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「子どもと『がん』ばかり注目される福島報道はおかしい」 現場の医師が語る現実

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
福島県のポスター(写真:ロイター/アフロ)

 東京新聞、朝日新聞などが報じた「福島の11歳少女の甲状腺に100ミリシーベルトの被曝が確認された」という記事が波紋を広げている。「特ダネ」と評する声があがる一方で、記述やリスクの報じ方についてバランスを欠いているという批判も多い。福島で日々、現場の第一線で向き合う医師からは「『子供』と『がん』ばかりを取り上げる報道はおかしい」と声があがる。

東京新聞が「特ダネ」で伝えたこと

 記事を最初に報じたのは1月21日の東京新聞だ。朝日新聞も追いかけて、ほぼ同じ内容を報じている。要約するとこう書いてある。

 東京電力福島第一原発事故の直後、福島県双葉町の11歳の少女が、甲状腺に推計で100ミリシーベルト程度の被ばくをしたと報告されていたことが、国の研究機関・放射線医学総合研究所(放医研)の文書から判明したというものだ。彼らはこれまで国が報告を公表しておらず、これが伏せられていたとも報じている。

 東京新聞を代表するスター記者は「特ダネ」だとツイートし、記事をシェアした。

「うんざりしている」

 《またか、とうんざりしています。100ミリシーベルトという数字をいたずらに使って、問題が多い。この少女が誰かはわかりませんが、これを読んで「自分のことかもしれない」と思う人は不安になるでしょうね。それが別のリスクにつながることを理解しているのかなと思います。》

 そう語るのは福島県相馬中央病院の坪倉正治医師だ。原発事故直後から、大きな被害があった福島県沿岸部の浜通りを拠点にし、第一線で診療に当たってきた。福島県で子育てすることを選んだ親世代からの相談にも積極的に応じてきた医師である。

 《まず報道を読む限り、100ミリシーベルトという数字は全身に被曝した際に使う「実効線量」ではなく、特定の臓器への影響を示す「等価線量」と呼ばれるものであること。そうであるにも関わらず、記事には実効線量のリスクと等価線量のリスクを混同した記述がいくつも見られます。

 さらに、この数字自体いくつもの仮定に仮定を重ねたもので、かなり保守的な計算をしたものです。本当はどの程度の線量なのかはまだわからない、というのが率直な感想です。

 もし本当に重ねた仮定がすべてあっていたとしたら、今まで報告されているものより、数値が高いという印象はあります。ですが、もし100ミリシーベルトだったとしても、これは超えたらすぐにガンになるという数字ではありません。そこは極めて重要な点です。》

リスクの伝え方

 報道には「『国や福島県の公表資料には(中略)チェルノブイリ事故では100ミリシーベルト以上でがん発症』と記されている」とある。

 《100ミリシーベルトを超えたらがんになるというのは、放射線のリスクについてかなり誤った考え方だと言わざるを得ないですね。

 放射線防護の基本ですが、100ミリシーベルトはがんになるか否かの閾値ではありません。そんな伝え方をしているのは大問題です。

 この少女に対して、現場ができることは経過観察することしかありません。それは被曝量が100ミリシーベルトだろうが、それよりはるかに低かろうが同じことです。今すぐ甲状腺がんになる、将来的に確実に甲状腺がんになるというような考えも誤りです。

 被曝量はセンシティブな情報であり、現場でもとても丁寧に伝えないといけないものの一つです。記事のような大雑把な伝え方は僕にはできないですね。》

科学的なモノサシとして

 物理学者の田崎晴明氏がチェルノブイリ原発事故との比較をホームページに記録しているので、重要なところだけ抜粋する。詳しく知りたい人は是非すべて読んでほしい。

 《1990 年から 2001 年のあいだに甲状腺ガンを発症したのは約 1000 人である(Cardis et al., Table 5)。 (中略)

 この痛ましい事故の結果をもとに、被ばく量と甲状腺ガンの発生率の増加を解析した論文として、ここでは、P. Jacob et al., Thyroid cancer risk to children calculated Nature 392, 31 (1998)を参照する。

 ベラルーシとウクライナでのデータを解析した結果、Jacob らは、子供のころに甲状腺への被ばくを受けると、それによってその後の甲状腺ガン発症のリスクが甲状腺等価線量 1 Sv(石戸注:文字通り「桁違い」に高い数値。今回は等価線量で100ミリシーベルトということに注意) の被ばくに対して、年間、1 万人あたり 2.3 名だけ上乗せされると結論した。》

「いつまで繰り返されるのか?」

 研究者として福島における健康問題について多くの論文を書き、エビデンスを明らかにしてきた坪倉さんはため息交じりに語る。

 《福島で本当に問題なのは、糖尿病など生活習慣病のリスクが高まっていること。慣れない避難生活による心身の負荷ですよ。

 まさに命に直結する問題なのに、こっちはどれだけリスクがあると言っても、大きく報じてもらえない。本当に改善が必要なのにです。

 それなのに子供とがんが結びつく情報だけは大きく報じられる。おかしいと思います。すべての検査は生活している人たちのためにあるものです。現地が置いていかれるような報じ方にはやはり違和感があります。

 これをいつまで繰り返すのでしょうか?》

確証バイアスを自覚する

 最後に元新聞記者、「隠されたこと」を暴くことに執着する社会部経験者として、なぜこうした報道が繰り返されるのかについて、一つの仮説を書いておく。

 おそらく、この件を報じた記者も「特ダネ」と書いたスター記者も「福島の子供達を不安にしてやろう」という悪意はない。

 それは日清食品が大坂なおみの肌の色をアニメ化でどう描いたかと同じ意味合いで、だ。彼らは明確な悪意は持っていないが、どう受け取られるか。こうした言説の効果がどう及ぶかについて、想像力を決定的に欠いているだけである。

 心理学に確証バイアス(偏り)という考え方がある。ある仮説を検証するにあたって、仮説を支持する情報にだけ注目して、他の当てはまらない例を無視してしまうバイアスのことだ。人は反論を聞いても、偏った情報で重み付けをする傾向がある。

 人は誰しもがバイアスを有している。新聞記者も例外ではない。さらに重要なのは、これまでの心理学研究が支持しているのは右派も左派も、自分たちの政治的イデオロギーに合致しない科学的言説は受けつけにくい傾向があるということだ。

 東京新聞も朝日新聞も個々には冷静な福島報道を続けている記者もいて、素晴らしい仕事があることは事実だ。

 では、なぜこうした報道が続くのか。両紙とも安倍晋三政権に対して批判的なスタンスを取り、原発にも批判的だ。政権に批判的か否か、「原発を推進」するか否かが福島報道―特に子供と健康を巡る問題ーに直結してはいるからではないか。

 政権が隠している情報を暴き、脱原発のために「福島の子供たちの被害」を強調するといった方向に。

 誰もが確証バイアスからは逃れられないが、問題を切り分けることはできる。私は自民党政権の政策には批判的な立場をとることが多い。原発についても将来的な脱原発は必須であると考えている。さらに言えば、一連の報道に限らないが県や研究機関の対応にも問題は少なくないと思う。

 だが、だからといって今回の報道程度のエビデンスで、福島県の子供とガンについてことさら大々的に報じるべきであるとは考えない。政権批判も、脱原発を訴えることも、福島県の子供たちのガンリスクが低かったとしても十分、主張できるからだ。この記事を報じるなとは言わないが、伝え方には注意が必要だろう。

 個人に関わるセンシティブな情報である以上、科学的知見を大事にして、報道には慎重に慎重を期すべきだ。

 福島と子供を巡る問題について、2人の教員ーこれも現場の言葉だーの声を紹介しておこう。

 「どうせ、うちらがんになるんでしょって中学生の子供たちが言うんですよ」

 「まだ、あの時のことを自分の言葉にできていない。うっかり言葉にすると誰かに心配かけるんじゃないかって。そんな子供たちばかりなんですよ」

 自分たちはバイアスから自由だと言わんばかりの報道姿勢は大いに疑問である。右派、左派問わずに政治的スタンスやバイアスを自覚して、もっと現場や生活の声を拾い上げていくことが必要ではないか。福島の伝え方は今こそ、再考すべき時にきている。

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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