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男50代、2人暮らし――傑作「家めし」マンガから見えてくる社会の今

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
『きのう何食べた?』14巻表紙(筆者撮影)
『きのう何食べた』14巻表紙(筆者撮影)
『きのう何食べた』14巻表紙(筆者撮影)

『きのう何食べた?』は弁護士の筧史朗と美容師の矢吹賢二の暮らしを軸に、彼らの周辺も含めた人間関係と細やかなレシピ付きの家めしを描くマンガだ。2007年に始まった連載はすでに10年を超えて、今年7月に14巻がでた。

描かれる日常

日常を繊細かつ丁寧に描く、「家めし」マンガの傑作である。

主人公の2人はゲイで、東京・阿佐ヶ谷をモデルにした街に暮らしている。家めしといっても、家庭で再現不可能な凝ったものはでてこない。

筧はきっちりと定時に仕事を終えて、自宅で晩御飯をつくる。月の食費は3万円。彼はどこの街にもあるようなスーパーで値段をチェックしながら食材を買う。味が一発で決まるという理由で白だしを料理の決め手にし、めんつゆや顆粒だしを愛用する。最新巻では作り置きの茹で鶏(ムネ肉)を使い切ることに喜びを見出す。

連載開始時には43歳と41歳だった2人も作中で年を重ね、50代を迎えている。親との死別あり、病気や老いあり、職場の人間関係の変化あり――。主人公以外の人生模様とともに、作品の世界はそこそこに起伏がある、でもそこそこに平穏な、どこかにありそうな日常を描いてきた。

物語の本当の主人公は食事のコミュニケーション

物語の本当の「主人公」は彼らの食事中の交わされるコミュニケーションである。僕たちは食事中に、ついつい側からみると意外と深刻な話をしているときがある。このマンガでも同じだ。最新14巻のなかでもこんな話がある。

ある新婚夫妻は食事を前に「妊活」で議論をしていた。夫は職場や実母から子供を期待するプレッシャーをかけられ、ひとりで悩んでしまう。夫婦で晩御飯を作って、食べているとき妻は一言、こんな声をかける。

「あたしね 子供ができてもうれしいだろうけど周平さん(※夫の名前)とずっと二人だけでもすごく幸せなの どっちでもいいの」

第1巻で周囲にゲイであることを隠していない賢二は、美容院のお客に家の話をしたことを筧から咎められる。筧はゲイであることを公表していないので、美容院で話題になることも嫌なのだという。

賢二は泣きながら謝罪しつつ「でもっ…」と疑問を投げかける。

 「でも店長はお客さんに自分の奥さんや子供の話をするよ?何で俺だけ自分といっしょに住んでいる人の話を誰にもしちゃあいけないの…?」

家族をめぐるプレッシャーや賢二の問いかけにどう答えられるだろう。作品は彼らの日常を淡々と描いているので、いかにも社会的に話題になりそうな「LGBTの権利」や「多様性ある社会」といった言葉はでてこない。

だけど、ここに描かれているのは僕たちが暮らしている社会そのものだ。ゲイカップルを描いているから社会的という意味ではない。

「いま」を描くとはどういうことか?

僕は映画監督・橋口亮輔の言葉を思い出す。橋口は映画で「いまを描く」とはどういうことなのかという問いに、今っぽい題材を取り上げれば「いまを描く」ことになるという考えに真っ向から反論する。

「人は世界の中に生きている。どんな境遇の人も世界と繋がっている。だから、個人を見つめていくと、その向こうに大きな世界が見えてくると。(中略)つまり”いま”を描くということは”普遍”を描くことと同義なのだ」(映画『スリー・ビルボード』パンフレットより)

言ってしまえば料理とコミュニケーションを軸に日常を描く、ただそれだけのマンガだが、日常の先に彼らがつながっている社会が見えてくる。

声高に主張をすることはない。ドキュメンタリーでも、硬派な社会派漫画でもない。でも、すっと染み渡るようなシーンの積み上げで「社会」が描かれている。この漫画の価値は、バッシングする言葉が平然と流される「いま」だからこそ一層、高まっていると思うのだ。

ところで14巻には筧が勤務する弁護士事務所のスタッフは、みんな自分以外に関心がなく(もちろん、一緒に仕事をするのだが)、だから居心地がいいと思う場面が描かれる。

適度な無関心とともに、誰かといる場所があること――。僕はそれを寛容と呼びたい。

(光文社「本がすき。」初出を元に加筆)

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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