陰謀論”は、まさにそうした世相を反映していると思う。

批判するなら、少なくとも最低限の知識は身につけておく必要がある。そこに至る経緯さえ知らないまま、目の前の事象だけをとらえて、手垢のついた物語(実は裏で……)にはめ込んで、そこで思考停止してしまう悪癖は治した方がいい。理解が深まらないばかりか、無教養を露呈することもなる。

前述したように「東京国際マラソン」も「東京国際女子マラソン」も歴史と伝統のある大会である。

たとえば統合できなかった「東京国際女子マラソン」は、国際陸連公認としては世界初の女子マラソンである。現在のように女子のアスリートが顧みられていなかった時代に、女性だけのエリートレースを開催した意義は大きい。

ちなみにオリンピックで女子マラソンが行なわれたのは、1984年のロサンゼルス五輪からである(アンデルセン選手がつんのめるようにゴールしたシーンを覚えているスポーツファンは少なくないはずだ)。「東京国際女子マラソン」はそれより5年前にトップ選手を集めて開催された大会なのだ。

当然のことながら、主催してきた朝日新聞にも特別な思い入れがある。

女子に限ったことではない。そもそも日本のマラソンは、新聞をはじめとした主催メディアによって支えられてきた歴史的経緯がある。

極論すれば、陸連と新聞がタッグを組んで「マラソン強国ニッポン」を作り上げてきたと言っても過言ではない。

もちろん彼らが直接的に支援してきたのはエリートランナー(トップ選手)の大会だった。

しかし、そんな選手たちの力走をテレビで目にすることで、次の世代の選手たちも育った。もちろん市民ランナーも増加した(ちなみに福岡の子供だった僕は、少年時代にショーターを生で見たことがきっかけでマラソンに興味を持った)。

特に現在急増している女性ランナーのルーツは「東京国際女子マラソン」にあると言っていい。統合に応じなかったからといって主催者を批判するのは、そんな歴史的貢献を無視した“片手落ち”だと僕は思う。

終わらないマラソン物語

話を「一本化」に戻す。

「東京国際女子マラソン」が「東京マラソン」に加わらなかったことで「一本化」はならず、2つの大会が併存することとなった。

しかし、そうした状態が長く続くことはなかった。

2008年、「東京国際女子マラソン」が終了。30年に及ぶ歴史に幕を下ろしたのだ。

これによって東京のマラソンは、ついに「東京マラソン」に一本化されることとなったのである。

ただし、主人公を「東京国際女子マラソン」に変えれば、話はまだ終わらない。翌年、新たな女子マラソンが創設されるのだ。ただし、東京ではなく、横浜で……。(つづく)

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』(光文社)にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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