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死者100人、イラク・モスルのフェリー沈没事件 その裏には元民兵組織と知事の腐敗が?

伊藤めぐみドキュメンタリー・ディレクター
ボートには定員50人のところを200人が乗船したと言われる(写真:ロイター/アフロ)

 3月21日、イラクの都市モスルでチグリス川の中洲を行き来するボートが沈没し、100人近くの人が命を落とした。その多くが女性や子どもだった。アラブ諸国の母の日と、クルドの新年ネウローズを祝う特別な日に起きた悲しい出来事。そしてイスラム国から解放されてようやく日常を取り戻そうとしている人たちに起きた「悲劇」。そう記憶されるものだと思っていた。少なくともボート運営会社の安全管理不足の問題として。だがこの事件に元民兵組織と知事の利権が絡んでいるというのなら、話は少し違ってくる。

元民兵組織ハッシェド・シャービー

 元民兵組織とは何か。2017年にイスラム国との戦闘に勝利宣言がなされて以降、次第に新たな力を持ち始めた軍事部隊、ハッシェド・シャービー(人民動員軍、Popular Mobilization Forces、以下、ハッシェド)のことだ。2014年にシーア派指導者シスターニ師の呼びかけでイスラム国と戦うために軍事部隊が結成された。建前としては宗派を超えた組織だが、シーア派主体の組織で、多くの志願兵がイラク南部シーア派地域からも参加した。イラン政府がイラクに影響力を行使するために支援をしており、イランの特殊部隊であるクッズ部隊の司令官で戦略家として有名なカシム・スレイマニもイラク国内に入って作戦の指揮に加わっている。イスラム国掃討作戦に戦力として加勢した側面がある一方で、一般市民にも見境なく攻撃し、拷問や殺害も行っていると報告される悪名高い組織でもある。

 もともとハッシェドは、その内部でも支援を得ているグループの違いなどもあって統一性のある組織ではない。2017年にイラク政府はこのハッシェドを政府の管理下に置くため、正式にイラク軍の一部とさせた。だがこれで統制がきくようになったわけではなく、政府のお墨付きを得てより個別に力を行使するようになった側面もあるのだ。

ハッシェドとボート運営の利権?

 今回のこのボート転覆事件にはハッシェド内部の勢力、アサイブ・アフル・アル・ハク(以下、アサイブ)の利権が関わっているという見方がある。転覆の原因の1つは定員50人のボートに200人、つまり4倍の人を乗せていたこと。ボートの運航側が一度により多くの人を乗船させて儲けようとしたということだ。また事故の2日前にモスル市長側はモスル・ダムの放水を行うため水位が上昇するのでボートを運航しないようにと運営側にサインをさせて約束させていた。それにもかかわらず、事故当日の午後には、ピクニックのできる中洲に行こうとボート乗り場に集まった多くの客を前に許可を得ずにボートを運航させたというのだ。

 クルド自治区のメディア、ルダウによると、モスルのあるニナワ県選出の国会議員イクラス・ドゥレイミは、ボートの運営権の30%をアサイブが所有していると指摘している。つまり彼らはマフィアのような形で観光ビジネスに入り込んで利益を得ようとし、安全基準も自ずとゆるくなっていた可能性もあることを意味する。しかもモスルを管轄するニナワ知事ナファル・ハマディ・アコブがハッシェドから資金援助を受けており、彼らの行為を野放しにしていたともいわれている。知事自身も汚職が酷くかつてから多くの批判を浴びてきていた。ボートの事故以前の3月14日に知事の汚職が国会で報告され、罷免される予定ではあったが、ボートの件が引き金になり、予定よりも早く罷免された。興味深いのはイラクのアブドルマハディ首相により罷免の決定がなされた時、知事が述べた言葉だ。「(シスターニ師から)辞表を出すように求められるのであれば、シスターニ師の手に辞表を出すことにためらいはない」と。スンニ派である知事がシーア派指導者であるシスターニ師にこれほどの重きをおいたパフォーマンスを見せるとは興味深い。

 すでにこの事態に対する対策部が作られた。首相が統括し、実際の現場での指揮には地元の人たちからも信頼が厚いイラク軍のニナワ作戦部隊のトップ、ナジュマン・アル=ジュブリ氏、モスル大学の学長、ニナワのイラク警察のトップの三者で対応することになった。

イスラム国の支配を生き延びた人たちの声

 事件を受けて筆者はモスルの知人たちに連絡をとった。ある友人はイスラム国に苦しんだ過去と比較して、「またモスルの街は難しい状況に戻ってしまった。元に戻ってしまった。街が悲しんでいる」と話した。また別の友人は「乗船した人たち自身も責められている。なぜ乗船を拒否しなかったのか、と」。また他にも「知事が変わったからといって、同じような汚職まみれの人が100人だって現れる。根本的な改革が必要。人道のことを何も考えないマフィアたちを取り除かないといけない」と。このマフィアとはつまりハッシェドの中のあるグループだという。彼はイスラム国の支配下で命を狙われていたため3年間隠れて過ごし、解放直後は瓦礫に埋まった人たちの救助活動に奔走した。地獄のような3年を過ごした彼だが、この沈没事件を聞いてはじめて泣いたと話した。

 事故以前にモスルを訪れた際、地元の人たちが2つのことを話していた。治安やイスラム国の問題よりも、汚職と失業が今、一番の問題であるということ。市内ではイラク軍やイラク警察よりも、元は民兵であったハッシェドが一番の力を握っていること。2つのことをバラバラのこととして考えていたが、それらは同じ問題の上にあるのかもしれない。ハッシェドは公式にはモスル市内には配備されておらず、モスルの周辺を囲む形で検問所を設置して治安対策を行っている。市内にはいないはずのハッシェドを、なぜ地元の人々は力があるとそれほど言うのかと思っていたが、ハッシェドは軍事部隊としてではなく、裏でビジネスを牛耳るマフィアとなり取り仕切っていると考えているのだ。

 地元メディアルダウも、ニナワ警察のトップやモスル選出の国会議員シルワン・ドゥバルダニの言葉として、モスルで起きている殺人事件や爆破の多くはイスラム国の残党の仕業だと思われているが、実際はイスラム国とは関係なく、地域を混乱させるためのものであり、政治と経済の競争で起きていると発言している。またスンニ派のハッシェド・シャービーなるものも存在するが、このグループには給料が支払われず、ゆすりや恐喝を行っているとも言われる。

 ハッシェド、ボート運営側、知事の関係などわかっていない事実は多い。別のイラク人の知人が指摘したように、ハッシェドが関わっていようといまいと、時に安全管理に甘いイラクでは起こりうる問題だということももう1つの要素としてはある。しかし、人々の進まない復興、汚職の蔓延、ハッシェドやマフィアとみなされる利権を持つ人たちへの不満は爆発してしまった。この不満のエネルギーはどこに向かうのか。

ドキュメンタリー・ディレクター

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程に留学中。

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