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<平壌宣言20年>動かぬ拉致…北朝鮮への独自制裁緩和しコロナ後の交渉準備を

石丸次郎アジアプレス大阪事務所代表
拉致された横田めぐみさんの写真を掲げる母・早紀江さん(86)(写真:ロイター/アフロ)

20年前の9月17日に小泉純一郎―金正日会談で明らかになった北朝鮮による日本人拉致は、被害者家族が来日を果たした2004年以降、一寸の進展もないまま膠着が続く。金正日―金正恩政権の「拉致問題は解決済み」という不誠実な態度にその最大の原因があったのは言うまでもない。だが、日本政府の「圧力重視」政策は結果を出すことができず、「協議によってしか前に進められない」というのが、この20年の結論であった。コロナ後を見据えて、今から協議の土台作りをすべきではないか。

◆北朝鮮は今どうなっているのか

北朝鮮は今、非常事態にある。言うまでもなく新型コロナウイルス・パンデミックのためだ。2年半以上にわたって国境を閉じ、外国との人の往来はほぼ完全に途絶してしまった。自国の外交官やビジネスマンですら一切出入国を止めている。海外から葉書一枚届かない状態が続いている。

ウイルス流入を恐れて貿易を強く制限したため、生活必需品や医薬品、工業原材料の不足は深刻で、生産や流通が麻痺して経済が急速に悪化、脆弱層の中には飢えや病気で死亡する人が出ている。

関連記事 <北朝鮮内部>ついに死者が出始めた 深刻な人道危機は金正恩政権による人災

北朝鮮のコロナ対策は過剰。中国との国境の川・鴨緑江の川辺無許可で出ることもできない。防護服を着て堤防修復作業をしている。2020年10月に中国側から撮影アジアプレス
北朝鮮のコロナ対策は過剰。中国との国境の川・鴨緑江の川辺無許可で出ることもできない。防護服を着て堤防修復作業をしている。2020年10月に中国側から撮影アジアプレス

金正恩政権はパンデミックの嵐が過ぎ去るのを、閉じこもってじっと待ち、国内の統治秩序に乱れが生じさせないことだけに集中しているように見える。対日協議は、今の金正恩氏の頭の片隅にでもあるだろうか。

コロナ終焉と金正恩氏の心変わりだけをただ待っていても、膠着が延々と続くだけだろう。パンデミック後を見据えて協議再開の土台作りをすべきではないか。

◆「圧力外交」の見直しを

小泉訪朝時に金正日政権が謝罪とともに通告した「拉致被害者は5人生存、8人死亡」という「調査結果」なるものに、日本社会は大きな衝撃を受け、北朝鮮に対する「報復・懲罰感情」が渦巻いた。この国民感情が、その後の対北朝鮮外交を強く拘束することになってしまう。

その経緯については拙稿 

「怒りだけでは進まなかった拉致問題 安倍政権は協議の行程表を出すべし 家族は高齢化で待ったなし」

日本独自の経済制裁関連法が発動されたのは2006年7月の小泉政権末期。北朝鮮が連続してミサイル発射実験をおこなったことが理由だった。次いで同年10月、北朝鮮が初の地下核実験を行ったことに対して、発足直後の第一次安倍政権が強度を高めて発動する。

だが、安倍晋三首相(当時)は「拉致解決への圧力も発動の理由の一つだ」と公言して憚らなかった。核・ミサイル開発に対して始まった制裁は、拉致もその理由であるとひとからげにされ、それが日本社会のコンセンサスのようになってしまった。北朝鮮は、経済制裁の解除が協議再開の条件だと主張した。

しかし、当時の日朝間の経済関係を見ると、制裁に北朝鮮に政策を変更させるパワーがないのは明らかだった。「制裁関連法」が制定される前年の2003年度でも、北朝鮮の貿易は韓中の2国で約7割を占め、日本は送金を含めても1割強のシェアしかなかったのだ。

 「拉致問題解決に全力を尽くす」と何十回も繰り返した安倍晋三首相。結果ゼロの今となっては空しい。写真2013年4月
「拉致問題解決に全力を尽くす」と何十回も繰り返した安倍晋三首相。結果ゼロの今となっては空しい。写真2013年4月写真:アフロ

◆「制裁で拉致解決」煽った安倍、石原、西村ら政治家

それでも安倍氏は「制裁は効果がある」と主張し続けた。また「日本が制裁を科せば北朝鮮は大打撃を受けるので拉致問題は解決に進む」という政治家の無責任で荒唐無稽な主張が跋扈した。

関連記事 <北朝鮮を読む>拉致問題の前進を考える (2) 制裁煽った安倍、石原ら政治家の無責任発言 上(石丸次郎)

<北朝鮮を読む>拉致問題の前進を考える(3)制裁煽った安倍氏、石原氏ら政治家の無責任発言 下 (石丸次郎)

制裁の発動は、日本社会の報復・懲罰感情を満足させて「溜飲を下げさせる」効果はあったかもしれないが、拉致問題の前進には役立たなかったことは、発動後16年間の経過を見れば明らかだろう。

日本独自の制裁は北朝鮮が核実験を行うたびに強化された。ヒト・モノ・カネの動きはほぼストップし、ついに制裁項目は天井に突き当たってしまった。

2014年5月、独自制裁を一部解除することで協議がようやく再開した。ストックホルム合意である。だが、約1年半後の2016年1月に北朝鮮が4度目の核実験を、2月にはミサイル発射実験を実施したことで、安倍政権は制裁措置を復活・強化させた。以降、協議らしい協議は行われることなく今日に至っている。

●現在発動中の主な北朝鮮制裁

①すべての北朝鮮籍船の日本入港禁止、北朝鮮の港に寄港したすべての船舶の日本入港禁止

②北朝鮮向け輸出入の全面禁止

③大量破壊兵器や弾道ミサイルの計画などに関わる団体や個人の資産凍結

④北朝鮮国籍者の入国を原則禁止、北朝鮮への渡航自粛要請、在日の北朝鮮当局職員が北朝鮮に渡航した場合の再入国原則禁止(実質的に朝鮮総連の幹部が対象)

⑤対北朝鮮措置に違反した外国人船員・在日外国人の再入国等の原則不許可

⑥北朝鮮居住者に対する支払等の報告下限額の引下げ(1000万円→300万円)

⑦北朝鮮を仕向地とする現金等の持ち出し、送金の届出下限額の引下げ(30万円→10万円)

⑧北朝鮮に対する国連制裁対象貨物を積載した船舶に対する貨物検査

拉致問題をきっかけに在日コリアンへのヘイトスビーチが横行するように。横田早紀江さんは「絶対にやめて」と発言している。大阪鶴橋駅前で情宣活動を行う差別排外主義グループ 2013年3月撮影 石丸次郎
拉致問題をきっかけに在日コリアンへのヘイトスビーチが横行するように。横田早紀江さんは「絶対にやめて」と発言している。大阪鶴橋駅前で情宣活動を行う差別排外主義グループ 2013年3月撮影 石丸次郎

◆乏しい独自制裁の実効性

移ろい得る国民感情なるものに忖度して採られてきた圧力重視政策を変更し、うずたかく積もった独自制裁は畳む時だと思う。

北朝鮮による核・ミサイル開発は絶対に容認できないものである。国際社会がこぞってやめろと言っているにもかかわらず金正恩政権は開発実験を続けた。それに対し、2017年に国連安保理は「史上最強」とも言われる経済制裁を科した。友好国の中国、ロシアも賛成した国際社会共同のペナルティである。

強力な国連安保理決議による制裁が科されている現状では、日本の独自制裁は、その「突出性」もほぼ失われ、実効性に乏しい象徴的なものになっている。核ミサイル開発に対しては国際社会の制裁ルールを守ればよい。独自制裁を大幅緩和してもデメリットはないだろう。

◆朝鮮学校除外という制裁

もうひとつ、実質的に拉致問題を理由にして始まった問題がある。高校の授業料無償化からの朝鮮高級学校の除外だ。

発端は2010年4月に実施予定だった「高校無償化」をめぐり、中井洽・拉致問題担当大臣(民主党)が朝鮮学校を対象から除外するよう文部科学大臣に要請したことだった。

「朝鮮学校の生徒は『制裁している国(北朝鮮)』の国民」、「拉致しているような国に金は出すな」と中井氏は要請の理由を述べている。

その後、同年11月の北朝鮮による韓国西岸の延坪島(ヨンピョンド)への砲撃事件を受けて、菅直人首相(当時)は、朝鮮学校の授業料無償化措置の審査プロセス停止を指示。2013年2月、第二次安倍政権は「朝鮮学校が適正な学校運営の要件に適合すると認めるに至らなかった」という理由で、無償化から除外した。外国人学校で除外されたのは朝鮮学校だけだった。

北朝鮮政権が拉致問題に対し不誠実だ、あるいは核・ミサイル開発を続けているという現状があるからといって、朝鮮総連を支持する人や、朝鮮学校の生徒や親をひとからげにして、政策として規制する(あるいは排除する)というのは制裁というしかない(日本政府は制裁とは認めていない)。

◆国連機関は朝鮮学校除外は不当と勧告

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を地でいくような朝鮮学校除外。それを正当化するのにしばしば使われた理由は「国民感情にそぐわない」であった。

国連子どもの権利委員会は2019年2月、朝鮮学校を高校無償教育の対象から外したのは不当だとして、日本政府に是正を勧告、朝鮮学校を「他の外国人学校と同等に扱うべきだ」としている。

北朝鮮政府も朝鮮総連も、不当な差別で制裁だと反発している。拉致問題の前進を考える時、除外措置を撤回しても、プラスに作用してもマイナスになることはないだろう。

なお朝鮮学校の在り方については、在日コリアンの中にも様々な批判がある。その声を紹介しつつ、朝鮮学校排除問題について書いた拙稿。

<北朝鮮を読む>朝鮮高校の授業料無償化問題(1)

<北朝鮮を読む>朝鮮高校の授業料無償化問題(2)朝鮮学校は自己変革が求められている

小泉訪朝時に北朝鮮側から「死亡」と伝えられ涙ぐむ被害者家族たち。2002年9月。
小泉訪朝時に北朝鮮側から「死亡」と伝えられ涙ぐむ被害者家族たち。2002年9月。写真:ロイター/アフロ

◆高齢家族には時間がない

この20年間、未帰還の拉致被害者と老いた親の齢だけが増え、亡くなる人が相次いでいる。

有本恵子さんの母・嘉代子さんは2020年2月3日に94歳で亡くなった。横田めぐみさんの父・滋さんは2020年6月に87歳で死去。2021年12月には田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さんも83歳で亡くなった。現在、未帰還の拉致被害者の親で存命なのは横田早紀江さん(86)と有本明弘さん(94)だけになってしまった。

北朝鮮と拉致問題を含む協議を再開するための特効の妙案はない。オールストップ状態の現在、ポストコロナ時の協議の土台作りのために、岸田政権は独自の制裁措置の緩和に動くいてはほしい。

時間だけが無為に浪費されることは、もう許されない。

アジアプレス大阪事務所代表

1962年大阪出身。朝鮮世界の現場取材がライフワーク。北朝鮮取材は国内に3回、朝中国境地帯には1993年以来約100回。これまで900超の北朝鮮の人々を取材。2002年より北朝鮮内部にジャーナリストを育成する活動を開始。北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」 の編集・発行人。主な作品に「北朝鮮難民」(講談社新書)、「北朝鮮に帰ったジュナ」(NHKハイビジョンスペシャル)など。メディア論なども書いてまいります。

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