Yahoo!ニュース

情報を「集約」か「取りに行く」か 未曽有の大災害、本当に役に立ったのは?

石川慶子危機管理/広報コンサルタント
筆者撮影

今年は東日本大震災、福島原発事故から10年になります。さまざまな形での振り返りがありますが、私は、「福島原発事故10年検証委員会 民間事故調最終報告書」を読むことで、危機時におけるコミュニケーションのあり方、教訓を考えました。

危機発生時に現場の状況をトップが正確に把握する必要があります。しかし、現実において危機の渦中では、情報が錯そうしたり、情報洪水の中、何を優先していくのか、即座の判断が求められるものの、実際にはパニックに陥ってしまい判断力が鈍りがちです。ここでは、福島第一原発、第二原発の最重要情報の取り方を比較することで答えを見出したいと思います。

福島第一原発では、情報をどう集めて整理していったのでしょうか。

緊急時対策班の班長たちは、「免震重要棟の円卓が二つの理由で、情報収集と指揮の拠点としての機能を失っていた」と振り返っています。一つ目の理由は、「各班が縦割りでバラバラに動き、連携ができなかった」というのです。各班が自らの最優先課題への対応に必死で全体の状況を把握できていなかった。全体を把握するのは所長になりますが、吉田所長はどうしていたのでしょうか。報告書によると、「吉田所長は3月11日17時頃、所員の安全確認と規制官庁や自治体への通報を最優先し、円卓に背を向けながら広報班などと打ち合わせをしていた」とあります。この時所長に求められたことは最重要判断は何だったのでしょうか。「安全確認、通報、広報」なのでしょうか。いやいや、原子炉の水位変化の把握です。原子炉を制御するのは所長の最優先事項であるにもかかわらず、それができていなかったといえます。

もう一つの理由としては「想定外の事態が起こった場合でも、各班の班長がマニュアル通りに報告を行い、情報の優先順位を付けられなかったことが挙げられる」とあります。それは例えば、「バスを手配中」などといった緊急を要さない情報がひっきりなしに流され、水位変化の予測というその時点で最も重要と思われた情報が埋もれてしまった、と。「予測しない事業が次々と起こる緊急事態では、同じ班の人間同士でも、報告や認識の確認を行い、情報の共有を図ることは容易ではない。(P168-169)」とあります。ここには疑問が湧きます。そのために訓練をするのではないでしょうか。想定外の事故に対応する訓練がなされていなかったことがわかります。「シナリオがないブラインド訓練を繰り返し、各人が対応の仕方に習熟するしかない」といった証言から、平時の訓練が過酷な状況、情報洪水の中でも判断をする訓練になっていなかったことがわかります。

では、同じように深刻な状況に追い込まれていた福島第二原発ではどうだったのでしょうか。この情報は報告書で初めて知りましたが、第二原発では情報共有がうまくいっていました。第二では、免震重要棟にある緊急時対策室と原子炉をコントロールする中央制御室との間のコミュニケーションが円滑に行われたのです(P173)。

「対策室から制御室へ原子炉運転経験のある所員を派遣し、連絡係とした」とあります。運転経験者であれば、制御室内でどういうオペレーションが行われているかを正確に把握できるとの判断から行われたのです。つまり、派遣すれば、制御室の当直長や運転員の危機対応を邪魔することなく、対策室に原子炉の状況や対応の様子を伝達できる、と考え実行しました。福島第二原発の増田所長は、「目の前のことに集中している人達に、こちら(免震重要棟)から、どうなんだ、とか、これやったか、とか問い合わせれば作業ができなくなる。それだったら運転がよくわかっている人を中央制御室に張り付けて、時を見計らって、こちらから問い合わせたことを報告してもらえれば一番いいと思った」と証言。さらに「私たちにも危機対応の中でうまくいかないことはありましたが、中央制御室とのやり取りは原子炉の運転を知る作業員を派遣することでうまくいった。今後すべての原子力発電所で取り入れてもらえればと思っています」とコメントしています。

第二の現場に報告人員を派遣するアイディアは、所長ではなく、制御室での運転経験のあった緊急時対策室の発電班長でした。危機時における機転、発想力ともいえます。マニュアルにない発想を持てたことが幸いだったともいえますし、それを却下せず、受け入れた所長の度量、機転、判断力ともいえます。あるいは、第一と第二の発想力、風土の違いがあったのかもしれません。そこまで詳しい比較は報告書にありませんが、いずれにせよ、第二では、情報を待つのではなく、現場に負荷をかけないように、報告人員を派遣して情報収集をし、最重要情報である水位変化の把握ができました。

円卓方式でさまざまな情報を集めた結果、情報洪水が起こり、最重要情報である水位の把握が埋もれてしまった第一原発と、訓練にはなかったアイディアで最重要情報を自ら現場に取りに行った第二原発。危機時には、マニュアル通りではない発想力が最悪を回避することにつながりました。これを平時の訓練にリスクマネジメントとして組み込めれば、あらゆる危機を乗り越える力を組織につけられるのではないかと思いました。なかなか変革できない風土の問題にするのではなく、変えるのが容易な「訓練の行い方」といったシンプルな発想を教訓とするべきではないかとの気づきがありました。

危機管理/広報コンサルタント

東京都生まれ。東京女子大学卒。国会職員として勤務後、劇場映画やテレビ番組の制作を経て広報PR会社へ。二人目の出産を機に2001年独立し、危機管理に強い広報プロフェッショナルとして活動開始。リーダー対象にリスクマネジメントの観点から戦略的かつ実践的なメディアトレーニングプログラムを提供。リスクマネジメントをテーマにした研究にも取り組み定期的に学会発表も行っている。2015年、外見リスクマネジメントを提唱。有限会社シン取締役社長。日本リスクマネジャー&コンサルタント協会副理事長

石川慶子の最近の記事