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問われる引き出し屋の自立支援(4) 沖縄の若者たちはなぜ狙われたのか

加藤順子ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士
縁もゆかりもない土地で暮らす/筆者撮影

2019年10月11日。

この日は、19歳の時に沖縄の自宅から神奈川県内の自立支援施設「ワンステップスクール湘南校」に連れてこられた比嘉蒼真さん(当時20歳)が、かねてより脱走を計画していた日だった。

(リンク:問われる自立支援(3) 「監視カメラの死角で、脱走計画を立てた」

東日本に迫る台風19号が、狩野川台風級の大雨被害になると予想されていて、脱走を決行するならこの日しかなかった。

一緒に逃げようと約束していた40代の男性は、スタッフの動きを警戒し、「オレのことはいいから、先に行っていてくれ」と言ったので、蒼真さんは一人で役場に向かった。

以前に「大丈夫だ」と言ってくれた役場の職員は、蒼真さんが現れるとすぐに別室に通してくれた。さらに物陰に隠すようにして、保護施設への入所と生活保護の受給手続きができる11キロあまり先の合同庁舎までの車を手配してくれた。

蒼真さんが隠れている間、「比嘉さんはいますか?」と誰かが探しに来た。役場の職員の間に緊張が走る。スタッフと生徒の見分けがつかず、男性は追い返された。実はその人は、一緒に逃げようとしていた40代男性だった。この男性も、後に脱走に成功したことが最近わかった。

■業者の介入でさらにこじれた親子関係

脱走後の蒼真さんは、運良く、行政の力と、福祉に強い弁護士や支援者の力を借りることができた。ワンステに「再ピック」の依頼をしないよう親を説得し、恐怖に怯えずに済む生活を取り戻すことができた。(筆者注:「ピック」とは、「お迎え」を指すワンステ用語)

蒼真さんは19歳で連れ出され、混乱の中、誰にも祝福されずにワンステで二十歳を迎えた。保護施設を出て一人暮らしを始め、さらにひとりぼっちの誕生日が過ぎて21歳になった今も、親との関係は完全にこじれたままだ。

今住んでいるところは身寄りも地縁もない土地ではあるが、近所の人たちは優しい。ピックに怯えることのない落ち着いた暮らしを取り戻した最近は、ようやく、「働きたい」という意欲が出てきて、就職活動も始めている。第一目標は、とある分野の公務員だ。高校生の頃から、「人の役に立つ仕事をしたい」という強い思いは持っていた。

しかし、家族からは、沖縄に戻ることを拒絶されている。家族が本人に断りなく自立支援の契約を行い、本人の意に反して強引に引き出す業者のことを、「引き出し屋」などという。比嘉さんの家庭のように、業者を使った本人を尊重しない一方的な介入によって、元から折り合いの良くなかった親子関係が、さらに悪化してしまう例は、実は後を絶たない。

思えば、蒼真さんの人生の方向性が、親の意向で変わってしまったのはこれが初めてではなかった。高校進学の時だった。中学でやっていた部活の競技成績が良く、ある高校から勧誘の声がかかったことがあった。それなのに、両親は「学業の成績もいいんだから」と、勧誘された学校への進学に反対をした。このため、蒼真さんは、しぶしぶ進学校に進むことになったのだった。

その結果、部活のつながりが絶たれ、人間関係がずたずたになってしまった。

蒼真さんは高校で不登校気味になり、心療内科にも通わされた。それでもなんとか自分を奮い立たせて、高校は自力で卒業した。卒業と同時に、あまり意義を感じなかった心療内科通いは止めた。大学には行かなかった。

「あの時、進学校には行きませんと、もうちょっと言っておけば、こうはなっていなかったのかな……」(蒼真さん)

■実は、ひきこもっていなかった

高校卒業後に始めた飲食チェーン店でのバイトは、労働環境が最悪で、すぐに辞めてしまった。それから警備員などにも応募してみたが、働こうとすると体が動かなくなってしまっていた。

「ブラック職場を経験して、社会に対して、身体も気持ちも負けてしまっていたんです。それで少し休みたかったんです。働いていなかったのは8ヶ月ほどですが、運転免許を取ったり、知り合いを通じて仕事探しを相談したり、積極的にやっていたことは結構あって、ひきこもってはいなかったんですよね」(蒼真さん)

仕事をしなくなってからは、家で、好きなゲームをして過ごすことも多かった。そんなある日、近くの青年会議所が、eスポーツの大会運営に乗り出すという話を知った。ラジオでニュースを聞いた母親が、「あなた、ゲーム好きでしょ」と教えてくれたのだ。

蒼真さんはその時の気持ちをよく覚えている。

「どんな形にしろ、『eスポーツに関わることが出来るかも』と想像したら、すごくワクワクしたんです。関わるのにもしも軍資金が必要なら、もう一度働いてみようすらと思いました。知人を通じて、情報収集もしましたし、何より、職場の地元のネットワークをもっている母親に強みがあると思って、『青年会議所につながりを作ってくれないか』と頼んでみたんです」

しかし母親は、何もやってくれていなかった。その代わりに、2週間後、蒼真さんはワンステにピックされてしまった。

そこからの激動の日々は、なるべく思い出さないように過ごしている。フラッシュバックで様々な記憶が去来してしまう時があるからだ。

「脱走して保護施設に入っていたとき、首を吊ろうと何度も考えたんです。命がけで脱走したはずなのに、ひとりになると、『自分はなんで生きているんだろう?』と思えてくるんですよ。

2つの地獄から脱出して今がある/筆者撮影
2つの地獄から脱出して今がある/筆者撮影

それに、ワンステを出た後の保護施設も、ある意味別の地獄でした。思い出すだけでも辛いほど衛生状態が悪かったのと、入寮者同士のいじめ、パワハラ、ゆすりもひどかったんです」

そうした状況からも脱出して、ようやく得たのが、今の蒼真さんの静かな暮らしだ。

しかし、こんなに辛い思いをしたことも、親は理解しようとしない。今月中旬、1年2カ月ぶりに沖縄に帰って地元紙の記者とともに両親と対面し、「なぜあんな施設に入れたのか」などの様々な疑問をぶつけることができた。

「母親は相変わらず、『私はそうでもしないと、あなたが自立しないと思って』と言っていました」

蒼真さんは、そうため息をつく。2ヶ月で脱走したことで、半年の契約で支払った分が少しでも戻ってきているのか気になって聞いてみたが、恩義を感じている母親は、「取り戻す気はない」という話だった。

本当は、「お母さん、ワンステのこと、誤解してるよ」と問いただしたい。でもそれはいつか、親との関係が良くなってからちゃんと伝えようと考えている。

「働かず、親を不安にさせた責任は感じています。でも、ワンステはその親の不安を利用して、中身のない支援で金を巻きあげた。本当に許せない」(蒼真さん)

■「沖縄の若者がカモにされたワケを知りたい」

出会ったばかりの蒼真さんが、「どうしても確かめたいことがある」と話していたことがある。

「親はどういう経緯で遠い神奈川のワンステのことを知ったのか?」ということと、「なぜ沖縄の自分が、神奈川の施設に連れて行かれたのか?」ということだった。

ワンステ湘南校には、蒼真さんが過ごした2ヶ月間だけでも、他に沖縄から連れてこられた人が2人いた。

もうひとりは、入所初日に出会った、自分と同じくらいの年齢で、何度か再ピックされている人。もうひとりは、宮古島から来た30歳くらいの緘黙症(筆者注:他者と話せない状態の不安症)の人だった。

「20人もいない全寮生のうち、3人が沖縄出身。不自然ですよね。それだけじゃないんです。スタッフのひとりが指折り数えて、『ちょっと前に沖縄の子が6〜7人いた』と言ったんです。大半が御殿場校に行ったそうで、沖縄に戻れてはいないんだということを知りました。脱走して、空港から連れ戻された人もいたと聞きました。沖縄の子は帰りにくい。土地勘がないし、逃げてもルートがバレるから。おそらく手引する人物がいて、狙われたんだろうと考えました」(蒼真さん)

こう踏んでいた蒼真さんの想像は的中する。

両親に確かめたところ、ピックに来ていたあの3人目の男からワンステを紹介されていたことがわかったのだ。母親は、相談に行った精神科医から、「いい人がいる」と紹介されたのがその男だった。ちなみに母親が相談した精神科医は、蒼真さんは会ったこともない。

3人目の男は、沖縄県の若者支援でかなり有名な人物だった。筆者が県に確認したところによると、男は当時、県のニート、ひきこもり、不登校の相談窓口を受託する団体の職員で、2018年2月には、県が5カ所で主催した支援者研修会で、講演者の広岡氏と共に県内を回ったということだった。

蒼真さん以外の沖縄出身の生徒が、どんな経緯でワンステに連れてこられたのかはわからない。ただ、筆者も蒼真さんがワンステに連れてこられるだいぶ前から、内部の生徒からの情報として、「沖縄の子たちが次々と連れてこられている」とは聞いていた。

沖縄の若者支援の現場は、遠い神奈川県の民間支援者に親たちが頼むほど機能していないのか。現場の様子が気になり、何人かの支援者に最近の状況と「神奈川県の自立支援施設に沖縄の若者が集められている背景への心当たり」を尋ねてみた。すると、「3人目の男」が主宰していた支援団体から、何も支援されずにリファーされてきた若者を引き取った支援団体や、「貧困支援で、県外の有名支援団体が沖縄になだれ込んだ影響」を指摘する地元の老舗支援団体の主宰者などがいた。

そのうちの一人が言う。

「働いていないことを責めたり、本人が嫌がるのに引き出そうとするようなやり方は、元々『うちなーんちゅ』の支援文化にはないんですよ。それがいま、内地からの支援者が増えて変わってきています。(蒼真さんのピックに来た)彼も内地からの人です。あと5年も経てば、沖縄のゆったりしたひきこもり支援の文化は入れ替わってしまうんでしょうね」

沖縄県全体でひきこもり支援の文化そのものが変わるなか、地域に大きな影響力を発揮していたひとりが、「3人目の男」のようだった。そんな彼が、沖縄で、ワンステの「ピック」を行っていたのだった。

■今日で拉致から1年が経ちます

今年8月半ばのある日、蒼真さんから長めのメッセージが届いた。

「今日で拉致から1年が経ちます」

そう始まり、これまでのお礼が綴られていた。若く、社会経験も少ない蒼真さんだが、こうした丁寧で律儀なコミュニケーションには、いつも感心させられる。

筆者は、数多くの引き出し屋の被害者を取材するなかで、業者の暴力的な「支援」によって傷つけられたまま再出発した人たちのことを、「サバイバー」であると思うようになった。蒼真さんにもそう伝えると、彼は涙ぐんだ。

「家族が関わって、あの地獄を味わったと思うと、気持ちが収まらなくなる。とにかくずっと悔しい」/筆者撮影
「家族が関わって、あの地獄を味わったと思うと、気持ちが収まらなくなる。とにかくずっと悔しい」/筆者撮影

蒼真さんは、「ワンステ後の気持ち」について、こう話してくれた。

「いまも、親に連絡すると、感情的に恨みを口にしてしまい、とても苦しいです。

確かに、僕が“プー太郎”状態だった時、思いつめて、親に『殺してくれ』と言ったことはありました。親も不安に思って、藁にもすがる思いだったんだろうなと理解しています。

でも、今僕がピックされて、どれだけつらい思いを味わってきたことを伝えても、親は『ワンステに頼んだことは正しかった』との考えを変えようとはしてくれません。

最初は怒りしかありませんでしたが、今は呆れに変わってきました。だから、ワンステに関する話は、ケンカになるからしないようにしています。家族が関わって、あの地獄を味わったと思うと、気持ちが収まらなくなる。とにかくずっと悔しさでいっぱいです。

親ですから、僕のことを嫌いなわけではないのはわかる。だけど複雑。親への気持ちをどうするかは、今も模索中です。

沖縄の人たちには、こういう施設で、被害が出ていることを、知ってほしい。内地(県外)の情報が少ない沖縄では、親も不利、ひきこもっている人はもっと不利だと思います。

脱走してから、他にもいろいろな施設での被害者がいることを知りました。国には、被害者の人たちの意見を取り入れて、法整備をしてほしいと思っています」

妹の今年3月の誕生日には、何も買ってあげられなかった。「こんな兄でごめんね」と、蒼真さんは遠くから思っている。

ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士

近年は、引き出し屋問題を取材。その他、学校安全、災害・防災、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運べず、スタジオから伝えるばかりだった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

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