「最the高」「まざい」…スラングのルーツは平安時代にあった!?

(写真:アフロ)

次々と生まれてくるネットスラング。Twitterやニコ動、2ちゃんねる、さらにはLINEまでもを土壌にして、日々とどまることなく生まれ、流通しています。最近見かけるスラングをまとめてみました。

短縮化と多義化

「○○of○○」

○○の最上級を表す言葉。「〇〇の中の○○」という意味。よく使われる形が「それなofそれな」(同意する時に使う「それな」を強めた形)で、「あなたと全く同意見です」という意味になります。さらに、「それなofそれなofそれな」という3段遣いも見られます。

「○○よりの○○」

「ありよりのあり」「なしよりのなし」という形で使われるのが一般的です。「○○of○○」の構造と少し似ていますね。「上の上」「下の下」のようなイメージで使われています。ある意見や提案に対して、賛成の度合いや実現可能性を示す時に使われるようです。

「最the高」

「最高」と同義です。なぜ間にtheを挟むのかは謎ですが、英語の最上級に必ずtheが付くことから来ているのかもしれません。例:「このバンドのチケット取れるとか最the高」

「圧倒的○○」

「とても」「すごく」という意味で、「圧倒的成長」「圧倒的感謝」などの形で使われることが多いようです。元ネタは福本伸行の漫画「カイジ」なのでは、とにらんでいます(笑)。

「丸い」

すべてが丸く収まっている状態のこと。なんとなくいい感じのもの、その場の選択肢の中で最適なもの、最高に素晴らしいわけではないけどその場が丸く収まるような比較的良い決断などを形容した言葉です。例:「週末のイベントだけど、○○集合にするのはどう?」「丸い!」

※実はこれ、25年ほど前にも流行した言い回し。当時、私の身のまわりの大学生たちも「それは丸い!」「丸すぎる」と連呼していたことを懐かしく思い出します。

「シブい」

これまで使われていた「渋い(落ち着いた趣がある)」とは少し違った意味で使われているようです。あんまり良くないもの、思い通りにならなかったけど受け入れるしかないもの、苦渋の決断などを形容する時に使います。要は「渋い顔をせざるを得ない」ということでしょうか。例:「明日バイトとかシブいわ。」

※ネガティブな意味を示す形容詞としては、私のこれまでの半生においてもいろいろと耳にしたことがあります。「からい」「ほろ苦い」などが記憶に残っています。

「ま」

なんとひらがな一文字です。一昔前から使われている「マジ」が縮まった形です。この一文字プラスクエスチョンマークで「ほんとうに?」という問いかけや、意味します。「それまじ?」が縮まった「そま?」という言葉も使われています。例:「来週プレゼンあるらしいよ」「そま?」

「まざい」

いっぽうで、「まじ」を略すのではなくむしろ伸ばす方向、つまり「mazi」を英語風に読んだ結果の「まざい」というスラングも登場しています。ここまでくると、省略したいのか、したくないのか、混迷を極めますね(笑)。

「神」

こちらは、定番というかすっかり定着している言い回し。すべてにおいて素晴らしいこと、欠点がないこと。英語でいうexcellentに近いものがありますし、しばしば感謝の意味も含まれます。例:「これやっておいたよ」「神!」

……いかがでしょうか。比較的短く、単語だけで意思疎通がはかれるものが増えてきていて、一語一語の守備範囲も広くなっているように感じられます。

いまや常用されつつある「やばい」のように、様々なニュアンスを前後の文脈から読み取る必要があるというわけです。

「をかし」=「やばい」

さて、中高生のころ古文で学んだ形容詞・「をかし」を覚えているでしょうか?

「をかし」は、興味を惹かれる、面白い、趣がある、滑稽だ、変だ、優美だ、愛らしい、優れている、見事だ、など、「なんとなく良いもの、心が動かされたもの全般」に対する評価を与える言葉です。

つまり、非常に広い意味をカバーする単語で、その時の文脈によって適当な意味をくみとる力が要求されます。これは現代における「やばい」と実によく似ています。

現代の若者が「これやばい!」「分かる、やばいよね」で意思疎通できているのは、互いに文脈を読んでそのときの「やばい」の意味を理解しあっているから。話の流れが分からない「他人」には理解できないけれど、当事者同士では細かいニュアンスまで理解しあっている閉鎖性は、今も昔も「流行語の本質」ということでしょう。

また、少し趣旨は違いますが、多くの女性が多用する「かわいい」なども、心が動かされているという意味の多義語としては、似たところがありそうです。

ことばの変化の歴史

これたのスラングを巡っては、「訳の分からない言葉を使っている」「正しい日本語じゃない」「日本語の乱れ」と嘆く声がしばしば聞こえてきます。

当の若者たち同士でも、少ない単語だけで会話をする傾向を、「ボキャ貧(ボキャブラリーが貧困)」と互いに揶揄し合っています。

しかし、そもそも言葉とは絶え間なく変化していくもの。もちろん、個人的にはうっすらと悲しく思うこともありますし、「正しい言葉遣い」を心がけてはいます。ですが、こうした傾向に目くじらを立てようとも思いません。

文脈で細かいニュアンスを読み取る、という高度なテクニックとも思いますし、平安時代、いやもっと昔から何度となく日本語が経験してきた歴史にも思いを馳せざるを得ません。

元来、ことばとはそういうものだし、生半可なことでは弱ったり滅びたりしない。一定の強度を保ったまま、世相を反映して変わり続けるその様は、おおげさではありますが、地球環境と生物の関係を見ているようです。

私としては「ま」も「まざい」も「最the高」も「なしよりのあり」ですが、みなさんはいかがですか?

(五百田 達成:「察しない男 説明しない女」著者 作家・心理カウンセラー)