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都市の中にもっと木造建築を ~木質構造学の第一人者 東京大学生産技術研究所・腰原幹雄教授に訊く~

一志治夫ノンフィクション作家
都市木造が建ち並ぶ表参道 CGモンタージュ(team Timberize)

 都市部のビルといえば、鉄筋コンクリートの建物しか思い浮かばないが、実はいま、木質構造の中高層・大規模建築がにわかに脚光を浴び始めている。

 これまで、中高層木造建築は、不燃性などさまざまな規制で制限されてきた。が、21世紀を迎えてからというもの、海外の都市では次々と竣工している。たとえば、カナダ・バンクーバー市内にあるブリティッシュ・コロンビア大学の学生寮は、混構造ではあるが、木材を多用した18階建ての高層ビルで、2017年6月から供用が始まっている。

木造でも耐火建築が可能に

 日本では、2018年1月、山口県長門市で5階建て市庁舎(木造+RC造)の建設がスタートしたりしているが、全体的に動きは鈍く、都市部の中高層・大規模建築には木造は不向きという基調は根強い。日本は国土の67%が森林というの森林大国だ。にもかかわらず、山に眠る多様な木材を生かし切っていないというのが現状なのだ。住宅のみならず、中高層・大規模建築に木を生かすことができれば、疲弊している林業も山も元気になる。そして、なによりも街が楽しくなる。

 現代木造の第一人者で、木質構造学を研究する東京大学生産技術研究所の腰原幹雄教授を訪ね、日本の木造建築の現状と可能性を訊いた。

ーーなぜ、日本では、木材が住宅以外の一般の大きな建築物には使われなくなったのでしょうか。

 1919年以前は、工場や倉庫、学校など大きなものを木でたくさん造っていたんです。ヨーロッパから鉄とコンクリートとガラスが入ってきて近代建築は始まるんですけど、日本では木を使って4階建てや5階建ての建築物を造るという時代がずっとあったわけです。群馬県高崎に5階建ての木造の製粉工場があったように。

 ところが、1919年に市街地建築物法が、1950年に建築基準法ができて、都市部では火に弱い木造はダメだよ、不燃都市にするんだという時代が来るんです。以来、木造の大きな建物は敬遠されるようになる。あっても屋根だけとかで。ところが、2000年の建築基準法の改正で、どんな材料を使っても同じ性能を担保できればいいよ、となる。木造でも耐火建築が可能になったわけです。

「建築と日本展:その遺伝子のもたらすもの」(六本木ヒルズ 森美術館 会期2018.4.25(水)~ 9.17(月))で提案している高さ200mの木造超高層ビル「Timberize 200」
「建築と日本展:その遺伝子のもたらすもの」(六本木ヒルズ 森美術館 会期2018.4.25(水)~ 9.17(月))で提案している高さ200mの木造超高層ビル「Timberize 200」

建築は時代によって変化していく

ーーしかし、20年近く経っても、さほど大型の木造建築物は増えていません。

 本当は、ゼロから考えるべきなのに、たとえば、「日本には釘も金物も使わない素晴らしい木の文化や技術が古来からある」という話にすぐなって、「えっ、釘や金物、ボルト、接着剤を使って造るの?」となっちゃうんですね。本当は現代の都市型木造建築を造らなきゃいけないのに。

 いままでは、「なるべく自然材料をうまく使いこなしましょう」ということだったから、そこには高度な技術が必要だったし、職人芸が必要だった。でもいま、高度な技術と職人芸が減ってきているんだとすると、能力があまりなくてもできる現代にあった仕組みをつくらなきゃいけないわけです。建築は、その時代時代の生活スタイルと社会システムによって変化していくものだし、我々も1000年前と同じ暮らしをしているわけじゃないから。

 ただ、逆に、昔は大工のすごい技術があったかもしれないけれど、現代は、コンピュータだとか、ロボットの加工技術だとかまた違う技を手に入れているわけです。そういう意味で、いま森林資源が余っていて、木を使いましょうというときに、昔ながらの使い方をしていたら木を使い切れないので、新しい技術を使って、新たな分野を切り開きましょうというのが都市型の木造建築のスタート地点なんです。

東京大学生産技術研究所腰原幹雄教授 1968年生まれ。94年東京大学工学部建築学科卒業後、構造設計集団<SDG>に勤務。01年東京大学大学院博士課程修了。NPO法人team Timberize理事長
東京大学生産技術研究所腰原幹雄教授 1968年生まれ。94年東京大学工学部建築学科卒業後、構造設計集団<SDG>に勤務。01年東京大学大学院博士課程修了。NPO法人team Timberize理事長

ーーそんな新しい技術のひとつが集成材のCLT(=クロス・ラミネーティッド・ティンバー=繊維方向が直交するように積層接着した木質系材料)なんですね。

 CLTはもともと柱梁に使えない材をCLTにしましょうというところから始まっているんです。曲がったりしている木はB材と言って値段が落ちるんです。山の人はそれを下ろしてくると手間がかかるから下ろさなくなる。でも、山のためには切ったほうがいい。そんな木を切り出してきて、短くてもつなぎ合わせて使いましょうというのがCLTをはじめとする集成材の目的だった。人間の知恵と力で、どんな木でもいいから、その変な材料をいろんなところに使いましょう、というのが本来の趣旨でした。ところがいま、ブームが変なところへいっている。「CLTはいい材料だ」というところだけが一人歩きを始めて、普通に住宅でそのまま製材として使える木も切っちゃって、CLTにするというようなことが起きて、価格が高くなっている。ヨーロッパでは、クズの木を固めてCLTにするっていうのがメインなんですけどね。

山には物質生産以上にいろんな価値がある

ーーCLTの問題にしてもそうですけど、山のあり方、林業のあり方が問われ続けているわけですね。

 日本では木を育てるために山があるんじゃなくて、山を守るために木を植えているという順番なんです。だけど、山には、取水とか、水資源の確保とか、生物多様性とか、宗教やリクレーションの場とか、本当は物質生産以上にいろんな価値があるわけです。そういう観点からいけば、山を保全するためにも、定期的に木を使い、新陳代謝をよくすることが大事になってくる。どうやって木を使ってあげるかを考えなきゃいけないんです。

 そのためにも、地方の山で生産した木を都市部で使うことが大切なんです。都市は山の恩恵を受けているわけで、そうなると、都市部に木造建築があることが重要になってくる。同時に、都市の中に変な木造建築があったら、なんでこんなところにこんな木造があるんだろうとなって、少しは世の中の人がいまの山のことも考えてくれるかなとも思うんですよね。

山の資源をじゃんじゃん使う建築があってもいい

ーー腰原先生は、土日ともなれば、ほぼ地方へと出かけ、山々を巡り、山がどうあるべきかを建築(木質構造学)の立場から考え続けているわけですが、山と建築の関係は今後どうなっていくのが理想なのでしょうか。

 僕自身は最後、マップをつくっておきたいんです。山にはこんな木がたくさんありますよ。この木には使い方がこれだけあります、と。時代ごとにマッチングが違うので、木が余っているときには、少し無駄でもいいから使いましょう。逆に、木が貴重なときには、有効に使いましょうとやればいい。いまは、木はこういうふうに使うべきだと言っちゃうから、どうしても制限されちゃう。

 たとえば、いまは、別に長くもたす建築じゃなくてもいいのかもしれない。木造は仮設の建築物にも向いている材料なんです。スクラップ&ビルドはよくないと言われているけれど、木造は、山の循環と合いさえすれば、造って、壊して、最後は薪として燃やしてもいいのかもしれない。山の資源をじゃんじゃん使う建築があってもいいと思うんです。もちろん長くもたせる木造建築があってもいいしね。

腰原教授が構造を担当した「下馬の集合住宅」。木造+一部RC造の5階建て。2013年竣工。写真:淺川敏
腰原教授が構造を担当した「下馬の集合住宅」。木造+一部RC造の5階建て。2013年竣工。写真:淺川敏

日本のホテルやマンションを木造で造る

ーーこれから都市部で木造建築を増やしていくには、どうすればいいのでしょう。

 海外では、木造の高層建築は結構できていて、ロンドンではCLTで造った9階建てのマンションもあるし、イタリアでも7階建ての木造集合住宅を造っている。あるいは台湾やアメリカの西海岸や東海岸でもできています。日本でもリゾートホテルとかリゾートマンションを木造で造ればいいんです。

 僕は、表参道に7階建ての木造を建てたらどうなるか、というのをシミュレーションしてみたりしています。鉄でできることは木でもできるだろう、柱や梁がどのくらいの寸法でどうなるかと勝手に設計してみたんです。あるいは、もし、あの「あべのハルカス(地上60階、高さ300メートル)」を木造にしたら、というのもやっているんですけど、それだってできないことはない。でもこれは、実際にやったら、1階は2メーター角の柱を6メーター間隔で建てなければならず、ほとんど迷路みたいになってしまうんですけどね(笑)。上の階に行けば、ちゃんと使えるけど。でも、そんな超高層も木造で造ろうと思えばできちゃうんです。

 僕は、駅前再開発とかで、全部木造で造るような特区をつくればいいとずっと言ってきました。非住宅の施設を木造でやろうと。モデル事業として、日本中の英知を集めて、木造の特区や建物を造ってみる。それこそ林業から、製材業、木質工業、建築業までが一丸になって造ろうよという建築があってもいいんじゃないか、そんなふうに思っています。

ノンフィクション作家

1994年『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞受賞。環境保全と地域活性、食文化に関する取材ルポを中心に執筆。植物学者の半生を描いた『魂の森を行け』、京都の豆腐屋「森嘉」の聞き書き『豆腐道』、山形・庄内地方のレストランを核に動いていく地域社会を書いた『庄内パラディーゾ』、鮨をテーマにした『失われゆく鮨をもとめて』、『旅する江戸前鮨』など環境・食関連の書籍多数。最新刊は『美酒復権 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦 』。他ジャンルの著書として、、1992年より取材を続けているカズのドキュメンタリー『たったひとりのワールドカップ 三浦知良 1700日の戦い』がある。

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